第二話 誇り高い人




「その納期が遅れて、今大騒ぎになっているらしい。商売相手の男が、未鍵家に訴えても何も動かないから、和冴に直接訴え出ると騒いでいるそうだ。未鍵家が勝手に商売をしていたことだから、鷹無家は全く関係ないが、未鍵家は鷹無家の分家。責任は本家にもあると思われても仕方がない。だから大事になって鷹無家の評判が落ちる前に、何とかこの騒動を俺に納めてもらいたいと家臣の一人が進言してきたが、気が進まん」


「気が進まないって……」



「なぜ俺が未鍵家のために頭を下げなければいけない」



 ほんの少し振れた眉。ふてくされたような表情に、ああ、この人はこんな顔もするのだと気づく。


 いつも仏頂面で、何を考えているのかわからないと思っていたけれど、ここで過ごした時間が長くなってきたせいか、徐々にわかるようになってきた。

 いいえ。もしかしたら蒼威様が私に対して、少しずつ感情を出してくれるようになったのかもしれない。


 今も蒼威様の些細な表情が、感情を能弁に語っている。



「本当にやるかわからんが、和冴に謀反を起こそうとしている家など、助けてやる道理はない。俺がわざわざ頭を下げてやる価値もない。違うか?」



「そう、ですね……」



 頷いた私を、蒼威様は訝し気に覗き込む。



「お前なら未鍵家を助けてくれ、自分が代わりに模写すると騒ぐと思った」


「もちろんそう言いたいです。水早緒のために模写したいと、偽りなく思っています。でも、今私は蒼威様にお世話になっております。できれば、水早緒のためではなく蒼威様への恩を返すために、その模写をさせていただけませんか? 模写さえご用意すれば、その商売相手もこれ以上文句は言わないでしょうし」



「俺のためと言いつつ水早緒のためではないか」


「引いてはそうなるのは否定しません。でも、蒼威様は和冴様のお手を煩わせたくないとお考えでは?」


「それは、そうだが……」


 悩んでいる蒼威様に、微笑みかける。




「以前から少し思っておりましたが、私と蒼威様は似ているところがあると思います」




 そう言った時、蒼威様は特に反発もしなかった。

 ただ無言でじっと私を見ている。

 その反応、もしや蒼威様もそう思ってくださっている?



「私は水早緒、蒼威様は和冴様のために生きていると思っているところが似ていると」



 蒼威様はほんの少し瞳を揺らす。



「私たちはいつでも自分以外の誰かのことばかり考えているような気がします。だから、蒼威様が和冴様に面倒なことを持ち込みたくないから、自分のところで留めて処理したいと思っているのが私にはすごくわかります。蒼威様は、悪態を吐いておられますが、本当はすでに和冴様のために頭を下げる覚悟をきめられているのではないでしょうか」



 蒼威様は黙り込む。


 何も言わない蒼威様に、出過ぎたことを申し上げましてお詫び申し上げますと、呟く。そして、伏せた目を上げ、蒼威様の瞳をじっと見つめる。



「結局全ては私が未鍵家から消えたことが原因です。まわりまわって、蒼威様に全て押しつけて頭を下げさせるなんて、申し訳なさすぎます。私のせいで、蒼威様の誇りを曲げさせたくない。だから、私に模写させてください。私は、未鍵家のために模写したいと言っているわけではありません。蒼威様の役に立ちたいのです」



 今の私の本心だ。


 蒼威様をじっと見据える。

 拒否されても、何度もお願いしよう。

 しばらく、蒼威様は沈黙していた。その口が開くまで、途方もない時間のように感じられる。




「……確かに、俺はお前が言っていたことが、よくわかった」




「え?」



「あの夜、自分が謀反の首謀者だと俺たちに嘘を吐いた気持ちが、俺はすごくよくわかった。俺もお前と同じ状況になったら、お前と同じように嘘を吐く」



「は、い……」



 思わぬ言葉に、心が震える。



「俺は澄よりももっとうまく嘘を吐くがな」



 そう言った蒼威様の唇はささやかに笑んでいる。その穏やかな表情に目が離れなくなる。



「……和冴はお前に、勝手に水早緒を崇拝しているだけだと言ったが、あれは恐らく俺にも向けられていた言葉だったように思う」



 蒼威様も、盲目的に和冴様を――?


 伏せられた漆黒の瞳が、私を捕らえる。



「俺は、和冴のためなら喜んで死ぬ。俺の主は和冴一人。幼い頃に誓った願いは今も変わらない」



 崇高で、純粋な想い。

 心臓がなぜか跳ね上がっている。


 この人は誇り高い人だ。



「わか、ります。すごくわかります。私も水早緒に対してそう思っているんです。だから、未鍵家にいる時はどんな生活であっても何も疑わなかったんです。でもこうやって離れてみたら、何か違うような気がして――。でもそう思うことも水早緒を裏切るようで辛くて……。心がちぐはぐで、毎日苦しいです」



 ぼろぼろと本音が落ちてくる。

 こんな心のうちをさらけ出すようなことを打ち明けるつもりはないのに、止まらない。



「……澄の言っていることは、手に取るように理解できる。だが、心を捧げる人間を間違えるな」



 はっと、目を見張る。


「軟禁されて搾取され続ける人生ははっきり言って間違っている。澄も一人の人間なんだ。水早緒に恩があるからといって、踏みにじられて、いいように使われているのが、正しいわけはない」



 それは、対等なの?


 和冴様が問いかけられた言葉が、湧き上がる。



「はい……。きっと蒼威様と和冴様は対等な存在なのですね。すごく羨ましいです」



 私も水早緒とそうであればよかった。でも、そうじゃなかった。

 だから、私たちの関係は、間違っていた。

 目が覚めたように、世界が明るくなる。

 蒼威様と話していると、心のもやが晴れてくる。



「俺たちが対等かどうかわからん。わざわざ和冴が咎めてくるくらいだ。俺が勝手に信奉しているだけかもしれない。だが戦場では和冴は俺以外の人間に背を預けない。それだけで俺は十分だ」



 それを聞いて羨ましく思うのと同時に、自分も一方的ではなく互いに思いあう相手がいたらと思う。


 いいなあ。そう思ったら、勝手に微笑んでいた。


 私の笑みを見て、蒼威様は我に返ったように顔を背ける。



「和冴には秘密だからな」


「わかりました。秘密ですね」



 ふふ、と微笑むと、蒼威様もほんの少し笑みを返してくれる。

 本音で話したからか、私たちの間に流れる空気が変わった。

 柔らかいものになっていることに気づいて、どこかこそばゆい。



「こんな話をするつもりではなかったのだが……、とにかく、まあそういうことだ」


 どういうことなのか、と苦笑する。


「あの、やはり私に模写をさせてください。結果的に未鍵家を助けることになりますが、模写を作れば蒼威様も頭を下げずに済みます」


「別に俺は――」


「和冴様のためならいくらでも泥をかぶるお気持ちもよくわかります。ですが、私がここでお世話になっている恩返しを蒼威様にしたいんです。受け入れていただけませんか?」



 蒼威様はまだ不服そうだったけれど、これ以上抗う理由を見いだせなかったのか、最終的に受けいれてくれた。



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