第7話「鷲獅子の主」

 終業時刻が過ぎていた事は幸いというべきか。


 オフィスにとって返した亜紀は、手早く荷物を纏め、失礼とは思いつつも「お先に!」と同僚に告げて出て行く。


 警察署の敷地内は暗がりや死角というものとは無縁であるが、この際、人目に付かなければどうでもいい。


「ヨッド・ハー・ヴァル・ハー」


 ベクターフィールドを呼び出す呪文を唱えると……。


「食らいやがれ! 三種の甲羅盛りバナナの皮――って、おいいい!」


 魔王はヘッドセットを耳につけ、ゲームのコントローラを握ったまま悲痛に叫んだのだった。


「俺にはプライベートがねェのかよ! ざっけんな、今、フレンドとマジに勝負してたっつーのに!」


 胸ぐらを掴むどころか首を絞めかねない勢いで抗議するベクターフィールドだったが、亜紀も今は講義を聴いてやれる状況にない。


「それはごめんなさいね!」


 ベクターフィールドの手をいささか乱暴に振り解き、たくみが帰ったであろう方向を指差す。


「見える霊が出たの! しかも私の知り合いに!」


「!?」


 その言葉は、ベクターフィールドの頭を切り替えさせる。


「どこに、どんなのが出た?」


 ヘッドセットを外し、胸ポケットに入っていたスマートフォンで対戦していたであろう相手へ、インスタントメッセージで詫びの一言と共に「仕事ができた」と告げた。


「どんなって……」


 何から説明していいか分からなくなるのは、それだけ亜紀も緊急事態だと慌てているからか。


「目についた特徴だけでいいぜ。どういう服を着てたとか、何を持ってたとか」


 そういわれると、確実に覚えている事がある。


「バイク」


「バイク?」


 亜紀に対し、ベクターフィールドは鸚鵡おうむがえしにした。


「バイク。あれは確か、VFR400。ずっと昔のホンダの……。グレーに、赤いストライプが入ってる」


 そんなものがベクターフィールドが求めている特徴ではない気もするのだが、亜紀が最も印象に残っているのは、やはりバイクか車だ。


「あァ……うん、何かわかった気がするぜ」


 だがベクターフィールドは、納得したように頷いた。


「何か知ってる!?」


 身を乗り出す亜紀だったが、ベクターフィールドは「待て」と亜紀の身体を押し返す。


「俺も調査してるからな」


 そこに引っかかる何かがあるのだ。


「その狙われてるって奴も、二輪の走り屋か?」


「……元だけど……」


 言葉を濁す亜紀は、匠本人から引退済みと聞いた訳ではない。


 ――世間から見たら暴走族扱いなんだから、警察官になれなくなるのよ……。


 その願望が「元だけど」という一言に凝縮されている。


 しかし元であろうと現役であろうと、「バイクの走り屋」という一言が、ベクターフィールドの調査結果に引っかかるワードであった。


「なら、多分、日が暮れるまでは余裕があるぜ。説明してやるから、場所を変えるぜ」


 亜紀の職場の近くでする話ではない、とベクターフィールドは踵を返した。



***



 ベクターへフィールドは合法、非合法に関わらず証拠を集めてこられる。その取捨選択は契約者である亜紀の常識に任せるしかないにしても。


 この時、亜紀の情報が触れたのは、合法でも非合法でもなく、いわば「不条理」に属する情報だった。


「悪魔……?」


 ベクターフィールドの口から出て来た単語は、まるで想像していなかったといえば嘘になるのだが、それでも出てくる度に驚かされる。


「地獄に個人情報保護法なんてないし、まぁ、なくても契約者の情報を漏らすなんてクソ野郎なんだが、そんなものはクソ食らえって奴らが多いからな」


 そういった所で、ベクターフィールドは冗談めかした笑いを見せた。


「いや、本当に悪魔を前にしてはいわないぜ。本当に食いそうな奴ら、結構、いるからな」


 冗談の類いなのだろうが、無論、亜紀には笑えない。


「あの……」


 一言、注意しようと口を開く亜紀であったが、ベクターフィールドは「悪い悪い」と苦笑いするのみだ。


「そんなだから、悪魔が関わってる事件は、案外、掴みやすいんだ。特に契約を司る悪魔は、少数派でな……」


 ベクターフィールド自身、「魂なんて何に使うんだ?」といわれる事を数え切れないくらい経験してきた。


 ――魂は人間に生まれてくる権利……。そりゃそうか。


 大半の悪魔は、人間になる事に価値など見出さない。


 ――悪魔になる条件の一つ……自殺者である事……か。


 人に拭いきれない恨みを抱えている悪魔が大半なのだ。だからこそだ。


「契約者情報は簡単に入手できる?」


 亜紀の質問に対し、ベクターフィールドは「あァ」と頷く。


「例え、魔王だ副帝だ大公だなんて肩書きが付いてるような奴でもな」


「……ルシファーとか、そういうの?」


 亜紀としては単純な質問だったつもりだったが、ベクターフィールドは眉間にしわを寄せ、


「それ、町内運動会で勝ちたいからって、ウサイン電圧つれてくるようなもんだぜ?」


 それ以前に、ベクターフィールドにとっては馴染みの薄い相手だ。


「まぁ、そんな中だぜ」


 ベクターフィールドは気を取り直し、亜紀の方を向いた。


「最近、どうも新参の奴が契約した相手に、バイク屋に勤めてる女がいるって話だぜ。港の方に、新しくできたバイク屋があっただろ。そこだ」



 繋がる――匠がジャケットを見つけた店なのだ。



「女については、あんま、まだ情報を集めてない。ただ契約内容は、俺とよく似てたぜ」


 亜紀とベクターフィールドの契約は、「自分が必要と思った事件に関し、全力で協力する事」だ。


 その女と悪魔の契約は――、


「そいつの幸せのために、煩わしい事柄を全力で排除する事」


 これを似ていると言われるのは、亜紀としては些か不満である。


 しかし不満だから、今、文句を並べるというメンタリティは亜紀にはない。


「で、匠くんの事と、どう繋がるの?」


 今は霊に狙われている匠が重要だ。


「その匠って奴の事を教えろ。ホームはどこだ? いつ、何時に走りに行く?」


 ベクターフィールドは匠が引退済みだとは思っていない。


「この霊は、その女と契約した悪魔が使役してるぜ。そして狙いは――」


 一瞬、ベクターフィールドは小さく溜息を吐いた。



「バトル中の事故」



 それが最も派手に、そして匠のアイデンティティを打ち砕く事になるからだ。

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