1-2 変わったもの

 どれだけの時間、死んだ遊羽の近くにいただろうか。彼にはそれを正常に認識する力は無かった。既に夜を三度超えている。世留の精神は外界を認識でいる心理状態ではなかった。半身が死んだのだ。正常でいられる方がおかしい。


 彼は限界を迎えては、朝だろうが夜だろうが関係なくその場に倒れて眠った。眠れば、彼女に会えるかもしれない。次に起きたときには全て夢だったと言えるかもしれない。しかし、どちらの願いも叶えられなかった。眠っても夢は見ないし、起きたとしても、物言わぬ遊羽の死体がそこにあるだけだった。


 それから、どれだけ朝と夜を超えただろうか。彼は自身の空腹にようやく気が付くくらいには心が回復して、立ち上がる。幸いにもまだ歩ける状態ではあった。勝手に遊羽の家の中を漁って食べ物を盗った。何を食べても味はしないが、空腹が少しは紛れた。そのあとすぐに、彼女の部屋に戻った。彼女は腐りもせずに人形のように死んでいる。眠っているわけではない。彼は遊羽の手に触れる。死人の冷たさを感じた。そして、彼女の上に、何かがいた。


 灰色というには黒に近い色のマントのような、ローブのような布がひらひらと浮いている。その中は空洞で何もない。裾やフード部分はボロボロで、人が持っていたらすぐに捨てるようなぼろさ。その布の端が、世留の頭に何度か触れる。それはまるで、彼を慰めているようにしか見えない。


「遊羽、なのか……」


 返事はないが、世留にはその宙に浮かんだ布が遊羽だと信じるしかなかった。そうしなければ、心が耐えられないのだ。それなら、布でもなんでも信じてしまうだろう。


 実際、その布を操っているのは遊羽の魂だった。彼女が死ぬ前に心残りがあった。それは世留を残してしまうこと。遊羽の、世留への想いが彼女の魂をこの現世に縛りつけたのだ。いうなれば、世留を依り代にした地縛霊とでもいうべき存在だった。


「遊羽がいてくれるなら、俺もまだ生きていける。だけど、あいつだけは殺さないと。遊羽の体をこんなにしたんだ。その仕返しにあいつの体も壊してやる」


 その時まで全く生きる活力もなかった彼に力が溢れていくような感覚があった。今までの自分が何かによって作り変えられている。そう思えるほどに力が沸きあがっていた。


「じゃ、まずはこの村を出て情報収集からだ。行こう、遊羽」


 彼は刀を一本持って、遊羽の家を出た。彼が歩く姿はふらふらとしていて、危なっかしい。その様子を村人の何名かが見ていたが、彼の暗く危ない雰囲気に話しかけることはできなかった。昨日までの快活で、話しやすい雰囲気はそこになく、村人たちの間では、彼を見なかった数日で何があったんだろうねと話のネタにされていた。


 村を出ると、村にいたときより、多くの視線を感じる。その視線には理知的な遠慮はなく、彼を獲物として見ているような視線。彼の持つ刀は護身用と言うわけではなく、彼のいた村から他の村までの移動の護衛をこなせる程度には刀の扱いに心得があった。そこら辺の獣や魔獣程度では彼に敵うはずもない。獣は彼の実力が野性の勘で理解できるのか、彼を襲うことはなかったが、魔獣にはそういった生存本能はなく、獲物か敵と判断した生物にはすぐに挑みかかる性質を持っている。


 そんな魔獣の一体が彼目掛けて、かなりの速度で近づていた。その魔獣は見た目は鹿と同等だが、その角が二股に分かれていて、その先端が鋭くなっている。その角が迫ってきている。魔獣の速度はかなりのもので、見つけた時点では遠くに見えると言ったような距離だったはずなのに、既に戦闘できる距離にいる。だが、彼は狼狽する様子はなく、むしろ、堂々と相手を見ているだけだった。刀を片手で持ち、その先は地面に向いている。戦う気があるのか、と言う様子だ。魔獣が眼前に迫ると同時に、ギリギリ当たらない範囲に移動してすれ違った。その魔獣はその速さを持っていても、簡単に方向転換できた。そのため、トップスピードではないものの、突進が彼に再び迫ろうとしていた。彼が振り返るのとほぼ同時、魔獣がその場に崩れた。地面にその魔獣の頭が落ちて、それに連なるように体がバラバラになり、赤い血の池が出来上がる。


 本来、彼の刀術の能力はそこまでの力は無い。だが、本人はそれを見ても、驚きもしない。彼は気が付かなかったが、使った刀の先端が欠けて、刀全体が黒く染まる。それは刀に着いた魔獣の血液を吸い取っているようだった。刀の血が無くなると、魔獣が作った血の池から、まだ足りないと言った様子でそこから血を吸い上げた。刀がそうやっている頃には、彼は歩いていて、刀の挙動にも気が付くことはなかった。


 彼の歩く道は獣道と言うわけではない。普段は護衛をつけつつも、魔獣はまれにしか出ないある程度整備された道のはずだった。だが、彼に吸い寄せられるように、魔獣たちが彼の前に出てきていた。それを全て、黒くなった刀で斬りつける。その斬撃は一振りで、いくつもの斬撃を相手に与えていた。そのため、いくら魔獣が来ても、すぐにバラバラになっている。そして、戦闘が終わる度に刀が血を吸い取っていた。

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