第3章「悪魔パイエティと卑の世界」
第11話「明かされる世界」
ヘルメットを抱えた
「おじゃまします」
三人が入るには狭い1Kだが、VFRとの激闘を終えた匠は疲労困憊で、そのまま帰宅させる訳にも行かなかった。
靴を揃えながら、亜紀は「遠慮しなくていいから」と告げると、ベクターフィールドはヘッと薄笑いを浮かべ、
「しねェぜ」
ただ、そういわれるのは、亜紀にとっては
「あなたは少し遠慮して……」
亜紀が肩を落とす。ドッと疲れが襲ってきた。助手席に座っていただけとはいえ、同じくVFRを追った後、悪魔が駆るスバル360との激走を終えたためか。
それは匠から見ても明らかだったようで、「すみません」ともう一度、頭を下げさせてしまう。
ただ亜紀に苦笑いさせたのは、謝らなくていい事に謝らせたからではない。匠の口から、次に出てきた言葉に対してだ。
「彼氏さん、ですよね?」
そんな事をいい出す匠は、ベクターフィールドの背を見ていた。外見だけをいうならば、ベクターフィールドは189センチの長身に、ハーフらしい風貌を持っている。ぶっきらぼうな印象を受けるが、男の匠から見れば長所に映る。洋食や町中華が好きで、趣味がテレビゲームという内面は外からは見えない。
だが当のベクターフィールドは振り返りもせず、軽く片手を振るのみ。
「んな訳ねェ」
亜紀との関係など、ベクターフィールドにとってはどうでもいいし、興味はない。
ベクターフィールドが興味を持っているのは、部屋の奥にいるちまの存在だ。
「わふ、わふ!」
ちまが鳴くと、ベクターフィールドが屈む。
「おーおー、起きてたか」
抱き上げる準備をするベクターフィールドであったが、今日はちまが駆け寄ってこない。
「?」
ベクターフィールドが首を傾げるが、ちまにはちまで駆け寄れない理由があった。
ベクターフィールドが保護しろといった
通常の人間には見えない霊だが、犬には人にない能力があるのかも知れない。ちまは神矢の傍についている。
神矢少年の声が聞こえるのも、ベクターフィールドと亜紀だけだ。
「おかえりなさい」
神矢少年に対し、亜紀は笑みを向ける。
「ただいま」
その返事が向けられている神矢少年の姿は、匠には見えないし、声も聞こえないが。
亜紀は匠に、あいているところへ座るよう促し、
「お茶を淹れるから、落ち着いたら、少し話を聞かせて」
だが亜紀がキッチンの方へ行こうとすると、匠は「でも……」と混乱した顔で引き留める。否定はされていても、匠には亜紀とベクターフィールドが似合いの二人に見えてしまう。
言葉の端々から、そんな雰囲気を感じ取ってしまう亜紀は、また苦笑いだ。
「ベクターフィールドと私はバディ。彼氏彼女って訳じゃないし、私はモテないから」
***
温かい紅茶は、気持ちだけ甘く淹れた。慣れているベクターフィールドや、助手席にいた亜紀よりも、匠の負担が最も重い。
それ飲んでも、若干、落ち着いたとしかいえない匠だが、ベクターフィールドは質問を投げかける。
「バイクなんだが……そのジャケット、どこで買ったって?」
ルイスレザーズのサイクロンとなれば10万を超える高級品。ベクターフィールドとて当然、知っている。高校生には手が出ないはずだ。
掘り出し物だと思っていた匠も、ベクターフィールドにまで訊ねられては疑義が浮かんでしまう。
「港の方に、新しいバイク屋ができたじゃないですか。新規開店っていう事で、セールもやってて、そこの中古で……」
「新しいバイク屋っていうと、ライラックか?」
「はい……」
匠の返事で、途端にベクターフィールドは表情を変えた。
「あんなとこで買い物するもんじゃないぜ」
苦い顔だ。
この「バイク屋」という業界は、一般人が知らない事が多い。広い敷地に大量のバイクを並べていれば、大抵の人が大手と思うかも知れないが、全国にチューン展開しているのは一社だけ。店がどれだけ大きくとも、大抵のバイク屋が業界全体から見れば中堅だ。
ライラックも、そんな一社に過ぎない。五階建てでガラス張りのおしゃれなショールームを備え、地方にも展開しているが中堅でしかない。
そしてベクターフィールドの評価は、低い。
「旧車も扱ってて、セールの時は客も入ってるが、その実、希少性だのヒストリックだの
人から聞いただけの話ではなく、ベクターフィールドも実際に足を運んでいたからこそいえる言葉だ。
「ガソリンタンクもオイルタンクも、外装は塗り直してるけれど、中はサビがある。電装なんてビニテ巻きだぜ。信じられるか」
いくらでも悪口ならば出てくるくらいの店――。
そしてベクターフィールドから出てくる悪口といえば、極めつけのものがあり……、
「そのくせ、確かオーナーは二輪はアグスタ、四輪はフェラーリ。いや、BMWはバイクと車の両方を持ってやがるんだぜ」
バイクに対する姿勢とオーナーの身なりを加味したら、亜紀にも浮かぶ言葉がある。
「典型的な悪徳業者じゃないの」
「その通り」
ベクターフィールドも頷くが、匠は「うーん」と唸ってしまう。
「でも本当に、このジャケット2万だったんですよ……」
悪徳ならば、プレミアム価格で販売してもおかしくなかったはず、という思いがある。そこには、ベクターフィールドもばつの悪そうな顔をしてしまう。
「まぁ、そこは……」
悪口をいった後だが、ベクターフィールドも認めている点はあるのだ。
「劣悪なのはレストア部門であり、パーツや消耗品、アパレルの販売部門の話じゃねェからな。消耗品やウェアは安いぜ」
つまり――亜紀がまとめる。
「だからレストア部門の劣悪さをカバーできてる、とか?」
口を挟んだ亜紀の言葉は、
ベクターフィールドは、「かも知れないな」と頷き、アイスティーを煽った。
「まぁ、しかし分かったぜ」
目を細めるのは、全てのピースが集まってくれたからだ。
――あの悪魔と契約してるのは、このライラックの社員だぜ。
匠に知られないように、ベクターフィールドは亜紀へIMクライアントから送ったのだった。
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