第六話 転落





「水早緒。蒼威に向けて魔法を放ったことに言いたいことはある? 蒼威を殺そうとした、でいいかな? 結果的に澄も殺そうとしたけど」



 和冴様は水早緒に向かって歩いていく。

 水早緒はがたがたと震えていた。


「結局僕が同じ魔法を放って相殺してあげたけど、そうしなかったら、二人は死んでたね」


 その言葉に、水早緒が放った魔法を自分が受けていなかったことを知る。

 和冴様がレダミスを唱えて水早緒が放った魔法を相殺してくれたことで生まれた衝撃波で、吹き飛ばされていた。


 まともに受けていたら、和冴様がおっしゃる通り、死んでいたかもしれない。




「――君もよく知っていると思うけど、僕はまったく優しくないんだよ」




 にっこり笑う和冴様に、いよいよ水早緒は倒れてしまいそうだった。

 外見は穏やかで、いつも笑顔を絶やさない和冴様。

 今も笑顔なのに、誰よりも苛烈に怒っているように見える。


 水早緒は弾かれたように和冴様の足元にひれ伏した。



「お待ちください! そんなつもりは――! 今も織田様から蒼威様を守ろうとしただけです! 信じてください、和冴様っ!」


「そんな戯言、信じるほど僕は愚かではないよ? 水早緒が織田と繋がっていたこと、謀反を起こそうとしたこと、僕は全部知っている」


「そんな! 嘘です。全部、嘘」


「未鍵で働く者たちから、すでに事情も聞いている。あんまり嘘ばかり吐いていると、僕はますます許したくなくなる」



 水早緒は、和冴様から距離を取ろうとして、ずりすりと座ったまま下がろうとする。



「ち、違います、そう、全部、澄が――。澄が悪いんです! あの子が勝手に逃げ出すから……! どこの馬の骨かもわからない澄を、幼い頃から未鍵家で世話してやったのに、恩をあだで返したんです!」




「水早緒……」



 気づけば水早緒の名前を呼んでいた。水早緒は大きな目をぎょろりと動かして私を見る。



「澄が逃げたから、わたし、取り返そうと織田様と手を組んで――。澄、未鍵に戻ってきて! そうしたらもう元通りなのよ! お願い澄、わたしのもとに戻ってきて!」



 水早緒の言っていることに辻褄が合わない。

 それだけ和冴様が恐ろしいのかもしれない。


 戻ってきて――。水早緒にそう言われたら、嬉しい。

 水早緒の罪だって、いくらでも自分が被る。



 ――そう思っていた自分は、もういない。




 新しい世界に触れて、私はようやく生まれた。




「水早緒。私は未鍵には帰らない。水早緒のもとには戻らない」


「澄っ、あんた騙されてる! 和冴様や蒼威様に入れ知恵されたんでしょ!」




「違うわ。私は今、自分で考えて、自分で決めているの。――私の意志よ」




 ぐらぐらと瞳を揺らす水早緒を、じっと見据える。



「あ、ありえない! あんたは死ぬまでわたしのために模写し続けるのよ! あんたはずうっとわたしの言いなりなの。わたしの言うことだけ聞いていればいいの!」



 美しく、誰よりも凛としていた水早緒はどこに行ってしまったのかしら。


 髪を振り乱し、すがりつくこの人は、誰――?


 ふらりと立ち上がり、水早緒のもとに歩み寄る。

 土の上に膝をつき、水早緒をじっと覗き込む。



「私はもう未鍵に戻らない」



 水早緒の目を見てもう一度はっきり告げると、水早緒は顔色を変える。



「戻らないなんて許さない! あんたは未鍵のものなの、謝るから、戻ってきて」


「謝られても、私は戻らない。水早緒、もう嘘を吐くのはやめて、全部和冴様と蒼威様に包み隠さず話して。嘘を吐けば吐くほど、水早緒は罪を重ねることになる」



 水早緒は呆然と私を見ていたけれど、すぐに弾けるように口を開き、そこから罵詈雑言がとめどなく飛び出してくる。



「……水早緒、もうやめて。水早緒は、本当はとても優しい――」


「あははっ! 私が優しい? それはあんたを未鍵家に留まらせるために演じていたのよ! 馬鹿じゃないの⁉ 何にも疑わないなんて、あんたって本当に愚かすぎる!」



 爆発するように叫んだ水早緒に向かって、にこりと微笑む。



「演じていたとしても、私が知っている水早緒は誰よりも気高くて、優しかった。路頭に迷って食べる物もなくてもう死ぬんだと悟った時、水早緒が私に駆け寄ってきてくれた」



 美しい水早緒に、幼い私はまるで菩薩様だと思った。



「私が水早緒に救われていたのは本当なの。嘘でもなく、水早緒が私を生かしてくれた」


「……澄」




「――水早緒。私はもう戻らない。今までありがとうございました」




 手をついて、深く頭を下げる。


 決別。


 完全にこの瞬間、私たちの道は分かたれる。

 立ち上がった私を、水早緒は呆然と見つめている。


 足を引くと、大きな手が肩に置かれた。

 顔を上げると蒼威様が私を支えてくれていた。



「今後澄に手を出したら、俺はもう容赦はしない。肝に銘じておけ」




 蒼威様……。


 水早緒は私に縋り付こうとして浮かせた腰を下ろし、よろよろと座り込む。



「この先、澄に手を出せるかどうかはもうわからないかな。水早緒。君には罰を受けてもらうよ。どう落とし前をつけるかは君次第かな」



 和冴様のそのお言葉に、水早緒は髪を振り乱して叫んだ。



 ――君次第。


 包み隠さず全てお話して反省して悔いれば、和冴様は寛大な沙汰を下してくださるだろう。



 でも今の水早緒では……。



 かつて信じていたものが転落していくのを見るのは悲しい。

 私にはもう、どこか遠い場所で水早緒が改心するのを祈ることしかできない。



「さて、織田にも、包み隠さず話してもらうよ」



 和冴様は、今度は織田様に目を向ける。




「すでに気づいていると思うけれど、刈海かるみ家が出てきたこと、よく考えるべきだね」



 刈海家。


 聞いたことがないお名前。でも、織田様はじっと和冴様を見やる。

 いえ、和冴様の背後に立つ、玲様を見ていることに気づいた。



「……鷹無家は帝を表立って護り、帝の隠密頭おんみつがしらである刈海家は裏から護る、か。陰と陽の二家が揃うのは、有事の時のみ、だったな」




 織田様は淡々と呟いた。



「そうだね。僕は今、自分の家のお家騒動を諫めるためにここにいるんじゃないよ。織田が比叡山を焼こうとした有事を止めるために刈海家と来た。帝の勅命だよ。だからなぜこのようなことをしたのか、帝の前で申し開きをしてもらうからね。包み隠さず話すことが解放する条件だ。そうでないと、命を落とすことになるだろうけど」



「……わかっている」



 織田様は頷いた。



「あともう一つ、」



 冷たい声に、織田様は顔を上げる。



「僕ら鷹無家とその一族は、帝をお護りするために存在する。僕らは天下には興味がないし、織田に降るつもりはない。お互いの領域を冒さずに静観していてくれたら、僕らだって君のすることを静観する。今までだって、僕はそうしてきたんだけどね」



 確かに和冴様は、ずっと放置――静観の姿勢を崩さなかった。




「帝の命令で、この先君の戦やもしかしたら他の武将の戦に関わることはあると思うよ。僕らだって帝の命令とあれば断るつもりはない。ただ、僕らの間に必ず帝の存在があることを忘れるな」




 織田様と和冴様はしばらく見つめ合う。



「……承知した。金輪際鷹無家とその一族には手を出さん」



 悪かった、と織田様は口にした。

 まだこれからどうなるのかわからない。



 でも、ひとまずこの戦の終幕を迎えらえることに、心から安堵していた。



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