第六話 素敵






「こんにちは、澄」


 声をかけられて裁縫をしていた手を止めて顔を上げると、そこには玲様がいた。


「えっ、玲様⁉ お久しぶりです。いかがされました?」



「蒼威に会いにきたんだけど、いる?」


「蒼威様は仕事で出ておりますよ。本家にいらっしゃるのでは?」


 今日も朝早くから屋敷を出て行った。

 最近忙しくされているようだけど、大丈夫かしら。



「それが本家にいなかったのよね。和冴はいたから一通り文句は言えたからすっきりしたけど、蒼威にも文句を言いたくて」


「玲様と蒼威様や和冴様はとても仲がよろしいんですね!」



 文句も遠慮なく言えるというのは、とても羨ましい関係だ。


「そうでもないのよ。ただの幼馴染の腐れ縁」


 玲様は苦笑して私の傍に腰を下ろす。


「玲様は仕事相手だとお聞きしましたが、そんなに懇意にされているということは、鷹無家の一族の方ですか?」


 私とはたまにこうして訪ねてきてお会いするくらいだけれど、結構頻繁にお二人に会われているのではないかしら。



「わたしは鷹無家の一族ではないわ。ただ幼い頃から仕事の関係でよく会うだけ」



 仕事、ということは帝がらみなのかしら。

 よくわからずに聞いていいものかと迷う。でもはっきりおっしゃらないところを考えると、あまり触れないほうがいいかもしれない。



「えっと、幼い頃、蒼威様や和冴様はどのような感じだったのですか?」



 話を変えようと口を開いたら、勝手にそんなことを聞いていた。



「二人とも全然今と変わらないわよ。和冴は変に達観してるけど、とにかくやることが幼稚で。やるなってことばっかりしてたわ。なんであんなひねくれているのかしら」



 玲様は呆れたように溜息を吐く。

 何となくその様子が想像できて、思わず苦笑する。


「蒼威は無口。でも周りをよく見てた。二人とも全く今と変わらないわねえ」


 懐かしそうに玲様は目を細める。


「あとは、蒼威は魔法よりも剣術に没頭してたかな」


「剣術?」


「そう。考えすぎた時は体を動かすのに限るって言って、馬鹿みたいに剣の練習をしてたな」


 蒼威様はいつも佩刀しているけれど、ここにいる男性は大抵佩刀しているからあんまり深く考えなかった。


 今度見てみたいな。



「和冴は魔力だけは強いから、それに慢心してた。蒼威と一緒に剣術でも習えって言ってたのに、刀って重いから無理って言ってそれきり。杖より重い物が持てないなんてほんと腹立つこと言ってたわ……」


 いろいろと思い出したのか、玲様は般若の形相になる。


「玲様も何かされていたんですか?」


「私? 私も蒼威と同じよ。体を動かすのが好きで、剣術じゃないけど、体術ばっかり。一度本気で和冴を蹴り倒して、ものすごく怒られたなあ……。でも和冴を負かした時、最高に楽しかった」


 その時のことを思い出したのか、玲様は般若の顔からものすごくすっきりした顔になった。

 その表情の変化が面白くて、つい噴き出して笑う。



「喧嘩するほど仲がいいんですね!」


「……そういうわけじゃないんだけどね」



 玲様は照れくさそうに笑った。



「わたしの家も、和冴の家と同じようなもので結構大きいのよ。幼い頃からいろいろ苦悩しているの。そういう意味では本当に分かり合えるのは和冴よね。多分和冴もそう思ってる」



「玲様は、和冴様か蒼威様をお慕いして……?」



「ふふっ、そんな時期、あったかも忘れちゃった。今は乱世だから鷹無家と行動をともにしているけれど、本来ならわたしたちは出会うことなんてなかったはず」



 玲様は玲様の背負っているものがあるのだと、その言葉から知る。



「それにわたしが跡取りなのよ。わたしのすることに文句を言わない優しい男性を捕まえるの。あの二人は絶対駄目」



 何不自由なく生きているように見えた玲様は、どこか窮屈な環境の中でいるのだと察する。


 でも、特に恨みつらみを吐くこともなく、すべてを受け入れているお姿は、とてもしなやかでたくましい。



「――ところで、澄はどうなの?」



「え? 私、ですか?」



「そうよ。ここにお世話になっているけど、蒼威とは? もしやの和冴? 和冴だけはやめたほうがいいって言っておく。振り回されて捨てられるのがオチよ。現にそういう女、何人も見ているし」



 玲様は和冴様にはとても辛辣だわ。


 でも、その態度の裏に隠された何かがあるのかもと思うのは私だけ?



「お二人ともとてもよくしてくださいますが、特に何もないですよ」


「嘘よ。蒼威は? 澄は蒼威のことをどう思っているの?」



 私は蒼威様のことを――。



「えっと、いつも仏頂面ですが、でも優しい人だと思います」




 玲様はきゃあと華やかな声を上げる。

 思い返せば、水早緒以外の女性と、こんなにも話したのを初めてかもしれない。

 玲様は分け隔てなく接してくれるし、こういうお話は、なんとなくこそばゆいけれど、秘密を共有しているようで、なんとも楽しい――。



「蒼威のことを優しいだなんていう人に初めて会ったわ。冷血漢とか無慈悲って言われてるのよ。あいつ無駄に顔ばかりいいのに、一切人を寄せつけないし、苦手って意見が大多数。澄、わたし別に告げ口しないから、本音を言ってもいいのよ? さりげなく注意しておくから」



 本音……。そう思って逡巡する。


 でもどう思い返しても、蒼威様は優しい人だと思う。



「やっぱり優しい人です。細やかな気遣いができる方ですし、責任感もあって、頼りがいがありますし、蒼威様はとても素敵――」


「澄、干菓子をもらった。食べるか――……」



 突然襖をあけたのは、蒼威様だった。

 私の他に玲様がいるのを見て、目を丸くし、無言で襖を閉めようとする。


 え、もしや、今の聞かれて――。


 引き留めようとする前に、玲様が俊敏な動きで襖を押さえた。



「ちょっと、挨拶くらいしなさいよ。蒼威」


「逆だろう。この家の主は俺だ。まずは玲から挨拶しろ」


 蒼威様は私に干菓子を手渡し、退出しようとする。



「うるさい。あのね、今日は文句を言いにきたんだから!」


「やめてくれ。玲の文句は長い。疲れる。どうせ和冴のことだろう。本人に直接言ってくれ」


「もう言ったわよ。それでも腹の虫がおさまらないから蒼威に文句を言いにきたの」


「なぜ俺に……」



 蒼威様はがっくりと肩を落とす。玲様は蒼威様の腕を無理やり引いて、その場に座らせる。




「今ね、澄が蒼威のことを素敵だって!」




 早速の裏切りに言葉を失う。

 さっき、告げ口をしないとおっしゃったのに!


「れ、玲様!」


「どうせ聞かれたわよ」


「聞かれた? 何のことだ」



「だから、あんたのことを優しくて、気遣いができて、すごーく素敵だって澄が言ったの」



 なぜかものすごく【素敵】を強調された。頬がみるみるうちに熱くなる。

 蒼威様は、心底驚いたのか、大きく目を見張った。



「え? 聞こえてなかったの?」


「な、内容までは。何か話していることは気づいたが、相手が玲だと思わなかった。下女とだと思ったから、特に――」



 蒼威様の声が、少しだけ揺れている。

 もしかして、動揺してくださっている?

 ちらりと目線を上げて蒼威様を窺うと、ばちっと目が合った。

 慌ててお互い逸らす。


「あら、そうだったの……、ごめん澄」


 玲様が早とちりだったと私に謝ってくれる。


「いえ、そう思っているのは真実ですし……、隠す必要はないです……」


 蒼威様を特別に想っているわけではない。

 恋を、しているわけではない。

 だから知られたって別にどうだって……。


 もう一度目線を上げる。

 すると蒼威様は顔を背けている。

 でもその頬は――少しだけ赤い。


 途端、心臓が跳ね上がる。

 急に蒼威様に意識が向かう。


 どうして、私こんなにも……。


 無言のまま胸の上でぎゅっと拳を強く握る。


 この鼓動の速さを、どうにかして鎮めたい。でもさらに加速していく。

私はただ唇を噛みしめることしかできずにいた。



「まあまあ、蒼威もいることだし、さっきの話の続きをしましょ!」



 玲様は私たちの間に流れる居たたまれない空気を明るい声で打ち消す。


「なんだ。さっきの話の続きとは」


「蒼威と和冴の幼い頃の話をしてたのよ」


「おい、勝手にやめろ。玲が話す昔話なんて、大抵俺たちが悪く言われるだけだ」


「わたしは嘘なんて言ってないから!」



 言い合っているお二人に、やはりとても仲がいいのが伝ってきて、つい笑みを漏らす。

 するとばつが悪そうに、二人は顔を背ける。



「それにしても、蒼威が澄を気にかけているなんて考えられないわ」



 玲様は蒼威様が持ってきた干菓子を口に放り込む。



「ただ菓子をもらったから澄に持ってきただけだ。俺は甘いものを食べないから……」


「ふうん。蒼威は幼い頃から和冴のことばかりでほかの人はどうでもいいって感じだったけど、大人になったなあと思っていたの」


「俺だって、人並みに人を気遣うことができる」


「嘘よ。澄だから気にかけているのよ」



 その言葉に、蒼威様は眉を深く顰める。


 私だから? それはどういう――。


 無言になった蒼威様を玲様がにやにや笑って覗き込む。

 蒼威様はその視線からふいっと逃れるように俯く。



「……勝手に推測するな」


「あっそ。ねえ、澄、私の家に来ない?」


「え? 玲様の家?」


「ええ。うちも結構広いのよ。今後行くところがないのなら、一緒に住みましょうよ。澄がいたらきっとすごく楽しい」


「玲様……、嬉しいです」



 気遣ってくださったことに、じんと胸が震える。

 それに、いつまでも蒼威様のもとでお世話になるわけにもいかない。

 玲様が本気なら、しばらく滞在させてもらって、その間に何とか一人で生きていけるようにしよう。



「駄目だ」




 お願いします、と言おうとした時に、蒼威様はきっぱりと拒否した。


「なんで。いいじゃない」


「とにかく駄目だ」


 理由は言おうとしない蒼威様に、玲様はさらににやにや不敵な笑みを湛えていた。



「駄目、ねえ。理由を言わないなんて前言撤回。蒼威はまだ子供だわ」



 蒼威様はふてくされたように玲様を睨む。



「一つ蒼威に言っておく。あんたがはっきりしないと、澄は不安だよ?」



 私が不安?


 きょとんとしていると、蒼威様は小声で「わかっている」と呟いて黙り込んでしまった。



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