第二話 籠の鳥




「どうしたの? 顔色が悪いわ」


 大きな猫目が私を覗き込む。

 思わず、悲鳴を上げそうになって、ぐっと飲み込む。


「だ、大丈夫。少し寝不足で……」


「夜遅くまで模写していたの? 無理しなくてもよかったのに」


 苦笑いを浮かべながら、水早緒の目から逃れるように俯く。

 模写ではない。昨日のあの密談のことをずっと考えていた。

 聞いてしまった私は、どうするべき?

 聞かなかったふりをしていたほうがいい?

 水早緒の言葉を全て肯定して、水早緒の手足になりたいと申し出るべき?


 それとも――。


「澄、心配よ。頑張るのは嬉しいけれど、体調を崩しては元も子もないわ」


 冷え切った私の手を、水早緒はそっと握って熱を分けてくれる。


「澄はわたしの親友だもの。いつまでも元気でそばにいてほしいわ」


 水早緒は、今まで何度も私のことを親友だと言ってくれた。

 こうやって、今日の天気も、水早緒以外の人間も、全部関係なくただ模写だけする日々を送ることに私は……。



「――水早緒。駄目」



「え?」


 その両目が大きく見開かれる。

 私に向けられた漆黒の瞳の中に、今にも落ちていきそうで身震いする。


「私のことを親友だと言ってくれるのなら……、お願いだから私の言葉を聞いて」


「どうしたの? 澄」


 ふっと水早緒の唇が弧を描く。

 困ったように歪められた水早緒の眉、でも、すうっと彼女の瞳から光が消える。


「本家を裏切るだなんて、駄目よ。水早緒が傷つく姿なんて、見たくない」



 ――水早緒を、止める。



 それが、私が出した結論。


「昨日偶然誰かと水早緒が話しているのを聞いてしまったの。ごめんなさい……。でも本家を裏切るなんて、絶対に駄目よ。私は本家のことをよく知らないけれど、きっと恐ろしい人が沢山いるんだと思う。もし水早緒が命を落としてしまったらって考えたら恐ろしいの。私はただ、水早緒に幸せでいてほしい。だからそんなことやめましょう?」


 誰よりも大事な人だから、間違った道に進もうとしているなら、私ができることは水早緒を全身全霊で止め……。



「――どの口が言ってるの?」



 聞いたこともないような、冷たい口調に自分の肩が跳ね上がる。


「え、みさ……」


 繋いでいた手を、思い切り振り払われる。その力で、私は床に倒れ込んだ。


「……はあ。……一体、何様のつもり? あんたは行き場もなくさまよっていたところを、未鍵家が、力があるからってだけで拾ったの。利用価値があるから優しくしてあげていただけで、それ以上も以下もないわ。このわたしに忠告するなんて、何様のつもり?」


 水早緒は立ち上がり、倒れ込んだ私を見下ろしている。


「そんな……水早緒は私の……」


「親友? ふふっ、そんなの全部嘘。薄っぺらい言葉をずっと信じていたの? あんたって本当に盲目的で、自分の頭で考えようとしない愚かな人間ねえ。本当にわたしたちが親友なら、軟禁して一日中模写する生活を送らせるわけがないでしょ」


 今まで、疑問に思っても深く考えてこなかったことを無理やり露わにされたよう。

 水早緒から放たれる言葉が刃になり、私に襲い掛かってくる。

 あまりの衝撃に目の前が真っ暗になり、思考がうまく働かない。


「昨日のことを聞いていただなんて思わなかったけど……、でもせいせいした。いつまでもあんたを騙し続けるのも面倒だったし」


 騙す。それは――。


「親友ごっこも大変なのよ」


「親友……、ごっこ」


「そう。全部、あんたを未鍵家に留めておくためにしていたこと。でも露見したなら、もうどうでもいい。ねえ、澄。あんたはただ模写すればいいの。あんたの価値なんて、それしかないんだから、ただひたすらわたしのために模写し続ければいいの」


 水早緒は私を見下すように嘲笑う。


「いいのよ、別にここから勝手に出て行っても。でもあんたなんて模写以外の能力はないんだから、そこらへんで野垂れ死ぬだけよ。女に仕事があるとでも? ここを出てどうやって生きていくの? 一人で孤独に生きていくの?」


「それは……」


 喘ぐように口を開くけれど、言葉が出てこない。


「わたしの言うことを聞いていれば、あんたの居場所は少なからずあるかもね。だから澄は余計なことを考えずに、わたしのために模写し続ければいいの。死ぬまでずっとね」


 ぶるりと体が勝手に震える。

 見たことがない水早緒の邪悪な微笑みに、呑まれていた。

 何もかもが信じられずに呆然としていたら、気づいた時には水早緒は消えていて、私は能面のような顔の男性たちに抱えられて地下に連れていかれる。

 冷たい土の上に放り出されてようやく悟った。

 私はこれから、鳥かごの中の鳥のように、もう二度と外に出ることなくただひたすら模写を強要し続けられるんだ、と――。



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