第13話「悪魔パイエティのチキンサンド」

 キッチンに向かう男が一人。短髪であるが、髪が料理に落ちないようにするためか、三角巾を頭につけ、メガネをかけた男だ。メガネも面白い色で、見る角度によって赤に見える事も青く見える事もあるフレームだった。


 左手に持った鶏ムネ肉を、右手に持った包丁でそぎ切りにしていく。その手付きは慣れたもので、ちゃんと手入れされた包丁の切れ味と相まって、肉が手早く程好い厚さに切り分けられる。


 そぎ切りにした肉は片栗粉をまぶして、油の引かれたフライパンに投入していく。


 強火で表面を焼いた後、フライパンに蓋をして火力を弱めて蒸し焼きにする。


 その間に、二口あるコンロのもう一方でソースを作っていく。


「バターを熱して、刻んだニンニクと一緒にしょう油に溶かす」


 香ばしい香りが漂ってくると、少し煮詰めたところで火を止めた。


 時計と、透明なフタから見えるチキンの様子に視線を行き来させ、男はフッと息を吐き出す。


「どれだけ頑張っても、火が通る時間は早くならねェな」


 料理で時間短縮できるのは、精々、材料を切る時間だけだと知っていても、何とかならないものかと考えてしまうのが男の性分だった。


 時計とフライパンに行き来させる視線を少し離せば、テーブルの上に放り出されている車のキーが目に入る。


 方位磁針のキーホルダーがついているキーは、スバル360のもの。



 この男こそが、ベクターフィールドと対決した悪魔パイエティである。



 気忙きぜわしく視線を行き来させていたパイエティは、焼き上がった途端にフライパンから蓋を取り、そこへ長ネギとシメジを投入した。長ネギは包丁で刻むしかないが、シメジは手で千切るようにしてバラバラにしたものを使う。この方が断面が乱雑になり、味が染みこむのが早いと思っているからだ。


「軽く炒め合わせたところで、ソースを投入。煮詰める」


 菜箸で掻き混ぜながら、肉と野菜、そしてソースの状態に目を光らせるパイエティ。肉の表面にまぶした片栗粉がソースに溶け出し、それがより味を濃く染みこませていく。


 肉にも野菜にも火が通って味がつき、煮詰まったソースが絡まったところで、もう一度、まな板にあげる。


 包丁を手に取ると、肉と野菜を更に細かく刻んでパンの上に並べる。


 挟んで三角に切ると、チキンサンドのできあがりだ。


「よし」


 会心の出来だと頷いた所で、パイエティは声を聞いた。


 ――ヨッド・ハー・ヴァル・ハー。


 それは召喚の呪文。


 軽い眩暈めまいを覚えたパイエティは、錯覚だとしても頭痛がするような感覚に陥る。


 頭痛は錯覚だ。


 だが眼前の光景がキッチンからオフィスの廊下に変わった途端、飛んでくる怒鳴り声から感じる頭痛は現実だった。


「おい!」


 横っ面をひっぱかくかのように飛んでくる怒声は、契約者である桜井のもの。


「お前、昨日はどうなってたの? 追い掛けたんだったわよね? 霊だけで決着がつかなかったんだったら、直々にやってきたんでしょうね!?」


 メッセージでは埒があかないと思っての召喚だったのだから、桜井はまくてていた。


 主語が省略されていても、たくみの事をいわれているのは判断できる。


「いや、あっちも――」


 ベクターフィールドの出現を告げようとするパイエティだったが、桜井は眉根を寄せると、


「言い訳? それが言い訳になる事をいえるの? あんたが?」


 捲し立てる口調に、更なる勢いをつけてぶつけていく。


「やったの? やってないの?」


「……相手を守ろうとする奴らがいた」


 パイエティは白旗をげたつもりだった。匠を始末する事とベクターフィールドと戦う事は両立しがたい。足がついてしまわないよう、霊を始末できた事だけが精一杯だ。


 しかし桜井は胸ぐらを掴む勢いで前に出る。


「やったの? やってないの? 訊かれた事を答えなさいよ」


 白旗を揚げているとは認めていない。


 桜井が求めている言葉は、匠を殺せていないのであれば「できませんでした」だ。


「ちょっと無理だ。これは、俺の力不足だ。時間と手が足りないんだ」


「ふーん」


 パイエティの言葉を聞いても、桜井が容赦するかといえば、そんな雰囲気はない。


「算段は立てる」


 パイエティとしてはそういうしかないのだが。


「私が残業してる間にどうにかできる? その匠ってクソガキのせいで、全部、再点検になったんだけど」


「……」


 パイエティは肩を竦めなかっただけ上出来だ、と自分では思った。


「あの、残業なら、チキンのサンドイッチでよかったら、作ったんだ――」


「そんなもんが何だっていうの?」


 パイエティの手を払い、サンドイッチを叩き落とした桜井は、その上から踏み付けた。


「そんなの作ってる暇があったら、算段とやらを立てる方を優先しなさいよ。さっきから言い訳ばっかりの癖に」


 きびすを返す桜井が向かうのは、残業するためのオフィスではなく、喫煙スペースだ。


「……」


 桜井の姿が喫煙スペースに消えた所で、パイエティは踏み付けられたチキンサンドを手に取る。


「あいつ……格上だったな」


 チキンサンドを手に取って思い出す、ソアラに乗ったベクターフィールドの顔。


 165馬力を絞り出すロータリーエンジンを搭載しながら、500キロ以下の重量に抑えているスバル360を駆っている中では、パイエティには全く余裕がなく、ベクターフィールドの顔は一瞥できたくらいに過ぎなかったのだが、それでも分かる。


 魔王の称号を持つ悪魔は、喜怒哀楽の一つが欠落しているため、顔を見れば独特の違和感があるからだ。


 パイエティに魔王の肩書きはない。


 サンドイッチをみしめると、ザリザリと砂埃すなぼこりを噛む音がした。

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