第三話 逃げる





「ガナリア!」



 蒼威様は差し出していた左手で私を掻き抱き、右手であの赤い杖を庭に向けて振った。

 その瞬間、私たちを護るように光の盾が出現し、耳をつんざく爆音と衝撃が襲った。


 私はなすがまま、蒼威様の胸に顔を埋め、目を閉じることしかできなかった。


「澄、大丈夫か」


 その声に、我に返る。


「は、はい。今のは――」


「魔法で攻撃された。まさかもう未鍵家が動いたのか?」


 呟いた蒼威様に、ぞっと背筋が凍る。

 先ほどのお話を思い返すと、狙われているのは、私――。

 言葉を返す前に、二度、三度と、さらに傍で爆発が起こる。でも瞬時に半円の光の盾が、屋敷全体を包み込む。



「これは……」


「先ほどの、魔法の盾の中級魔法だ。俺が使ったガナリアは初級魔法だ。家臣たちがかけたのだろう。しばらくは大丈夫だ」



 中級魔法は魔導書の一片を所持した上で、解読者と詠唱者の二人で唱えなければならない魔法だ。

 これほどの威力だなんて、すごい。



「蒼威様っ! どこにいらっしゃいます!」



 家臣たちがあわただしく動き出す。

 蒼威様は立ち上がり、私を連れて縁に出る。



「ここだ! 本家の状況はどうだ!」


「本家からは連絡はありません! 目視でも特に本家が攻撃されている様子はありません!」



「わかった。――ユジット!」



 蒼威様が振った杖から、白い鳥のような形代が一気に空に向かって飛んでいく。



「恐らく狙われているのは俺だ。被害が拡大しないうちに離脱して山に入り、一旦立て直す。皆もすぐに屋敷を出て本家に向かい、状況が整うまではひとまず和冴の傘下に入れ。今、和冴に形代を飛ばして連絡しておいた。このままここにいては危ないから早く行け」


「はっ!」



 家臣たちは各々散り散りに駆け出す。


「蒼威様が狙われているのではなく、私では……」


 震える声で呟くと、蒼威様は静かに私を見下ろす。


「俺がと言えば、角が立たん。あいつらは反発することなく和冴のもとに向かえる」


「申し訳ありません……。私のせいでこのような惨状、どうお詫びしたら」



「屋敷が壊れても、あとで修復の魔法をかけるから元に戻る。だから気にするな。ただ命だけは戻らない。これを失ったらどうしようもない。だから一度引く。澄、俺とともに来い」



 差し出された蒼威様の左手を、今度こそ握る。


「ご迷惑をおかけします……。本当に申し訳ありません」


 一人では何もできない無力さに、打ちひしがれる。



「謝るな。これは分家の内紛を諫めることができなかった俺のせいだ。起こるべくして起こったことだ。澄が悪いわけではない」



「そんな……」


「今この議論は不毛だ。行くぞ」


 こくりと頷いて、二人で駆け出す。

 蒼威様は私を連れて屋敷の奥まで足を進め、かかっていた掛け軸に向かって杖を振る。



「リベアス!」



 開錠の初級魔法。ガチャリと音を立てた途端、掛け軸がかかっていた壁一面が動き出す。そしてその奥に暗い道が地下に向かって伸びていた。


「来い」



 蒼威様に促されるまま、その暗い道に入る。私たちが足を踏み入れると同時に足元を明るく照らす光の玉が出現する。

 壁が元のように戻り、私たちの行く末を照らすのはその光の玉だけになった。

 私たちはその光に従うように、ひたすら無言で歩き続ける。

 どれくらい歩いたのかわからなくなった頃、前方に扉が見えた。

 蒼威様が再び開錠の魔法を使うと、扉がゆっくりと開く。



「――蒼威様。ようこそお越しくださいました」


「すまない。世話になる」



 扉の向こうは、屋敷と同じような建物が建っていた。

 でも、髪を落とした若い男性数人が私たちを神妙に見守っている。


 ここは、どこ?



「すぐにご案内します。どうぞこちらへ」



 案内されると、蒼威様と二人、牛車に乗せられる。またここからどこかに移動するのかしらと思っていると、外にいた剃髪した男性が、牛車に向けて杖を振った。



「――フェイル!」



 彼の杖から放たれた銀の光は、牛車の車輪に吸い込まれる。

 そうしてまだ牛も繋いでいなかったのに、勝手に動き出した。


 蒼威様が小窓から外にいる人に向けて声を上げる。



「感謝する。お前たちもすぐにここから撤退しろ」


「かしこまりました。あとで、お山で会いましょう」



 深々と頭を下げたのを見た。――でも次の瞬間、一気に世界が移り変わる。



「――ひっ!」



 まるで猫が飛び跳ねて駆けていくように、牛車は猛烈な速さで走っていく。


「あぶ、危な……!」


 ひゃああと、牛車の床に額をつけて震えていると、不意に誰かがくすくすと笑っているのが耳に入ってきた。

 おそるおそる顔をあげると、蒼威様が肩を震わせていた。よく見ると、その唇は堪えきれないように笑んでいる。



「なぜ……笑っているのです」



 ムッとして咎めると、蒼威様は私から顔を背け、ご自分の手で口元を隠しながらさらに肩を震わせる。


「いや……何でもない」


「何でもなくはないです! 私が恐ろしがっているのを笑うなんて――」



 あれ、笑う?


 蒼威様が笑って……?




「ははっ! すまない! 澄が必要以上に恐ろしがっているのがどうにも……」




 蒼威様は私に向けて一気に破顔する。


 このような満面の笑み、初めて見た。


 牛車の車輪以上に、私の鼓動も速くなる。



「は、初めてこのようなものに乗ったので、恐ろしがるのも当然です……」


 言い返してはみたけれど、蒼威様に私の心のすべてが向かってしまう。

 笑っている蒼威様は、いつもの蒼威様とは全然違う。

 誰も寄せ付けないような冷たい空気をまとっているのに、笑顔になっただけで、陽だまりの中にいるみたい。


 こんな状況なのに、心が浮遊する。



「そうだな。悪かった。これは魔法道具だ」


「魔法道具?」


 浮遊している心を鎮めるために尋ね返すと、蒼威様は頷いた。



「魔法をかけることで動く機械だ。さっきもこの牛車の車輪に速さを生み出す魔法をかけた。そのおかげで機械が動くことで、このように早く走れる。起動時だけは魔法を使わなければならないが、長時間魔法を使いたい時などに魔法道具に頼れば、魔力を使わずに済むからとても便利だ」



 魔法を唱えると、疲労すると聞いたことがある。


 詠唱者は、立て続けに魔法を使うと魔力を失って倒れるらしい。



「そうだったのですね。でも速すぎます……」


「大丈夫だ。人や物も自動で避けてくれるし、道も勝手に最短距離を探してくれる」


「便利すぎますね……」


 とりあえず安心なのだとわかって、ようやく息を吐く。



「あの……、襲ってきたのは、未鍵家でしょうか?」



 深く考えたくはなかったけれど、蒼威様がどう思っているのか聞きたい。



「恐らくな。だが未鍵家は魔法部隊を持たない。遠方から攻撃されたから誰がとは決めつけられないが、実行部隊は兎波家や冠城家、もしくは織田家かもしれないとは思っていた」


「そう、ですよね……」


「先ほど会った僧侶たちも特に本家に関しては何も言ってこなかった。急使もない。とりあえず和冴は無事だろう」



 確かに、先ほど会った剃髪の男性たちは、一切鷹無家のことを口にしなかった。

 それにしてもあの方たちは【僧侶】なのか。

 今まで絵物語の中でしか見たことがなかったけれど、本当に髪を落としているのね。



「恐らく俺たちが着くころには、情報も集まってきているだろう。それを聞いてから立て直す」


 着くとはどこに……、と尋ねようとした時、急に牛車が止まった。


 蒼威様は倒れ込みそうになった私の腕を掴んで、留めてくれる。

 こ、怖かった……。転がって頭を打つかと思った。


 慄いていると、牛車の後ろの御簾があげられる。



「お待ちしておりました。蒼威様」



 声をかけられ、蒼威様が牛車から降りる。私も続いて降りようとした時、蒼威様が手を貸してくれた。

 地面に足が着くと、圧倒されて足元がおぼつかなくなる。


 美しく巨大なお堂が、私たちを取り囲むように聳え立っている。

 重厚な柱で構成されたそれは、どっしりとしていて、自分がどれだけちっぽけなのか訴えかけてくるようだった。

 こんなに大きな建物を見たのは初めて。

 お堂には五色の布がかかり、風に吹かれてたなびいている。

 布の奥には、人の形をした何かが座っていた。

 布が揺れるたびに、その姿がちらりと見える。

 ただそれだけなのに、なぜか神々しく、いつまでも眺めていたくなる。自然と手を合わせて深く礼拝をしたくなった。



 ここは一体、どこ?


 まるで異世界に入り込んだような――。




 呆然と周囲を眺めていたら、気づけば私たちの周りには、先ほど会った剃髪の男性と同じ姿の男性たちが立っていた。


 僧侶の方々? だとしたらここはお寺、かしら。

 こんなに多くの人を見たのは初めてで、思わず蒼威様の手を強く握る。




「久しぶりだな、蒼威」




 背後から声をかけられ、警戒しながら振り返る。

 そこには豪華な赤の装束を纏った剃髪の男性が立っていた。

 蒼威様や和冴様よりも少し年下か同い年くらいかしら。蒼威様と張り合うほどの美丈夫だ。



「――しばらく匿ってくれ。朱慶しゅけい



「もちろん。蒼威の頼みなんて初めて聞いたぜ。で、どうした」


「分家連中が裏切って、柳瀬の屋敷が破壊された」


「蒼威の形代からの連絡で攻撃されたことはわかった。蒼威が来るまでに状況を探ったから、相手は分家だというのもわかってる。蒼威が分家を諫められなかったなんて、何があった。腹でも壊してたのかよ」



 朱慶様は面白いとでも言うように朗らかに笑う。



「分家は恐らく、織田と手を組んでいる」




 蒼威様が告げた途端、朱慶様は纏う空気を一気に変える。



「……織田、か。なるほど、そういうことか」



 釣り上がった目、潔い眉。でも唇は楽しそうに弧を描いている。

 彼の背後に燃える炎が見えるよう。



「澄、朱慶と言う。俺のいとこにあたる」


「朱慶だ。よろしく!」



 蒼威様のいとこ?



「はじめまして! 雉子間澄と申します」




 深く頭を下げると、くすくす笑う声がする。顔を上げると朱慶様が私を見ながらにやにや笑っていた。



「なるほどなあ。蒼威はこういう女がいいんだな。初めて知ったぞ」


「……澄は元々未鍵家の模写師だ。わけあって柳瀬で匿っている」




「未鍵の模写師? 嘘だろ! 戦の前にすげえ幸運だ。未鍵が作る模写は初級魔法が中級魔法に、中級魔法が上級魔法になると聞いた。よし、澄! 模写しろ!」




「は、はい! 喜んで!」



「今はやめろ。とりあえず先に状況を説明する」


 蒼威様は疲れたように頭を振る。

 朱慶様は蒼威様と私を連れて、お堂の中に案内してくれた。



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