終章

第一話 幸せ






 あれから私と蒼威様は柳瀬家に戻った。


 壊れた屋敷の修復と再生で、ある程度元通りにはなったけれど、まだ直しきれていないところを発見してそれを直したり、まだ落ち着かない日々を送っている。


 それでも、蒼威様と毎朝挨拶ができる。

 それだけでもう私は幸せだった。




「よっ、澄!」


「あ、朱慶様! 珍しいですね、お山を降りてこられるなんて」



 模写をしていた私に声をかけてくれたのは朱慶様だった。

 あの騒動からまだ半月ばかりしか経っていないのに、懐かしい気持ちになる。



「本家に呼び出されたんだよ。蒼威は?」


「蒼威様は鷹無家にいらっしゃると思いますが……」


「ええ、しまったすれ違いか」


 朱慶様は溜息交じりに私の傍に腰を下ろす。



「お山はどうですか?」


「もう元通りだよ。焼けたなんて信じられねえくらいだな。和冴はやっぱりすげえよ」



 朱慶様の明るい表情に、本当にそうなのだろうと思って嬉しくなる。



「ま、織田はしばらくお山には手を出せないだろうな。和冴が織田につぎにお山に手を出したら殺すって言ったみたいだし」



 そんなにはっきり――。その光景を想像して身震いする。



「分家も再編されるってな」



 朱慶様のお言葉に、ずんと心が重くなる。



「はい……。先日蒼威様からお聞きしました。やはり未鍵家、兎波家、冠城家は取り潰すと」


「ま、仕方ないだろ。謀反を起こしたんだから。許すほうが危険だよ」



「そうですよね……」



 でも少し複雑だった。


 水早緒は取り潰しに抗ったそうだけど、一番罪が重いと、遠い国に放逐されることになったそうだ。

 その際に水早緒をはじめこの騒動に関わった人々は魔法の力を封印され、ただの人になるそうだ。


 魔法使いにとっては、屈辱。そう蒼威様に聞いた。


 でも殺されなかっただけ、和冴様は非常に寛大な処置をしてくれたと思う。

 水早緒が心配なのは真実だけど、私はもう水早緒とは縁を切った。

 水早緒には自分のしたことを、罪は罪だとして認めて受け入れてほしい。

 そしてまたいつか、どこかで会えたらいい。



「ま、これで一族の膿は全部出ただろうな。和冴もすっきりしただろう」



 確かに今回の件で不穏分子は一掃された。

 今後さらに鷹無家と分家の絆は固く結ばれていくはず。



「和冴もお家騒動に懲りたのか、今後本家と分家は不可侵だと命じたらしいし」




「え?」



「本家に分家がごちゃごちゃ言うなよ、ってことだよ。兎波家や冠城家はあれだけのことをやっておいて、最後まで和冴にすり寄ろうとしていたからな。ま、線引きは必要だよ。仕事だけはきっちりやってくれたら、あとは互いの家には口出ししないって約束だ。分家同士も裏で手を組んだりしないように、互いに見張りあうようになったと」



 本家と分家。そして分家同士も、お互いに干渉しあわない。


 それはこの先どんな作用を及ぼすのかしら。

 互いに冷え切った関係になるのでは?



「あの、もしかしてそれは、和冴様と蒼威様も、ですか?」


「さあな。あの二人は分家とか本家とか関係なく、幼い頃からの親友だ。さすがにそこは大丈夫じゃねえ?」



 そうなのかな。


 何となく不安になる。

 また蒼威様は、一人で抱え込んでいらっしゃるのでは?


 ここ最近、蒼威様は本家に詰めている。

 あの騒動の後始末でいろいろと動いているらしい。

 だから、しばらく会えていない。

 そう思ったら、急激に寂しくなる。



「……澄って蒼威が好きなのか?」




 唐突に投げ込まれたその丸裸の言葉に、思い切り動揺する。



「す、好き⁉ ええっとそれはあの……」



 恥ずかしくて断言しない私に、朱慶様は否定したと思ったのか、笑顔で頷いた。



「じゃあ、オレの家に来いよ!」


「ええっ」



 朱慶様の家? それって比叡山のこと?



「オレ、お山を降りることになったんだ。分家が減ったから家を興せって和冴が言ってきたんだよ」


「家を興す?」



「取り潰された三家の代わりに新しく家を興すんだと。オレは蒼威のいとこで一族の者だし、他に適当なやつがいないんじゃねえ?」



「そ、そうだったんですね……」



「ああ! 正直お山を降りるなんて考えてなかったけど、まあ織田も引いたししばらくは里で生活してもいいかなって思ったんだ! だから澄も来い!」



「ありがとうございます。下働きでよろしければ、喜んで」



 いつまでも蒼威様の家にいられないのはわかっている。


 仕事を下さるなら、朱慶様のところでも――。



「下働き? 馬鹿言うな。オレは最低でも十人は女を囲う予定だ。その一人に澄も加えてやる!」



 ありがたく思え!と胸を張って、朗らかに笑う朱慶様に、目を瞬く。


 朱慶様は本当に豪快な人だわ。

 明るくて、私の小さな悩みなんて、笑い飛ばしてくれそうだ。

 ふふっと笑顔のまま、口を開く。



「感謝します。――でも、結構です」




 断ると同時に、朱慶様の頭がはたかれる。


 剃髪しているせいか、とても気持ちいい音が響き渡った。

 目線を上げると、蒼威様が呆れた顔をして朱慶様の背後に立っていた。

 少し前に縁に現れた蒼威様は、朱慶様がいることに気づいて、気づかれないように近づいてきていた。

 その姿につい笑ってしまいそうで堪えていたけれど、最後まで気づかれなくてよかった。



「――お前は人の家で何をしている」


「蒼威っ! なんで殴る!」



「何となくだ」



 そう言った蒼威様に、朱慶様はむくれる。



「和冴が朱慶を探していた」


「はあ? さっき会ったばかりなんだが」


「何か思い立ったんだろう。早く行け」



 朱慶様は腑に落ちない顔をしながらも、渋々立ち上がって屋敷を出て行った。


 あとには蒼威様と二人残される。



「今、朱慶様からお聞きしましたが、お山を降りられるんですね」


「……分家が減ったから仕方がない。あいつが戻ってくるとうるさくなりそうだ」


「そうですね……。でも朱慶様がいらしてくだされば、毎日にぎやかで楽しくなりそうです」



 お屋敷をどこに作るかはわからないけれど、本家の周りになるだろうから、簡単に行き来できる距離だろう。



「今後、分家同士は不可侵になる。俺の屋敷の敷居は跨がせないけどな」



 蒼威様は眉を顰めてそう言った。


 あら? 何か怒っていらっしゃるみたい。


 蒼威様の些細な表情から、苛立ちが漏れ出ている。



「蒼威様、何か怒って……」


「お前は何を考えている」


「え――」



 蒼威様に手を掴まれて、体が大きく跳ね上がる。

 絡まった視線は容易に外れてくれない。



「朱慶に屋敷に来いと言われて、下働きでよければなんて言うな」


「あれはただ――」



「ここから出ていくなんて、考えるな」




 蒼威様の瞳が、切なげに歪んでいく。



「俺はお前を手放すなんて、考えていない。朱慶のところになんて行かせない」




 怒っていたのは、もしかして――。


 鼓動が耳元で鳴っているようでうるさい。



 もっと蒼威様の声を聞きたいのに――。



 そう思った瞬間、強く抱きしめられる。




「もう二度と、俺を護るために、自分の命を投げ出そうとするな」




 水早緒が魔法を放った時、思わず蒼威様を護ろうとしていたのを思い出す。


 全て終わって、忙しくしていたから特にこのことについて蒼威様と話すことはなかった。私も何となく自分のしたことを思い返すと気恥ずかしくなって、自分から言うこともなかった。



「……お前を失ったら、と思ったら怖くなった」


「蒼威様……」




「――俺は澄が好きだ。誰よりも特別に想っている」





 耳元で囁かれた言葉に、わっと涙が溢れ出す。


 蒼威様が私のことを……。



「私、蒼威様を失うことのほうが怖かったんです」




 自分を失うことよりも、はるかに。

 気持ちが昂って、目頭が熱くなる。



「蒼威様がいない世界なんて、考えられません」


「澄……」



「依存でもなく、崇拝でもなく、一人の男性として、私は蒼威様が――」




 好き。




 そう告げるとともに、くちづけで唇を塞がれる。



 嘘みたい。


 目じりを涙が伝って落ちる。




 蒼威様は私に魔法をかけてくれた。


 この世界の誰よりも、今、私は幸せだという魔法を――。





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