第二章

第一話 目覚め




 すうっと意識が覚醒する。

 瞼を開くと、天井が見えた。


 あれ? 私、どこに……。


 重い体を引き起こして、褥の上で呆然とする。

 怪我をしていたような気がする。あれは……。

 バッと両手を目の前に掲げる。左手の傷は――ない。

 いえ、薄っすらとだけど、痕が残っている?

 でもよく見ないとわからないくらいに塞がっている。

 頭の中に、あの夜のことが一気に甦って心臓が跳ね上がる。

 あの日、私は未鍵家を脱走して――、誰かに……。


「――目覚めたか」


 隣の間から声がする。目を向けると、男性が文机を前に何か書き物をしていた。

 その両目が、私に向く。

 一気に、全身が強張った。

 猛禽類を思わせる、涼やかで鋭い瞳。すっと通った鼻筋に、形のいい薄い唇。

 女性のように美しく端麗なその姿に、息を飲む。

 冷たい氷のような雰囲気を纏った男性は、無言で立ち上がり別の間にいた男性を連れて戻ってくる。


「よかった~。目が覚めたんだね! これで安心だ!」


 あまり背が高くない、幼い顔立ちをした男性が、足取りも軽くこちらに向かってくる。

 人懐っこそうな笑顔に、体から力が抜けた。

 褥の上で手をつき、二人に向かって頭を下げる。


「助けていただきまして、本当にありがとうございました。心から感謝しております」


「そんなにかしこまらないでいいよ。それにしても酷い怪我だったね。気を失ってしまったから、先に回復魔法で治療させてもらったよ。もう大丈夫?」


「はい。もう痛みも何もありません。気力も充実しております」



「そう。安心した。じゃあ、話してもらえるかな? 君は――とても、奇妙だ」



 語尾に冷たさが含まれる。

 耳朶を震わせた途端、全身が凍りつく。

 奇妙、と言われたことが何を指すのかはわからない。

 未鍵家で送っていた私の生活は、あまりにから引き離されていたのかもしれない。

 でも、護りたいものは明確。

 黙り込む私に、ため息が向けられる。おそるおそる目を向けると、鋭い目で蒼威さんが私を睨みつけていた。


「気を失っている間、お前のことは調べた。――未鍵家の者だな」


 全身が委縮する。どうしよう。全てを話すのは危険すぎる。でも……。


「は、はい。未鍵家で働かせていただいておりました」


「澄、と言ったね。澄は未鍵家で何をしていたの?」


 震えて身構える私に、和冴さんが優しく声をかけてくれる。


「えっと……、模写をしておりました」


「魔導書の模写、か。未鍵家は模写に長けているから、模写師が何人もいると聞いているよ。澄はそこで働いていたってことだね」


 頷くと、なるほどと和冴さんは朗らかに声を上げる。模写をする人が私以外に何人いるかはわからないけれど、聞いているのならそうなのだろう。


「その模写師が、模写し損ねて左手に傷を負ったということかな?」


「はい。その通りでございます」


 その瞬間、空気が重く張り詰める。――え?



「……そうか。君は模写し損ねたんだね」



 和冴さんの唇は優しく弧を描いている。笑っている、はずなのに、全くそんな風に見えない。

 額に玉のような汗が浮くのがわかる。

 この人は何かしら。

 私の本能が危険だと訴えている。


「わざと、だなんてそんな……」


 喘ぐように言葉を落とすと、和冴さんは無言のまま私をじっと見つめる。

 嘘を吐けない。


 この雰囲気に呑まれる……。


 それ以上何も喋らずに私を観察している和冴さんを見かねたのか、蒼威さんがため息交じりに口を開いた。


「魔導書を読み損ねると、魔導書から攻撃されるそうだな。でも解読者なら失敗したことを自分が一番よくわかると聞いたことがある。気づいた瞬間にかざした手を引けば、攻撃を避けられるくらいの間はあるそうだ。だがお前の左手は、ど真ん中が貫通して穴があいていた」


 思わずぐっと左手を握りしめる。



「――お前は、覚悟の上で読み損ねたな?」



 全部、決めた上で――。


「……申しわけありません。お話はできません」


 傷の理由を話すには、水早緒が本家を裏切ろうとしていることを話さないといけない。

 床に手をついて深く頭を下げる。


「助けていただいたことは心から感謝しております。すぐに出ていきますので、ご容赦ください」


 足早に立ち去ろうとして顔を上げると、目の前に茶色の杖が掲げられていることに気づく。



「――どうしても話さないっていうのなら、無理やり話しをさせることもできるんだけどなあ」



 ――自白魔法。ひゅっと喉が締まる。


 昔一度かけられたことがある。あれは抗えない。勝手に口が真実を話し始める。でもあの不快感は二度とかけられたくないと思うほど苦痛だった。

 杖を持つ和冴さんは相変わらず笑顔だけれど、その目は一切笑っていない。

 本気だと確信するまで時間はかからなかった。



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