第10話「グリフォンVSキマイラ」
スバル360は、その名の通り360ccのエンジンを持つスバルの自動車だ。製造されたのは1958年、「もう戦後ではない」といわれ始めた頃のものであるから、現代の目から見れば骨董品に部類されてもおかしくない代物だ。
現代の軽自動車に比べて、360ccという半分程度の排気量しか持たないエンジンは16馬力と非力。
そもそも最高時速は80キロといわれているスバル360では、ベクターフィールドのソアラから逃げるのは不可能なはずだが――、
「いじりモンかよ!」
アクセルを踏むベクターフィールドが舌打ちする通り、眼前を行くスバル360はノーマルではない。
いじりモン――改造車だ。
挙げ句、
「しかもロータリーだぜ、あれ!」
日本が世界に誇れる小型・高出力の代名詞とも呼べるエンジンを搭載している。
「しかも、このヒーンっていう金属音、ひょっとして……ひょっとしなくても、ターボ積んでる!?」
文字通りスバル360の姿からでは狂ったようにとしか言い様のないスピードで疾走する姿に、亜紀も隠しきれない驚きで顔を染めている。
「確か、積めるんだったな。スバル350は見かけによらず広い。13Bは兎も角、12Aならターボ付きで載せられるって話、俺も聞いた事があるぜ」
ベクターフィールドは舌打ちを繰り返すばかりだ。
――12Aのターボ付きなら……馬力は165か170か、まぁ、そんなとこだろ。それプラス、スバル360はノーマル380キロ。
眼前のスバル360は、ベクターフィールドの概算では500キロを切る軽量級だ。
――俺の方は……2.5リッターツインターボ280馬力っても、車重は1.6キロか!
それに対し、ソアラは高出力エンジンを積んでいても3倍以上の重量がある。
「スペックで負けてる?」
助手席の亜紀が出した概算は、ベクターフィールドとは違っていた。
「400キロくらいの車体に165馬力が載ってるなんて、無茶でしょ。50年以上前のシャシーやボディの性能は?」
エンジンは載せ替えられるし、足回りを互換性のある最新パーツにいる事もできるが、ボディやシャシーはオリジナルを使うしかない。
新車同然のものを使ったとしても、50年以上、昔の車なのだ。
ベクターフィールドのソアラも新しい車種ではないが、それだも30年を超える差がある。
「なるほど。車はスペックで走らせるんじゃない」
ステアリングを握るベクターフィールドは、改めて前方を行くスバル360を見た。
「腕で走らせるもんだったな」
ひとつひとつの数字で表れる点だけで何もかもが決まる訳ではない。
「軽い車体にハイパワーって、それだけでコントロールしにくそうだ。特にスバル360はRRだぜ」
後部にエンジンがあり、後輪が駆動するスバル360の挙動は、ベクターフィールドも知っている。
――グリップを失えば、いきなりスピンするぜ。コントロールできるか?
アクセルにせよ、ブレーキにせよ、大胆さと繊細さを同居させなければならない。
前方を行くスバル360のドライバーに、その腕がないと期待するのは愚者の仕業というもの。
ソアラが追い掛けてこないとしても、スバル360は全速力で離脱する。
そして舞台となっているのはサーキットではなく、公道だ。
――来たな!
背後から迫るベクターフィールドは、スバル360の前方に姿を見せ始めたトラックに目を細める。アクセルを床まで踏み込んでいるのだから、進路変更ですらターンになる。
スバル360のドライバーがどの程度の腕を持っているか――スペックだけで走っている愚か者でないかどうか――は、ここで決まる。
猛スピードで迫る二台がいる事はトラックも気付く。
トラックが方向指示器を点灯させ、左へ寄る。
――道を譲るだろ、当然!
トラックの動きに合わせて右に寄るベクターフィールドは、スバル360の進路を奪うつもりでもあった。
――キマイラか? それともゲテモノか?
エンジンや足回りを他車から移植されたスバル360に、ベクターフィールドが持った感想はソレだ。
獅
その答えは――、
「どっちもだな!」
ベクターフィールドの声にある響きは、車もドライバーも怪物だという事だ。
加速をそのままに、スバル360は左に寄ろうとしたトラックの更に左側へ飛び込んでいったのだから。
小型のボディを活かし、針の穴を通すコントロールで擦り抜ける。
「認めるぜ。お前はキマイラだ!」
そういうベクターフィールドが駆るソアラも、フロントのエンブレムにはグリフォン――獅子の胴体にワシの頭と翼のある幻獣がある。
右に進路変更した分、ベクターフィールドは遅れてしまうのだが、ここで勝負ありとならないのはソアラが持つ太いトルクがあるからだ。
加速に於いては、ソアラは負けない。
危険を排除し、ベクターフィールドのソアラはスバル360に並ぶ。
――顔を見せろよ!
ベクターフィールドは横目でスバル360を駆る男を見遣った。
スバル360の運転席に座るのは、手でなでつけたような短髪に、メガネを書けた男。直感的にベクターフィールドには悪魔だとわかるが、見覚えはない。
――契約を司る悪魔なのに?
それ程、人数がいる訳ではないのに、ベクターフィールドに見覚えがない。
「前、前!」
亜紀の声がベクターフィールドの意識を車の方へ呼び戻した。
目の前に迫ったのは、間違いなく勝負所となるターンだ。
「掴まってろよ!」
ベクターフィールドは亜紀に向かって声を張り上げ、ブレーキを踏む。
グリップを保ったまま、スローイン、ファストアウトという基本を抑えるベクターフィールドに対し、スバル360は――、
「スピンした!」
亜紀がいう通り、スバル360は車体を滑らせたのだった。
しかしクラッシュする光景を想像したのは亜紀だけだ。
――ドリフトだ!
ベクターフィールドの顔を彩る感情は、驚愕か、それとも感動か。スバル360のドライバーは、アクセルワークで完全に車体をコントロールしている。
例えるならば、ソアラは陸上競技のスプリンターの如く疾走し、スバル360はスピードスケートの如く滑走していく。
「いいや、俺の勝ちだ!」
ベクターフィールドの雄叫び。亜紀がいった通り、ボディやシャシーの性能差だ。限界を迎えるのは、スバル360が早い。曲がろうとする力が、遠心力に抵抗しきれていなかった。
ソアラが頭を抑えて立ち上がる。
そうなれば単純な二択になる。
停まるのか、それとも事故るのか。
停まるならば構わない。事故を選択する愚か者でも、悪くはない。
どちらにせよ勝ちだと吠えるベクターフィールドだったが、ルームミラーで見た光景に、最後の驚愕を迎える事になってしまう。
スバル360のリアから白煙が上がったからだ。
――故障か?
一瞬、ベクターフィールドですらそう思わされるが、違う。
スバル360は爆発的な加速を開始したのだから。
「何あれ!?」
頭を抑えていたはずなのに、一瞬で並ばれるという光景に亜紀も口を開けてしまう。
「
その加速の正体にベクターフィールドが気付いた。
NOS――ナイトロオキサイトシステム。
通称ニトロとも呼ばれる亜酸化窒素噴霧装置だ。エンジン内の高温で窒素と酸素に分離し、その酸素が混合気の燃焼を助ける。完全に空気と亜酸化窒素を置き換えた場合、エンジン出力は倍以上にもなるという。
「そんなのあるなら、最初から使うでしょ!」
亜紀の叫びは悲鳴に近かった。
「最初からは使えないぜ。軽量のスバル360で、ターボの加速にNOSなんぞ上乗せしたら、真っ直ぐ走らせるだけでも一苦労させられる。場合によったら、ストレートでスピンする」
勝負所だからこそ使った必殺技だ、とベクターフィールドは舌打ち混じりにいった。
その上、頭を抑えようとしたベクターフィールドは、タイヤのグリップをロスさせてしまっている。
アクセルが踏めないソアラを余所に、スバル360は爆発的な加速で前進していく。
グリフォンVSキマイラは、キマイラに軍配が上がった。
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