サイコは蜘蛛と踊る
背後に大和。遠方に怪物。その間にある旧世界の崩壊した建造物の上に俺は居た。
束の間の非日常から、日常に戻れて嬉しい。というわけでもない。後輩と離れてしまったからな。今日はゆっくり過ごすはずだったって言うのに。
特級の怪物も、間が悪い。
この場所から怪物を監視する、そんな任務だったら良かったんだが。今回の任務は討伐。
しかも遠方にいる怪物は特級クラス。単体相手は苦手だって言うのに、こんな依頼をやらせるなと文句を言いたい。まぁ言ったところで無駄だろうが。
「蜘蛛型か、能力すら未知数だというのに1人でやるのか」
双眼鏡を手に、怪物を観察する。見た目は蜘蛛と同じだが。頭に該当する部分には、人の上半身があった。上半身が女性、下半身が蜘蛛。
珍しいタイプの怪物だ。たしか他の都市じゃアラクネーというんだったか。大和風に言うなら
後はデカいな。下半身だけでも全長3メートルくらいか。上半身合わせれば高さ4メートル、長さ3メートル。
トラックくらいの大きさってあたりだろうか。大型ならもう少し大きいのもいるが、大きさで特級になるわけじゃない。
特級が特級と呼ばれる所以。それは体内に保有する破格のエネルギー量だ。
と言っても、それはレーダーで判断するときの基準。実践的に言えば特殊能力を持っているというのが判断基準だ。サイコである俺たちが持つ能力と同じものを持っている、怪物。それが特級ってことになる。
「ここから見てわかるのはこれくらいか。後は戦闘しながら対応するしかないな」
ナイフとハンドガンの最終確認をする。今回はあまりハンドガンの出番はないかもな。弾丸を補充できるか分からないからな。最初から装填されている8発の弾丸の使いどころを、間違えないようにしないとな。
建造物から駆け下り、そのままの勢いで怪物へと接近していく。怪物の背後側へと周り、奇襲する。
ま、正面から攻撃をするよりは多少ましだろ。
十分に怪物へと近づき、左手に構えたハンドガンのトリガーを
が、銃弾は『キンッ』と甲高い音を立ててあらぬ方向に弾かれた。
「硬いな」
銃弾と刃物が効きづらい相手は本当にやりにくい。血が流れないからな。
銃弾に気づいた怪物が振り向く。間近で見るとやはりデカいな。
などと悠長なことを考えてる暇はないらしい。
振り向きざまに振り上げられた、2本の前足が頭上から串刺しにしようと襲い掛かる。
前足をバックステップで避け、その反動の勢いそのままに前に1歩踏み出す。右手に構えたナイフで切ろうとするが、やはり傷つけることはできなかった。
その場からいったん離脱し、怪物の上半身と睨みあう。
「こういうのは、ロック辺りが適任だろうに。なんで政府は偵察任務にしなかった」
能力が使えなければ、戦闘能力は半減する。それこそ殺すことすら難しくなるというのに。
「無茶ぶりは今に始まったことじゃないか。硬い相手だろうと、関節までは硬くないだろ」
頭上の上半身を攻撃できればいいが、ナイフでは届かないし。7発の銃弾で倒せるとも思えない。地道に関節を攻撃して、出血させればどうにかなるはずだ。
睨みあいの均衡を破ったのは、意図せず両者同時だった。
怪物は俺への突進という形で。
俺もまた、怪物へ向かって姿勢を低くして走り出すという形で。
怪物は上半身の両手から糸を俺に向かって発射する。
手から糸が出る。そのことに驚きはしたものの、さらに加速することで避けた。背後の地面に糸が張り付く。怪物の両手が後ろへと引かれ、糸に引かれるように跳んできた。
避けるために加速した俺と、攻撃するために跳んだ怪物。当然このままでは衝突して俺が吹き飛ぶ。だから姿勢を
互いの位置関係が逆転し、背後には着地しようとする怪物がいる。その隙を逃すわけにはいかない。
怪物の下を潜り抜けた直後、体の上下を反転させ走り出す。狙うは着直後の隙。
だが、そもそも蜘蛛という生き物は下腹部から糸を出すものだ。だから走る俺に向かって、下腹部から複数の糸が吐き出されるのも当たり前だった。
横に転がることで、何とか避けたが。今度は俺が隙を晒す番だった。
怪物の上半身から、また糸が発射される。片手から1本ずつ、計2本。避けれる体制ではない。が、防ぐことならできる。どうせ使い道が乏しかったんだ、ここで使い切っても問題ない。
ハンドガンの残弾すべてを使って、1本の糸を無力化する。残りの1本はそのままハンドガンを盾にした。
ハンドガンは手から弾かれ、そのまま地面に張り付けられるだろう。それを見る前にその場から離れる。
「手持ちはナイフだけ。全く嫌になる」
攻撃が通じない相手にナイフ1本。もはや勝ち目がない、状況でさらに不幸は重なる。怪物の下腹部が
1メートルほどの小蜘蛛が4匹産まれ、『カサカサ』と動き出した。
この光景に、多勢に無勢と言いたいところだが。
「運が向いてきたかもしれないな」
あの、小蜘蛛にナイフが通じるなら。能力が使える。もし通じなければ、撤退するか援護を呼ぼう。
「さぁ、鬼が出るか蛇が出るか」
4匹の小蜘蛛が、怪物の前に整列し。怪物は右腕を前に出す。
俺は右手のナイフを投げやすいように、顔の真横で構える。
怪物が腕を横に振るうと、小蜘蛛が俺めがけて突撃してくる。小蜘蛛を従える姿、女郎蜘蛛の名に相応しい。
一番近くまで来た小蜘蛛に、ナイフを投擲する。当たるまでの間に、足に力を貯める。すぐに踏み込めるように。
頭めがけて飛んで行ったナイフは、深々と突き刺さった。
それを確認したと同時に、1歩踏み出す。その1歩でナイフの柄を掴み、能力を発動する。
瞬時に小蜘蛛は左右に割断され、中から姿の変わったナイフが姿を現す。長い柄に先端には斧、槍、
「大蜘蛛退治には刀かもしれないが、怪物相手だ。ハルバートの方がやりやすいと思わないか?」
怪物に問いかけてみるが返答はない。あったら驚くがな。
近づいて来た3匹の小蜘蛛。そのうちの1匹をハルバートと振り上げて、斧でかち割る。
飛び掛かって来た2匹目を、振り上げたハルバートて突き刺し。そのまま空から地面に、縫いつける。3匹目は、下から鉤で引っ掛け怪物に投げる。
怪物に仲間意識なんてものはなく、投げつけられた小蜘蛛を前足で地面に叩きつけた。
「さぁ、俺は準備できたぜ。始めようじゃないか。二人きりのダンスをよぉ!」
ハルバートを右手に持ち怪物に駆け寄る。怪物は両手から糸を発射して牽制してくるが、ハルバートで受け流す。
「俺のハルバードに糸はくっつかないんだ。悪いな!」
正確にはくっつかない訳じゃない。糸が付いた瞬間血に戻し再度硬質化させているだけだからな。
そのまま前足めがけて、ハルバードを振り下ろす。傷つかない自信があるのか、避けるそぶりすらしなかった。だが、それは間違いだ。
怪物の左前脚を切り落とす。
続けざまにその場で回転し、左前脚も切り落とす。体を支えていた前足を失い、倒れてきた上半身を切ろうとするが。跳んできた小蜘蛛に阻止される。
仕方なく怪物から距離をとって、ハルバードを構える。
怪物の後ろからぞろぞろと、小蜘蛛が現れてきて。怪物を守るように立ちふさがる。
この十数秒の間に増やすとはな。ざっと数えただけでも、10匹はいるじゃないか。
「大人の時間を邪魔するな、小蜘蛛ども」
小蜘蛛の群れに走り込む。数だけ居ても多少の時間稼ぎにしかならない。
そう思っていたが。どうやら間違いだったらしい。
ハルバートを振り下ろせば、足を動かしてもいないのに体が動き避けられる。
飛び掛かって来たところを突き刺そうとすれば、まるで空中に足場があるように横にずれて避けられる。
さっき相手にした時よりも、戦いづらい相手になっていた。
「何がどうなってやがる」
どれだけ早くハルバートを振るおうとも、なぜか避けられてしまう。怪物を狙いに行こうにも、小蜘蛛が無視できない攻撃をしてくる。有り得ない軌道で避け、有り得ない軌道で攻撃してくる。
有り得ないことが起きている理由は、それが怪物の能力だからだ。そうやって理屈を通すこともできるが、その能力がわからない。
怪物は切られた足を糸でくっ付けようとしている以外に、目立った動きはしていない。
「鬱陶しい、小蜘蛛だ」
ハルバートを振り下ろせば、小蜘蛛は後ろにスライドして避ける。だからハルバートの槍の部分を伸ばして串刺しにする。
跳んできた小蜘蛛を攻撃すれば、空中をスライドして避けるなら。受け止め地面に叩きつける。
能力の小細工とカウンターで、小蜘蛛を処理していく。
全ての小蜘蛛を処理する間に、怪物は前足をくっ付けて待ち構えていた。
「あんたの子供はやんちゃ過ぎて、相手するのも骨が折れる」
また小蜘蛛を出すのか、糸を出すのか。警戒しながら進む。
「糸か、小蜘蛛か。次はなにする気だ?」
怪物はその場から動くこともなく、攻撃してくる様子もない。何かがおかしい。そう感じつつも、焦らずゆっくり歩いていく。
その隙だらけな姿に、誘惑されないように。出来る限り副作用を押さえつける。
ゆっくりと、怪物に近づくが。やはり動かない
俺と、怪物の距離が2メートルになろうとしたとき。俺は動きを止めた。
止めなければいけなかった。
強制的に動きを止められた。
頬を、首を、腕を、足を。血が重力に従い、肌を伝って地面に向かって流れていく。
誰の血が流れている。
さっきの小蜘蛛の血か?
違う。
目の前の怪物の血か?
違う。
この血は俺の血だ。
怪物の上半身が笑みを浮かべる。
怪物は何もしていないにもかかわらず、俺は血を流している。切られたような赤い線が、体のいたるところに出来ていた。
怪物の能力が、見えない斬撃だった。と仮定することもできるが、それは過ちだ。
頬の血に触れようと、腕を動かそうとするが。腕が動かない。両手両足すべてが動かない。金縛りにあったかのように、強い力で押さえられているかのように。身じろぎすらできなくなっていた。
「攻撃しないで、笑うだけとは。ずいぶんと趣味の悪い怪物だ」
さらに深くなる笑みに、高笑いが聞こえてきそうだ。
身動きできずに、蜘蛛に見つめられる。
「お前の能力、糸だな」
喋らない怪物に俺は語り掛ける。
「手や下腹部から出していた糸は能力の一種に過ぎない。真価を発揮するのは見えないほどに細い糸を使った攻撃。俺のこの傷も、体が動かないのも。その糸によるものだな」
怪物がゆっくりと、前足を上げていく。俺は死刑囚で、怪物が処刑人のような構図だ。
「小蜘蛛の有り得ない動きは、糸でお前が操っていたから」
怪物の前足が一番上まで、振り上げられた。
もはや振り下ろされるのを待つだけ。
「なぁ、体が燃えるように熱いって聞いたことあるか?」
もう俺の体は傷から流れた血によって、全身濡れていた。
怪物の前足が振り下ろされ、俺の体は火に包まれた。
「俺の血は、本当に。燃えるんだよ!」
怪物の前足が俺に届くより早く、体を回転させる。ハルバートも一緒に回り、怪物の前足が切り落とされる。そしてそのまま、怪物の上半身と下半身の境目にハルバートの刃を滑り込ませる。
大地に血を滴らせ、身を横たえたのは怪物の方だった。
ハルバートを構えたまま、副作用が落ち着くのを待った。
そして副作用が落ちつき、ハルバートが崩れ手にはナイフが残った。
小型や中型。大型の怪物は死後、長い時間。具体的には数日、空気に触れると体が崩れる。
だが怪物の中でも特級だけは直ぐに、体が崩れる。なんでなのか、それはいまだにわかってないが。この怪物も例に漏れず『ボロボロ』と崩れていき、周りの小蜘蛛も崩れていく。
「任務完了……」
だ。と言おうとして、その言葉を止める。
『ボロボロ』と崩れていく、怪物の体に。別の何かが見えたからだ。本来そこに有るはずの物ではない、何かがある。
強い風が、通り過ぎ。崩れた怪物の体が風に吹かれて、霧散していく。
後に残されたのは、立ち尽くす俺と。目の前に倒れる全裸の少女だった。
「どうして怪物の体内から人間が出てくる」
不可解な現象を前に、俺はただ立ち尽くすしかなかった。
「04号。対象の反応消失を確認。コアを回収後帰還してください」
大和からの通信は一方的に切られた。
特級は死後その場にコアを残す。
だが今目の前には、コアの代わりに少女が倒れていた。
「いったい何が起きているんだ」
大和にはこちらから連絡ができないし、この場で俺が判断を下すしかない。
俺は来ていた上着を被せ、少女を横抱きにした。
このままここに置いていくという選択肢はない。なら、連れて帰るしかないだろう。
俺たちの家に。
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