第5話「結末のもう一歩、先」

神矢かみやくん」


 もう一度、呼びかけると、神矢は顔を上げた。その姿は半透明といっても透明に近く、輪郭程度が曖昧に見えているだけだった。


「神矢くん」


 都合、三度、呼びかけると、神矢は顔を上げた。

「誰?」


「私は、防犯課少年班の甘粕あまかす亜紀あき。神矢くんを探しに来ました。神矢くんは、どうして、ここにいるんですか?」


 一言一言、噛みしめるようにゆっくりと亜紀はしゃべる。《霊》は壊れたテープレコーダのようなものだ。同じ事を繰り返し、会話など成立する余地はないという。それでも話し掛けたのは、神矢には、まだ意識があるように感じたからだ。


「ここは――」


 神矢は顔を上げ、周囲を見回した。


「僕の秘密基地なんだ。ネコやイヌが来てくれる。知ってる? ここのネコやイヌは、野良猫や野良犬じゃないんだ。地域猫、地域犬って言って、子供が増えないように手術して、みんなで餌をあげて、みんなでフンの始末をするなら、可愛がってもいいんだよ」


 この言葉で、亜紀は神矢に明瞭に意識はないと判断した。ここは多目的ルームであり、秘密基地を作れる空き部屋ではない。寧ろ地域猫や地域犬ならば、入らないように注意しなければならない。


「そう」


 だが亜紀は、柔らかな笑みを……作ったつもりだった。


「とても、いいところですね」


「うん。だから、僕は、ずっこここにいるよ」


 体育座りをしているのは、いじけているのではなく、ここにいると決めているからだった。


 しかし、やはり《霊》だ。


 眼前でベクターフィールドと動物霊が繰り広げている騒動が見えていない。


「ね、神矢くん。いつから、ここにいるんですか?」


 だから亜紀は粘り強く、平静を保った声で言葉を投げかけていく。


 ――いつから……?


 急に神矢の声は響き方が変わった。今までは亜紀も「声」として認識していたが、急にイヤホンでも通して聞いているような、距離や位置関係が分からない声になったのだ。


「誰かに連れて来られたんじゃないですか? もしくは、誰かが後から来た?」


 亜紀が続ける。


 この時点で亜紀は直感していた。



 神矢は、自分の死を理解していない。



 ただ自分は永遠に、大好きだった場所で、大好きな動物と一緒にいられる「身分」を手に入れたと思っている。


 ――……。


「テントウムシ?」


 亜紀は鸚鵡おうむがえしした。


 ――テントウムシに乗った。男の人と女の人……。


 そういうと、神矢はスクッと立ち上がった。


 輪郭くらいしか見えていなかった神矢の身体は、スーッと色が戻って行き……、


 

「僕は、死んでるのか」



 意識がはっきりとしたのだ。


 そのテントウムシに乗っていた男女に何をされたのかを認識したからだ。


 神矢の意識がハッキリとしたところで、ベクターフィールドと大活劇を繰り広げていた動物霊も静まる。


「キューン?」


「クーン」


 ネコやイヌが集まってくる。


「ああ、ごめん。僕のせいだね。ここ、入ってきちゃ行けない部屋だった」


 集まってくる動物霊へ、神矢は謝った。


「お姉さん、どうしたらいいですか?」


 神矢が顔を向けられる亜紀だが、亜紀にも対処方法は分からない。


「べクターフィールド……」


 助けてくれという亜紀のパスを受け取ったベクターフィールドは、一言だけ。


「保護しろ」


 最初は事件を顕在化させ、亜紀を捜査班に含める算段を立てる気でいたベクターフィールドだったが、神矢の姿を見て考えを変えた。


「こいつを殺したのは、俺のかも知れん」



 ベクターフィールドの身内――それは即ちという事だ。



「こいつの死を冥府は把握してないぜ。今、遺体を燃やしたりして冥府に送るのはまずい。せめて魂を確保しないと……」


 この言葉の意味は、後日、亜紀も知る事になる。


 完全な解決は、まだまだ先だという事だ。

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