第9話「昇星」
公道で行われる違法行為だとしても、これがレースとして最低限、成立するためには、ただ一つ、大きな制約が必要となる。
即ちマナーである。
正式なレースであれば、進路妨害は厳しく取り締まられる。先程のようなブレーキテストなど大きなペナルティが取られる行為だ。それでなくとも、ターン中の進路変更は二度までという規則が存在している程、ブロック行為は危険視されている。
公道での違法レースにルールなど存在してはいないが、それ故に不文律としてマナーとでもいうべきものが制約の変わりという訳だが……、
「レースじゃねェんだぜ」
繰り返しているベクターフィールドの舌打ちは、
総合的にいうならば、四輪は二輪に勝る。動力を伝えているのがタイヤ一つの二輪に比べ、ベクターフィールドのソアラは後輪のタイヤ二つで動力を伝えるのだから、総合的な速さは上だ。
しかし周回を重ねるごとに現れる差は、この際、アドバンテージとはいわない。
――ターンが近いぜ!
ベクターフィールドは姿を見せ始めたカーブに目を細め、睨み付けるような顔つきになっていた。
眼前で匠のガンマと霊のVFRは揃って曲がる体勢へ入ろうとするのだが――、
「アホか!?」
思わず匠は叫ばされた。
霊は匠のイン側へベタ付きにし、バイクを倒してて曲がれなくしたのだ。
ハングオンしなければ、このスピードでバイクがターンする事はできない。
「そんな!」
亜紀も思わず叫んだ。このスピードでは、ギアを落としてエンジンブレーキを効かせるのも間に合わない。何より常識外れの行動であるから、匠の判断力がついてこない。
ハングオンできないのならば、壁にぶつかる。ライダーが剥き出しのバイクで、それは死を意味する。
――バトル中の事故って狙いなら、ここなんだよな!
ベクターフィールドが予想した中にあるシチュエーションである。
ならばベクターフィールドには用意していた遮断がある。
「叫べ!」
それに対し、ベクターフィールドは亜紀へ怒鳴るような大声をぶつけた。
「倒せ、そいつは霊だから無視してバイクを倒せって叫べ!」
亜紀の声ならば匠に届く。
「倒して!」
亜紀は思い切り叫んだ。
互いに爆音を響かせて失踪中であるから、そうそう声など届くはずがないのだが、ベクターフィールドがいれば届かせられる。
「!?」
匠がハッとした顔をする。
――倒す? バイクを!?
それは匠の心理的抵抗が強い。この状態でバイクを倒すという事は、相手を事故らせるという事だ。それをよしとするメンタリティが匠にあったなら、ブレーキテストにも、この罠にも
「相手は人間じゃない! そんなののために命を落とさないで!」
その言葉は、霊と匠の距離が近かった事が功を奏した。
視界の隅に捉えたVFRのライダーは、
「そういう事かよ!」
匠の適応は早かった。こんな遊びをしているのだから、事故に遭った知り合いに一人や二人はいるし、まことしやかに囁かれる怪談話も知っている。
亜紀の声が聞こえた事だけならば、またバイクに乗った霊が現れた事だけならば、匠もこの事態に対応する事はできなかった。
その二つが重なったならば、匠は生存へ舵を切る。
――いつも通りだ! 何も変わらない。
匠が駆るバイクも、鉄とアルミの塊だ。ただ、レザージャケットは電荷的にはプラス側にあるため、体当たりしてはダメージを受ける。
「うぐッ」
感電したような衝撃を受けた匠であったが、精神力……というよりも、ド根性という方が似合うものが匠の身体を固定した。
VFRも実態に近い密度を持っているが、所詮は薄い膜で場を作っているに過ぎない。
ガンマの体当たりは、その場を傷つける。
――オーバースピード!
だが匠は制御に脂汗を掻かせられた。
ブレーキが遅すぎる。
オーバースピードで飛び込んだのだから、曲がろうとバイクを倒しても遠心力でアウトへ振られていく。
その上――、
「くっそォッ!」
匠に毒突かせる光景は、まだ消滅していない。
VFRは消滅した訳ではなく、匠を追ってくるではないか!
「よくやったぜ!」
だが、このターンにおける激戦に、ベクターフィールドのソアラが会心の走りで追い付いた。
――霊は生け捕りにする! 追跡する手掛かりになるからな!
ソアラの窓から魔王の剣を出し、切っ先で狙うのは霊の足であるVFRだ。
「歌ってもらうぜ!」
些か、柄の悪い言葉と共に剣を突き出したベクターフィールド。
しかし霊を捉えたのは、剣ではなく矢――。
「!?」
霊の胸――生前、鼓動を司っていた胸と、思考を司っていた頭が霊の急所である――を、矢で貫けば例は消滅してしまう。
「誰だ!?」
思わず声を荒らげたベクターフィールドのソアラを、フレッシュ・プルーの小型車が追い抜いていった。
「スバル360!? 何だ、あの車!」
ベクターフィールドの毒突きは、1958年製のオンボロに抜かれた事に起因したものではない。
運転席から突き出されたボウガンが霊を仕留めたのを見たからだ。
そして理由は。もう一つ。
「テントウムシ」
亜紀もいった。
神矢が口にしたテントウムシという単語は、このスバル360につけられたニックネームでもある。
「くそ、追うぞ!」
匠の事も心配であるが、ベクターフィールドはアクセルを踏み込んだ――踏まずにはいられなかった。
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