第三話 贈り物






「あの、蒼威様、これは一体……」


 私の前に並べられた美しい装束を前に、戸惑いを隠せない。



「今日の夜、例の商売相手の男が屋敷に来る。お前が模写する様子を是非見たいとのことだ。見世物ではないと断ったが、挨拶だけでも、という話になった」


「だから、こんなに美しい装束をご用意してくださったのですか?」


「相手はいつものその小袖では、失礼に当たる身分の男だ。だから用意しただけだが」


 素っ気なくそう言ったけれど、それなら一枚だけでもよかったのに、見た限り様々な種類の着物が十着くらいは並んでいる。



「好きなものを選べ。残りはしまって普段着にしろ。――もうその小袖は捨てろ」



 私がずっと未鍵家から着てきた小袖。あの夜に大分痛んだけれど、修繕が済んでまた着ていた。


 何となく、この小袖を捨てられなかった。


 今、私と未鍵家を結ぶ唯一のものだから。


 恐らく蒼威様はそういうこともわかっていて、今まで特に口出ししなかったけれど、ずっと気にしていて、今回、いいきっかけとして新しいものを沢山用意してくれたのかもしれない。

 もちろんまだ未鍵家から離れるのは抵抗がある。

 蒼威様はじっと黙ったまま、私が口を開くのを待っている。

 その瞳がどこか心配そうに揺れている。

 感情をあまり出そうとしない蒼威様だけど、本当は誰よりも優しい人。

 さりげなく私を気遣ってくださる。


 嬉しくて、心に火がともったように暖かくなる。



「ありがとうございます! こんなに美しいお着物、まさか自分が着るなんて思いもしませんでした。大事に着させていただきます!」



 蒼威様の優しさに応えたい。


 気づけば、私はそんな風に考えていた。





 蒼威様が下さった着物の中から、薄い青の着物を選ぶ。

 白藍しらあいと呼ばれるその色の着物は、蒼威様が去り際に「白藍の着物がお前によく似合うと思う」とぼそりと呟いたから。

 おかしなところはないかしら、と何度も見返す。

 心が急いて落ち着かないのは、これからお客様に会うからというわけではない。



「――客が来た。準備はできているか?」



 戸の向こうから、蒼威様の声が響く。


「は、はい。すぐに参ります」


 慌てて立ち上がり、跳ね上がる鼓動を落ち着かせようとするけれど、さらに加速する。


 自分がこんな風になるのは恐らく……。

 扉がゆっくりと開かれる。


「おい。どうした。大丈夫か――」


 ちょうど戸を開けようとしていた私は、その向こうにいた蒼威様とぶつかりそうになって踏みとどまる。


 蒼威様も私が傍にいることに気づかなかったのか、目を見張り、足を一歩引いていた。


「遅くなりまして、失礼しました……」


 蒼威様の目が私を捕らえて見開かれている。


「……いや」


 短く告げた蒼威様はまだ私を眺めている。


「あの……」


 蒼威様はぱっと私から目を離して背を向ける。


「なんでもない。来い」


 はい、と頷いて蒼威様を追って歩き出す。



「……なんだお前は、化粧をしているのか」



「え? あ、はい。着付けを手伝ってくださった下女の方に教わりました。ちょっと濃いですかね……。初めてしたのでよくわからなくて」



 下女からはこれでいいと言われたけれど、不安になる。

 それもこれも化粧をすれば蒼威様が喜びますよ、という下女の方のお言葉に乗せられてしまった。よくよく考えれば、私が化粧をしようがしまいが、蒼威様はきっとどうでもいいはずなのに――。


 何だか綺麗な着物を着て、浮かれてしまっていた。

 急激に恥ずかしくなり、化粧を落とそうと考えた時、蒼威様が口を開く。



「……俺も女の化粧なんてよくわからんが、よく似合ってると思う」



 背を向けたまま。

 それなのに、蒼威様の声の調子から気恥ずかしさが伝わってきた。

 かあっと頬に火がついたように熱くなる。



「あ、ありがとうございます……。嬉しい、です」



 ふり絞るような声でお礼を言う。この頬の赤さを見られたくなくて振り返らないでと願った。蒼威様はそれ以上何も言うことも、目線を向けることもなく、無言で歩みを進めていった。



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