第2章「プレアデスをなぞる」
第6話「来客です」
――こいつを殺したのは、俺の身内かも知れん。
ベクターフィールドの言葉が、ずっと亜紀の脳裏に木霊していた。
魔王と名乗るベクターフィールドが存在しているのだから、他にも悪魔やそれに類する者がいてもおかしくはない。
また悪だの魔だのがつくのだから、そういった存在が人間にとって良き隣人と言い難い存在である事も想像に易い。
故に悩む。
――保護しろ。
ベクターフィールドはそういった。
悪魔に殺された
――こいつの死を冥府は把握してないぜ。今、遺体を燃やしたりして冥府に送るのはまずい。せめて魂を確保しないと……。
魂とは人間に生まれてくる権利であり、それを喪失しているという事を指してベクターフィールドはまずいといった。
――こういった霊を退治する方法は、遺体を正式な手続きと方法で葬る事、霊を形作っている場を破壊して消滅させてしまう事なんかがあるけれど、魂を持っていない霊は次から人間になれない?
この辺の理屈はよく分かっていないし、魂がどういうものであるかも亜紀は知らないが、このまま神矢を葬る訳にはいかないらしい。
理解が追い付かないのは、ベクターフィールドを召喚して臨む事件全てに共通しているのだが、今回は特に分からない。
――こいつの死を冥府は把握してないぜ。
この言葉が意味している点は何であろうか?
そして分からないと言えば、もう一つ。
――見えるようにしたぜ。今後、霊が見えたら俺を呼べ。神矢クンの死に関わりのある霊のはずだからな。
見えなかったものが見えるようにしたとベクターフィールドはいったが、あの公営住宅の多目的ルーム以降、亜紀は霊など見ていない。
「うーん……」
「――さん」
その集中力からか、亜紀は外部から声を聞き逃していた。
「――さん!
「はい!?」
声と共に肩を叩かれた事で、亜紀は素っ頓狂な声をあげさせられてしまう。
「こっちが驚いた」
亜紀を呼んだ男性職員も驚いた様子で、胸を押さえ、
「お客さん」
指差した先は室外。
亜紀が出てみると、終業時刻を待っていたという風な少年が立っていた。
180に届くくらいの身長と精悍な顔つきを持つ少年は、亜紀の姿が見えた途端、背伸びまでして大きく手を振る。
「甘粕さん!」
一際、大きな声を出して呼ぶ少年を、亜紀も覚えていた。
「
一度、補導した事のある高校生だ。
「ご無沙汰していました」
歯を見せて笑う少年――匠は、亜紀に向かってお辞儀する。
その姿は思わず亜紀に笑みを浮かべさせた。
「もう危ない事、してないみたいね」
亜紀に笑みを浮かべさせたのは、匠が振っていない方の手に握られているヘルメット。
その視線を知ってか知らずか、匠は少し苦笑い。
二人が知り合う切っ掛けとなったのは、匠の趣味からだ。
走り屋――違法競技型暴走族。
傷一つないヘルメットは、匠が公道レーサーから足を洗った事を感じさせられる。
「まぁ、それは……ははは」
ただ誤魔化すような匠の笑いからは、足を洗ったというよりも休止中のつもりとも思わされたが。
「そんな事より、知らせたい事があって。俺、学校指定の推薦入試を受けられる事になったんです」
亜紀に補導されて以降、努力してきた事が実ったんだ、と知らせたかった。
「え、凄い! 頑張ったね」
亜紀がパンッと手を叩いて喜びを表した。学校指定の推薦を受けられるという事は、学業以外にも社会奉仕活動などの成果があっての事。補導した学生が構成した事を、何より如実かつ雄弁に語ってくれている。
「へへへ。まだ受かった訳じゃないんですけど、受かれば春から東京です」
「そっか」
フーッと大きく息を吐き出した亜紀は、改めて匠の姿を見た。
「あ、新しいジャケット? ルイスレザーズのサイクロン?」
匠の上着がバイク関係の有名アパレルメーカ製だという事がわかるくらいに、亜紀は車やバイクが好きだった。
「古着ですけどね」
新品を買うとしたら、優に10万円を超える高級ジャケットである。高校生には手が出ない価格なのだが、匠が得意気に胸を反らさせるお値打ち価格だったのだ。
「これ、いいでしょう? 新しく港の方にできたバイク屋。そこで掘り出し物だったんですよ」
「値段、聞いていい?」
亜紀がそんな事を聞いたのは、値段に対する興味よりも、匠が自慢したい点がここだと見抜いたからだ。
「何と! 2万」
「安ッ」
この亜紀の驚きには演技など一切、入っていない。オークションサイトやフリーマーケットアプリでも、軒並み5万、7万という数字が並ぶジャケットだ。それが半額から7割引で買えたというのだが、亜紀の目から見ても状態はいい。
「頑張ったから、きっと神様からのご褒美よ」
「えェ」
匠は照れ笑いした。その照れ笑いの中で、いう。
「本当は、東京の学校に行く必要なんて、どこにもないんですけどね。こういうジャケットが入ってくるくらいの街なんだから、客の目も肥えてるわけで。ここの学校を出て、ここで就職するのが一番だと思うんですけど、何か……学校の事とか仕事の事とかじゃないと思ったんです」
自分が東京に出て行こうと思った動機だ。
「ん?」
亜紀も興味深く聞く。
「東京じゃ、こんな地方の話なんてしてないに決まってる。だからこそ、この街で生まれて、この街が好きだって気持ちのまま、東京で本物っていうのがあるのかどうか、見てきたいなって」
言葉の意味は亜紀にも理解できないが、熱意だけは理解できる。
「勉強して、戻ってきますよ」
匠は学びに行く事の心構え、熱意を語っているのだ。
それを亜紀にいう理由は――、
「就職の第一志望は、ここですからね」
警察官になりたいという気持ちを、世話になった亜紀にいいたかったからだ。
「頑張って」
「はい!」
匠は頭を下げると、くるりと背を向けた。これからバイト、推薦入試に向けた勉強、その後は卒業試験……と忙しくなる。この時期に挨拶へ訪れたのは、それらに集中する事を亜紀に見せたかったからだ。
「頑張って」
もう一度、匠の背へと向けられた亜紀の声には、匠は振り返らなかった。
ただ来た時と同じくぐっと拳を握った手を上げて答えるのみ。
――うん、うん。
その姿にこそ、亜紀は更正した証のようなモノを見た気がした。
だが「見えてしまう」のは、それだけではなかった。
匠の背を追う男の姿だ。
二重露光で撮った写真のように、曖昧な輪郭になっている人物が、真っ当な存在であろうはずもない。
それはベクターフィールドが見えるようにしてくれた霊ではないか!
「匠くん!」
亜紀の声は、匠の耳には届いていない。
そして恐らく、その霊が跨がるバイクのエンジン音も同じく。
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