第四話 比叡山



 お堂の中の一室に通されて、三人車座になって座る。

 ここにいていいのかしらと思ったけれど、特に二人は退出しろとも言わずに話し始める。



「今回、柳瀬が急に魔法で襲われた。恐らく、澄を取り戻そうとした未鍵家の仕業だろうと思う」


「なるほどな。そういうことか。確かに模写で売っている未鍵家から模写師が消えたら大騒ぎになるな。もしや、最近模写を作れないと聞いたが、澄がいないからか」



「ああその通りだ。澄を匿ってから毎日未鍵から使者がきて、澄を返せと非常に煩かったが、すべて無視をしていた」



 その言葉に、やはり蒼威様が盾になって私を護ってくださっていたのだと確信する。



「ははっ、蒼威お得意の無表情で無視かあ。それは未鍵も腹を立てるな」


「うるさい。だが、未鍵家は模写に特化した家。実際に襲ってきたのは別の家の魔法部隊だろう」


「だろうな。柳瀬が襲われたと聞いて、魔法で偵察した。どうやら兎波家と冠城家が動いたみたいだぜ」


 やっぱり。そう思って、腿の上の拳を強く握る。



「俺の家臣たちは大丈夫か?」


「ああ。特に被害もなく本家と合流していると報告が入ってる。和冴のところにいるのなら、命の心配はしなくていい」


「そうか」


 ほっとしたように、蒼威様が息を吐く。

 蒼威様は朱慶様に私が未鍵家に来た経緯や、攻撃されるまでに起こったことなどを説明していく。




「――……間違いなく、分家を唆したのは、織田だ。織田は鷹無家の魔法部隊を直属の家臣にしようと企んで引き抜きを実行した」


「それに乗ったのが、三家か」


「ああ。五家ある分家のうち、三家を引き抜いた形だ。柳瀬と楯岡は引き抜きを拒絶した。それで終わる話だったが、さらに柳瀬を攻撃してきた」



 朱慶様が神妙な面持ちで頷く。




「織田は恐らく、澄がいない未鍵に価値はないと思っている」




「そうだろうな。模写もできず、魔法部隊も持たない未鍵なんて、オレもいらん。ただのお荷物だ」


「織田は未鍵に澄を取り戻せと命じたのだろう。そうでなければ交渉は決裂だ、とかな。だから実力行使に踏み切った。でも結局俺と澄が逃げたことで失敗に終わった」


「阿呆だよな。オレだったら絶対に蒼威が屋敷にいない時に襲うけどな」


 確かに朱慶様のおっしゃる通りだ。でもあの時――。



「実は疲れが溜まっていて、元々あった予定を急遽変更して誰にも言わずに屋敷で休んでいたんだ。未鍵が俺を探った時点では、屋敷にいない時間帯だったんだろう」



 蒼威様が一人で部屋の片隅で休まれていたのを思い出す。



「そりゃあ幸運だな。神も仏も蒼威と澄に味方してるぜ」


 ははっと朱慶様が明るく笑って蒼威様の肩を叩く。


「幸運だった。だが結局朱慶を頼るしかなかった」


「それは野暮な話だ。未鍵や他の分家はオレと蒼威の関係も一族なのだから知っている。どうせ織田にもすぐに蒼威がお山に来たことも露見するだろう。来なくても、蒼威が消えたとあれば、どうせお山も疑いの目を向けられて、それが火種になって戦になるだろうよ」



「すまない。だが……織田が出るかはわからないがな」



「馬鹿言うな。織田も必ず参戦してくる。未鍵・兎波・冠城の連合軍が蒼威の屋敷を襲ったのにも関わらず、捕らえられなかったんだぜ? 織田の中では【使えない】とみなされるだろう。あいつは、使えるか使えないかだけで人を判断するような男だ。使えないならもう面倒だから自分が出るとなるだろうよ。それに織田とオレたちには因縁がある。織田がここに攻め込むいい口実だと考えるはずだぜ」



 声音から、朱慶様が徐々に高揚していくのが伝わってきた。

 単純に、戦えて嬉しい、と言っているような気がする。



「ああ。……朱慶、俺とともに戦ってくれるか?」



 朱慶様の口元が、みるみるうちに上がっていく。

 そして一気に破顔した。



「もちろん! これでようやく正面切って織田と戦えるぜ! あいつは本当にねちねち腹立つ攻撃ばかりしてきやがったんだ。蒼威や和冴に止められて辛うじて踏み止まっていたが、オレの堪忍袋の緒が切れるのも時間の問題だったんだぞ! 今までの恨みつらみ、ようやくはらすことができる! あーもう、さいっっこうだな!」



 爆発するように叫んで跳ねるように立ち上がった朱慶様を蒼威様が引き留める。



「待て。和冴は合流しないだろう」


「え?」



 思わず声を上げる。和冴様は、助けてくれない?



「――わかってる。お山は絶対にオレたち僧兵が護る。和冴が出るまでもねえよ。――とにかく!」



 突然朱慶様は私に目を向ける。




「澄は模写しろ! いいな!」




「は、はいっ! もちろんです!」



 私が頷いたのを見て、朱慶様は足早に去っていく。部屋の中には蒼威様と二人残された。


「すまん。朱慶は血の気が多い」


 その言葉に意識を引き戻される。


「いえ……。大丈夫です。あの、和冴様はお助けくださらないのですか?」



「今回は相手が悪い。鷹無家は元々帝直属の魔法部隊だ。だが帝は織田に庇護されている。当主である和冴が出てきて織田と対立すれば、帝にも対立したとみなされるかもしれない。織田がこの騒動で帝の庇護をやめたら、帝の立場も危うくなる」


「確かにそうですね……」


「今回は分家同士が争っている、としか外からは見られない。未鍵家と手を組んでいるのが織田だとわかっていたとしても、こちらから手を出すのは鷹無家の立場的に危うい。だが、もし朱慶が言った通り、織田からこの分家同士の争いに首を突っ込んで来たら、和冴は分家を諫めるのと同時に、織田と戦う正当な理由ができる。織田が出てこなければ、分家を諫めるだけで終わってしまって、真の黒幕には手を出せない――、そういうことだ」



「織田様を何とかして戦場に引き出す、ということですか……。朱慶様は黙っていても織田様は来るというような感じでしたが……」


「ああ、そうだな。ここは比叡山延暦寺だ。織田家と比叡山は元々対立しているが、ここしばらくは決着がつかずにくすぶり続けている」



 比叡山、延暦寺。


 ほとんど未鍵から出たことがない私でも、その名は耳にしたことがある。

 たまに水早緒から、京の東の山の上に別世界みたいな場所があると聞いていた。



「昨年の姉川の戦いで、織田に敗れた浅井家と朝倉家を比叡山が匿って、織田の怒りを買っている。さらに比叡山がこの騒動で柳瀬家に手を貸したとなれば、織田は柳瀬家も延暦寺も一緒に潰せる好機とみなして必ず出てくる」



 姉川の戦い。


 そういえば、未鍵を出る数日前に、水早緒からその戦いの名を聞いたのを思い出す。



 話がどんどん大きくなっていく。


 比叡山延暦寺がどれほどの規模のお寺なのか正直よくわからない。

 でも、あの織田様と戦って決着がつかないままなのだとしたら、とてつもない兵力を抱えているのは何となくわかった。



「比叡山延暦寺というお寺は、鷹無家と何か関係があるのですか? 朱慶様はここの僧侶なのでしょうか? 朱慶様がいらしても、私たちが急にここに来てすんなりと匿ってくださるようには思えません」



 出迎えてくれた僧侶たちは武装していた。

 突然助けてくれと言っても、疑われて殺されるかもしれない。



「代々鷹無家とその一族は延暦寺を菩提寺にしている。支援の額も大きい。一族の者が出家し、僧兵たちを抱き込んだ独自の魔法部隊を作り、延暦寺を護ってきた歴史もある。いわば、延暦寺の魔法部隊も鷹無家の分家の一つのようなものだ」



 分家の一つ。


 比叡山と織田様の仲が悪いのも、鷹無家の息がかかっているのが気に食わないとか……。

 きっといろいろな理由はあるだろうけれど、その中の一つではないかしら。



「一族の者が出家とは、朱慶様がそうですか?」


「ああ。朱慶は俺より一つ下のいとこだ。柳瀬の者だが、俺が当主となった時に出家して比叡山に移った。今は比叡山の魔法部隊の長を務めている。俺に何かあった時には戻ってくることにはなっているがな」



 何かあった時。それは、蒼威様が命を落とした時?

 心がざわめく。

 でも、戦に出るということはそういうことなのだ。



「蒼威様、先ほど朱慶様がおっしゃっていた通り、私に模写させてください」



 私があの夜未鍵家から逃げ出して始まった一連の騒動。

 私一人護られて、蒼威様や皆様が血を流すのを遠くから見ていたくない。


 私も、戦いたい。



「蒼威様、私を戦場にお連れ下さい」



 ぐっと拳に力を入れる。



「澄、お前は――」


「今、蒼威様は家臣の方もお連れではありません。もし蒼威様の解読者の方がいらっしゃらないようであれば、私に解読させてください」



 私だって解読者の端くれだ。

でも一度しか魔法を使ったことがないし、戦場で解読なんてしたことはないけれど蒼威様のお力になれるのなら……。



「家臣の方と合流するまでで結構です。私も蒼威様をお守りしたいんです」



 お願いします、と頭を上げる。


 蒼威様はしばらく黙ったままだった。特に何もおっしゃってくださらなくて、緊張感があたりに満ちる。


 迷っていらっしゃるのかも。


 私に背を預けるなんて、抵抗感があるのもわかる。比叡山には魔法部隊があるのなら、その中から誰かお手伝いくだされば、別に私が解読しなくてもいいのはわかっている。でも――。


 まだ頭を下げたままだった私の肩に大きな手が置かれ、顔を上げさせられる。



「……正直危険すぎるから澄を前線には連れて行きたくない」


「そ、そうですか……」



「だが、ここに澄を一人残して出陣するほうがもっと不安だ」


「それは――」



「絶対に俺から離れるな。約束できるか?」



「はいっ! もちろんです!」


「そうか。なら――、よろしく頼む」



 その言葉が信じられなくて、蒼威様の目を見つめたまま、呆然とする。



「が、頑張ります」



 呟くと、蒼威様は笑みを見せて頷く。


 こんな重苦しい状況なのに、まるで別の世界に飛び込んだみたいだった。


 触れられた肩が熱い。

 優しい笑顔に、くらくらする。



「俺たちが比叡山に逃げ込んだのは、未鍵家たちには数日内には伝わるはず。準備などがあるだろうから、恐らく実際に戦闘が始まるのは、もう少しあとになるだろう。それまで澄は模写をしてくれるか? 今お前の箱の中には、花を咲かせる魔法しか入っていないだろう」



 そう言われて、気づく。



「あっ、確かにそうでした。戦場で使える魔法なんて一つも……」


「朱慶に頼んで戦闘魔法の魔導書を比叡山の魔法部隊からいくつか借りてこよう。それを模写して、まずは自分の箱に収めるといい」


「わかりました。すぐに取り掛かります」


「疲労を感じたら休憩しろ。無理はしなくていい」


 蒼威様は私の心配をして、部屋から退出する。さりげない優しさに、さっきから鼓動が速い。

 私、蒼威様のことを特別に想っているのかしら。


 そう考えると、さらに鼓動が速まる。


 蒼威様をお支えしたいと思うこの気持ちは――、もしかして……。



「澄、こちらへ。朱慶が模写師の部屋に案内してくれた。……どうした?」


 急に現れた蒼威様に、思わず距離を取る。


「い、いえ。別に。ぼうっとしていたので、少し驚いただけです」


「……そうか。来い、案内する」



 蒼威様の背を追って、縁を歩く。


 自覚すると、まるで一気に色づくように、世界が美しく輝き出す。



 今までずっと別の道を歩いてきて、気まぐれのようにお互いの道が重なった。


 でもそれは、一時のこと。

 この騒動が終われば、また別々の道に歩き出す。

 そうわかっているのに――。


 蒼威様はある部屋の前で足を止めて中を覗き込む。

 私も蒼威様の影から部屋の中を覗き込む。


 すると――。



「すごいっ……」



 思わず声を漏らしていた。


 正面に一体の巨大な仏像が安置され、その周りにも数体の仏像が並んでいた。

 とても広い部屋の中には整然と文机が等間隔で並び、三十人ほどの人々が机に向かって模写している。彼らは剃髪している者もいれば、女性や子供もいた。

 壁際には整然と書が並び、その膨大な量に驚かされる。



「大講堂が模写室になっているそうだ。自由に使えばいいと朱慶が言っていた」



 橙色の光の玉がふわふわと浮かび、部屋の中を明るく照らしている。

 模写師たちは仏様に向かいながら、無言で紙に向かっている。


 その姿はどこか神聖で荘厳。


 思わずため息を吐き、目を細める。



「一つの魔法を何人もの解読者が順に模写して数を増やしているんですか? すごい……」



 彼らの手元にある紙は、青白く光り輝いている。

 あれはまさしくアサナトの魔導書の一片。


「あの、是非私にも模写させてください!」


「ああ。空いている席ならどこでも使っていい。俺が戦場で使えそうな魔導書をいくつか持ってくるから準備をしていてくれ」


「はいっ!」


 蒼威様はすぐに壁際に置かれた書物の中から、何枚か魔導書の一片を持ってきてくれた。



 やはり私は、模写が好き。




 手をかざすと聞こえてくるあの美しい歌声も、ほんの少し模写から離れていただけなのに、涙が出るほど懐かしく思える。


 模写に没頭する。


 ずっとこうしていたい。

 素直にそう思っていた。

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