第二話 魔法
「とにかく、それで魔導書の一片を所有したことになる」
「はい……。あの、もしよろしければ、魔導書についてお教えくださいませんか? 私、模写ばかりし続けて、解読者も魔法も、一体何なのか正直よくわからなくて」
ただ、模写すればいいと思っていた。模写した魔導書も全部回収されていくから作ったものがどういうものでどうなるのかも正直よくわからなかった。
本当に、盲目的。
水早緒のもとから離れて、徐々に冷静になってきた。
今は自分が模写し続けたものが何だったのか、知りたい。
脱走を図った時に作ろうとしていた魔導書は、明らかにたくさんの人の命を奪うようなものだった。
だから私は脱走を決意した。
こんなものを水早緒が使ってほしくないと思って、どうしても止めないと、と考えたのを思い出す。
魔法はおそろしいものばかりなのかしら。
でも、回復魔法のような便利なものもある。
魔法とは何なのか、知っておきたい。
「魔導書は、百年ほど前に外国に住む、一人の稀有な人間が生み出したと聞いている」
「外国の……」
「ああ。そいつは生まれた時から人知を超えた不思議な力を使えたらしい。そのうちにこの不思議な力は、天を詠むことで浮かび上がる言葉の組み合わせにより、さまざまに発動することに気づく。その男は不思議な力を【魔法】と呼び、生涯をかけて、その言葉の組み合わせを数々生み出して一冊の本にまとめたそうだ」
言葉の組み合わせ。
私が聞く、歌のようなよくわからない言葉の羅列のことかしら。
「その本を、【アサナトの魔導書】と名付けた」
アサナト。不思議な言葉の響きだわ。
「外国の言葉で、アサナトは、【不滅】という意味だ」
「不滅……」
「ああ。アサナトの魔導書は、表紙に十個の究極魔法が書かれ、綴られた紙一枚につき、一つずつ魔法式が書かれた。それは全部で三百五十枚にも及んだ。この世に存在する全ての魔法の魔法式がアサナトの魔導書に書かれているそうだ」
魔法の根源。そう思ったら、ごくりと唾を飲み込んでいた。
「それを作った人間が死んだあと、アサナトの魔導書は各国を転々とした。不思議なことに、その魔導書を使って魔法を扱える人間が、魔導書の傍で何人も目覚め続けた。まるで使い手を失った魔導書が、自分の主を求めるようにな」
不思議。生み出した人が死んだら、もう使えないのではない。
まるで魔導書自体が魔法使いを生み出しているみたい。
「ただ、この魔導書を扱うには【枷】があった。まず使いたい魔法の一片を解読者が解読することによって呪文がわかる。それを解読者が詠唱者に伝え、詠唱者が杖を使って唱えることで初めて発動する」
「つまり、魔法を使うためには、解読者と詠唱者の二人が必要……」
「ああ。ただ、魔法には初級・中級・上級と段階がある。初級魔法は一度覚えると魔導書がなくても詠唱者は唱えることができる。だが中級と上級魔法は魔導書のページを解読者が箱に入れ、使うたびに呼び出して解読し、それを詠唱者が唱えることで発動する」
「それが、魔法使いの枷ですか。あの夜和冴様が一人で使っていた光の矢の魔法は初級魔法ですか?」
呟くと、蒼威様は大きく頷く。
初級という割にはかなりの破壊力だったような気がする。
「一度覚えたら解読が必要ない初級魔法でも、解読者が解読し、詠唱者が唱えると威力は増す。一人より二人で唱えたほうが強い魔法になるのはどの階級の魔法でも同じだな。もちろん和冴のような魔力が高い人間が唱えたら、初級魔法も中級魔法以上の威力になる」
和冴様は鷹無家のご当主。その魔力は誰よりも強いのかも。
「そういうわけで、初級魔法は覚えたら次の誰かのために手放すことがほとんどだ。中級以上の魔法は解読が必要になるから、解読者は自分の箱に魔導書を閉じ込め、使うたびに呼び出すことが必要になる。ただ解読者は解読できるだけではなく魔導書の模写ができる。模写を作りそれを自分の箱に納め、原本は次の誰かのために手放すことが暗黙の決まりだそうだ」
「手放すとは?」
「箱に納めずにそこらへんに放置すると、いつの間にか消えるそうだ。そうしてしばらく経つと世界のどこかに現れるらしい」
それを聞いて、違和感が生まれる。
まるで魔導書自体が意思を持っているみたい。
「表紙に書かれた究極魔法は、国一つ簡単に滅ぼせるほどの威力の魔法式が書かれているそうだ。そのため、模写はできないそうだ」
「試した方が?」
「そう聞いている。結局無理だったと。権力者はこぞってアサナトの魔導書を手に入れようとしていた。それにより、様々な戦が勃発したそうだ。そのきっかけは表には出ないが、魔導書の奪いあいというのが大半だそうだ」
「確かに、アサナトの魔導書を手に入れたら、この世界を手に入れるのと同じですね……」
呟くと同時に、肌が粟立つ。
それって、危険すぎる。
持つ人が人格者であればいいけれど、そうでなければ多くの無辜の民が犠牲になるかもしれない。
「ある時、一人の魔法使いがその危険性に気づき、アサナトの魔導書の紐を解いた」
「それで全部バラバラに?」
そうだ、と蒼威様は大きく頷く。
「紐を解かれた魔導書は世界各地にちりぢりに散逸した。表紙も行方をくらました。これで魔法は廃れると思われたが、不思議なことに表紙がある場所では魔導書の一片も次々に集まってくるそうだ。しかも魔導書がある場所に住む人間が続々と魔法使いとして目覚めるらしい。やはり、自分の使い手を求めるようにな」
ぞっとする。
思わず両手で自分の体を抱えた私に、蒼威様は目を細める。
「まるで……、アサナトの魔導書は生きているみたいですね」
呟くと、蒼威様は「そうだな」と肯定する。
「五十年ほど前に、アサナトの魔導書の表紙が日本に現れた。それとともに魔導書の一片も数多く集まり、日本は魔法文化が花開いた。当時は魔法という言葉はなく、この不思議な力は天詠と呼ばれていたそうだ。外国との魔導書の貿易も活発になり、それにより【魔法】という言葉も当たり前に使われ始めた。今ではごく身近に魔法は存在し、生活や戦に組み込まれ始めている」
確かに、どのお殿様も大なり小なり魔法部隊を召し抱えていると水早緒から聞いたような気がする。
「今、表紙はどこにあるんですか?」
尋ねると、蒼威様は「さあな」と言って首を傾げる。
「一時よりは魔導書が見つかる機会が減ったと聞いている。すでに日本から消え失せたと俺たちは見ている。お前がしていた模写は、原本の模写もあるだろうが、模写の模写もあったと思う。模写をまた模写して際限なく増やすこともできると聞いている。攻撃魔法なんて、この乱世、いくつあっても足りないからな」
もう表紙はこの国にはないと聞いて、いくらかほっとする。
話を聞いている限り、アサナトの魔導書は便利で素晴らしいものだとは到底思えない。むしろ邪悪で、禍々しい、そんな負の部分を抱えているような気がする。
「ではとりあえず使ってみるか」
「え?」
きょとんとしていると、蒼威様は呆れたように溜息を吐く。
「さっきお前が模写して箱に入れた魔導書を使ってみるか」
「えっ⁉ 私に使えますかね⁉」
「魔法を使うには解読者と詠唱者の相性が威力を左右する。相性が悪いと不発になることもあるそうだ」
「相性……」
「こればかりはやってみないとわからない。だが俺は詠唱者で、お前は解読者だ。試してみる価値はある。魔導書を箱から呼び出して左手をかざして解読しろ。浮かび上がった文字を俺に伝えるんだ」
「わかりました!」
不思議な力を使う。そんな未知なことに気づけば心が弾んでいた。
やってみよう。そう思った時に、おもむろに蒼威様の手が私の右手を取る。
「……えっ」
みるみるうちに自分の頬が熱くなるのが鏡を見なくてもわかった。
その赤さを見たのか、蒼威様が口を開く。
「……言っていなかったが、魔法を発動する時、互いの体に触れていないと使えない」
言葉に力を込めて蒼威様が言い放つ。
「あっ、そうでしたか……。わかりました」
なるほどと何度も頷く。そういう決まりがあったのか。
男性と手を繋ぐなんて、なかなかない機会で戸惑ってしまったのが恥ずかしい。
これ以上深く考えないように、守り袋に納めた魔導書の一片を呼び出す。
言われた通り左手をかざすと、魔導書から放たれる青白い光が私の手を包み込む。
すると、頭の中に文字の羅列が駆け巡る。
これは――。
「――」
左手の上に浮かび上がった緑色の文字を呟くと、蒼威様は庭先に向けて赤い杖を振って私が伝えた言葉を口にする。
「リアンロトス!」
その瞬間、わっと庭中に青い花がいくつも咲き乱れる。これは……、紫陽花?
でも紫陽花は初夏の花で、今はもう夏の終わりなのに……。そこまで考えた時、この花を魔法で咲かせたことに思い至る。
「ほ、本当に唱えられたっ! すごく綺麗! すごいです、蒼威様!」
思わず立ち上がる。繋いだ手を解くことも忘れて驚いた声を上げると、蒼威様は呆然と私を見上げていた。
「そ、そうだな……」
それ以上何かを言うわけでもなく、蒼威様は私に目を背ける。
でもその唇が弧を描いていたような……?
私は初めて使う魔法がとてつもなく嬉しくて、蒼威様のその反応もろくに頭に入ってこなかった。
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