第3話「名ばかり管理職の魔王の実力」
多目的ルームへ向けられたベクターフィールドの目に今までの言動を加味すると、亜紀にも浮かぶ言葉がある。
「これ、もう行方不明事件じゃない?」
本能的に避けてしまったのは、「死んでいる」という一言だ。
花壇に埋められた犬の死体の、その更に下といわれて生存を想像できるはずがない。
亜紀の本能が隠した単語であるが、ベクターフィールドは遠慮しない。
「殺人だぜ」
「一体、何がどうなって? どういう事情があって?」
亜紀は声を震わせていた。その現実には、決して弱くない衝撃がある。
しかしベクターフィールドも、犯人の動機や事情は全く分からない。
「さァ?」
今、露呈していない物的証拠を察知する能力があるのみだ。
そして物的証拠といえば、この魔王は、人間ではできない事をやってのけられる。
「調べてみるぜ。いつも通り、情報を精査したら持っていく」
ベクターフィールドは愛車を亜紀のアパートの前で停止させた。
「いつも通りに」
車から降り、アパートへ戻る亜紀の背中は、彼女の身長が147センチという事とは別にして、小さく見えた。
「……」
それに対して、ベクターフィールドが思う所は少ない。
――事件化するだけなら死体を掘り出すだけで済むんだが……違うだろうぜ。
もう一度、現場である公園へと愛車を走らせながら、ベクターフィールドは考えた。
亜紀が必要だといった事件の解決とは、「実は殺人事件でした」と解き明かす事ではない。そもそも神矢少年が未成年であるから、防犯課少年班の亜紀も事件に関われている。ただし関われていられるのは、「辛うじて」という言葉がつく。厳密にいうならば行方不明事件は管轄外だ。
殺人となれば、いよいよ亜紀は手が出せない事件になる。
だからこそベクターフィールドがいる。
――まぁ、手はあるけどな。
眷属どころか使い魔すらいない、いうなれば名ばかり管理職の魔王に過ぎないベクターフィールドであるが、称号は見かけ倒しではない。その気になれば亜紀を刑事課へ異動させる事も、また出世させる事とて容易い話であるが、それは亜紀が望んでいない願望である。
合法非合法に関わらず、また現実的な制約に縛られない証拠集めが可能である。その力を、ベクターフィールドは亜紀との契約のために行使する。
もう一度、戻ってきた公園は橙色の陽光を受けていた。
決して温めてはくれない冬の太陽に照らされるベクターフィールドが見上げるのは……?
***
アパートに戻った亜紀は、当然、気落ちする。ベクターフィールドの力を借りて追跡するつもりが、早々と望まない結末に到達してしまったのだから。
連れ去り事件であって欲しかったが、この手の事に関してベクターフィールドは間違えない。
――ベクターフィールドが花壇の下にいるっていうのなら……。
この期に及んで、亜紀は「ある」ではなく「いる」と表現していた。
神矢少年の死体があるのではなく、神矢少年がいるのだ。
アパートの玄関ドアは重い鉄製で、今日は特に重く感じた。
ゴン……と室内に響くドアの音も重い。
しかし亜紀の帰宅を知って居室から掛け出てくるコーギーが、幾分、気分を軽くしてくれる。
「クーン」
亜紀の愛犬・ちまだ。
「ただいま」
少し救われた気持ちになれた亜紀は玄関先に屈み、ちまの頭を撫でてやる。この愛犬の存在が、衝突する事の多い亜紀にとって大きな救いになっていた。
「よし」
亜紀は立ち上がると、キッチンに向かう。ベクターフィールドの調査は早い。また出て行く事になる。
――夕食は簡単につまめるものを、と。
簡単な弁当を作る。三度の食事以外にも、お茶の時間におやつを食べるくらい、食事に拘泥するベクターフィールドだ。
朝食用に用意してある食パンを取り、パンの耳を切り取る。
続いて冷凍庫からレトルトの丼物を取り出すと、レンジに入れるのではなくパンの上に具を並べた。
耳を切ったパンで挟み、そのままホットサンドメーカーで焼けば、ベクターフィールドが好きそうなジャンクなサンドイッチになる。6枚切りのパンは1枚2センチであるから、挟めば4センチ超というのも、ベクターフィールドの好みに合っているはずだ。
「あちち、あちち……」
焼き上がったホットサンドを三角に切り、もう一枚、ホットサンドメーカーに入れたところでアパートの呼び鈴が鳴った。
ピンポンピンポンピンポンと立て続けに3度、押すのはベクターフィールドの癖だ。
「わふ、わふ!」
亜紀が振り向くよりも早く駆け出すちまも、ベクターフィールドが来ていると感じ取っている。
「おぉ、ちまちゃん。相変わらず美人さんだぜ」
玄関のドアを開けたベクターフィールドも、歓迎してくれるちまに対しては浮かべられる表情は笑みしかない。
頭を撫でた後、抱き上げて、ダイニングキッチンへ入ってくる。
「お、いい匂いだぜ。夕飯か?」
くんくんと鼻を鳴らすベクターフィールドに対する亜紀の返事は、「ええ」と短かった。そんな事よりも聞きたい事がある。
「分かった?」
「あぁ」
聞くまでもないだろうといった態度のベクターフィールドは、ちまを給餌器の前に降ろす。
「運がいいぜ」
そして口を開いて出た言葉に、亜紀は眉を潜めさせられたが。
「運がいい?」
「話を聞けるぜ。直接な」
ベクターフィールドが何をいっているのか理解するまでに必要だった時間は、極々、僅かだ。
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