第10話
額から血が流れ視界を覆う。縁は、雅大を止めようと駆けたが遅く二人同時に敵の攻撃によって吹き飛ばされ地面に叩き付けられた。いとの声がする、雅大はまだ意識が混濁しているのか目を瞑ったままだ。縁はようやくはっきりしてきた意識の中で、敵の位置を把握する。それと同時に敵の異変に気付いた。
乍二郎の姿がない。どこにも見当たらないその代わりに嫌な音がずっと響いている。ソレは、いつの間にかしっかりとした人型に成り代わり、色も全てが鮮明になった。
「喰った…のか…」
「あぁ……美味しかった。とても、良いご馳走だった」
「貴様っ!」
「クハハハ、そこまで怒らないでもいいじゃないか。キミは人間じゃないだろう、何故そこまでして肩入れする?」
「—!」
距離を一瞬で詰められ、敵の顔が眼前に現れる。その顔はとても初対面とは思えない。どことなく彼に似ているそう、雅大に。
ここまで近づいていて、敵意を全く感じないなのに、威圧感は変わらずあって圧倒的な禍々しい気配を纏っている。
「一体何人喰ったんだ…」
「さぁ、覚えていないな。この姿になる前からずっと…喰らってきた。人間を、時には陰陽師…も」
「な、なんで…」
二人の意識が、後ろに向けられる。いとが敵の姿に酷く狼狽している様が見て取れる。こいつは先程何と言ったか、確か「陰陽師を喰った」と言わなかっただろうか。
敵の表情が歪む、口角を上げ縁の前から一瞬で消えたかと思えばいとの前に立ち見下ろす。
「あぁ、分かるぞ。この男の記憶からお前の名が手に取るように解るぞ」
「ふざけるな…、彼の体で声で喋らないで。不快だ」
いとの表情が怒りに変わる。クツクツと笑う敵に怒りが増していくのか背中に隠していた短刀と札を前に突き出し、敵の喉元に突き付ける微かに流れる血は赤くまるで人間そのものだ。
「酷いなぁ…いと。再会のハグの一つくらいあってもいいじゃないか」
「嫌よ。彼はもう居ない、そんなこと私が一番分かってる。彼を…真大を汚さないで」
「威勢のいい、喰らいたい」
「気持ち悪い。その首フッ飛ばしてあげる」
いとは、かつての戦友であり雅大の兄、
空気が震える。
地面が割れた瞬間、金属がぶつかる音が辺りに響く。
間近で目にしたのはこれが初めてというわけではないが、いとは身軽に敵の攻撃を避け、的確に札を駆使し片手に持つ短刀を操る。その姿はまるで舞う蝶の如く美しい。
「ぅ…」
「雅大!」
「え、にし、せんぱ」
「しっかりしろ、私は治癒呪法は苦手なんだ。少し痛むが我慢しろ」
「いっぃ」
縁は呪法を唱え、雅大の体をなぞるように手を翳す。すると次第に体の痛みは消えていき、雅大は立ち上がる。先程の衝撃で折れたのか足元には折れた破片が落ちている。
「彼に、見覚えがあるか」
「…はい。俺の兄です」
「お前は、乍二郎の旦那が妖魔に憑かれていたのを知っていたな?」
その問いに雅大は答えない。だが、小さく頷いた。
「祖父は、既に手遅れだったでも意志が祖父を生かした。それならそれでいいと思った…あの時の俺はまだ受け入れらなくて、いとも気付いていました。祓おうとしたいとを止めたのも俺です。分からなくなった、それでもあの屋敷に一人残されるのが耐えられなかった。ただ、それだけです」
「そうか」
「でも、あれは許せません。死者への冒涜です」
「なら、やるべきことは決まっているな」
「はい」
しかし、手元には戦える道具がない。
縁は駆けだした、いとの攻撃に合わせるように自身の攻撃を真大に浴びせる。
その時、チリンと鈴の音が鳴る。振り返ったそこには天が布を抱えて立っていた。
急いで雅大が駆け寄ると、その布を外すとそこには濃紺の鞘に収まる長刀。それは代々里見家の当主が引き継いできた刀だ。
「これ…」
「いまの貴方なら扱えるかと、当主様」
「……天」
「はい」
「必ず生きて帰る。だから、今日の晩御飯は俺の好物が良いな」
「はい。承知しました、屋敷で待っています」
「うん」
「雅大」
刀を受け取り抜き身を放ち、一歩一歩歩き出す。その背中に声が掛かる。天の優しい声。振り返らない、次の言葉を聞き逃さないように注意を払って。
「一人じゃない。約束したろ」
妖の言葉を信じるな、幼い頃から言われ続けていた言葉が心で反芻する。
天は、それでも傍にいた。ずっと、傍にいた。
温かい気持ちが心に陽を灯す。忘れていた、ずっと避けていた。急に訪れた現実に蓋をして見ないようにして、責任から逃れたくて。だが、今は違う皆がいる。
伝承や噂、御伽話じゃない。いまの目の前の出来事は自分だけの物だ。向き合え、と叫ぶ。
深呼吸をしていま雅大は、刀を敵に向ける。
全ての魔を妖を斬ってきた刀。伝統をいまこの場で引き継ぐ。
その者—。
「
閃光の如く煌めきが翔る。呆気に取られ、降りかかる一太刀が重く真大の体に圧し掛かる。跳ね返せない、守りも一瞬で砕かれ肉が裂ける。大量の血が零れ形が崩れる。
バグのような歪みが、存在を不安定にさせる。
「なぜ、雅大」
「何故?愚問だな、それはアンタが妖魔、だからだよ兄さん」
「ぐッ」
皮肉にも似たその声音は、もう一度形を成そうとする敵に容赦のない刃を下ろす。
血飛沫が頬を染める。
いとは、縁に支えられ事の成り行きを見守る。
まるで、別人のような雅大の姿に恐ろしさすら感じる。近づこうと伸ばした足は力なく地面に落ちる。
怖いのだ、彼が恐ろしい。少し前で後ろにいた彼はいまはもう自分の手の届かない場所を歩いている。そんな感覚がして、追いつけない。
「終わりだ」
「待て!頼む、殺さないでくれ。喰ったことは謝るから!だから、な?」
みっともなく命乞いの言葉を零す妖魔は既に人型ですらない、目と辛うじて口の形を持った、あのおかしな物体に戻っている。
雅大が動きを止めた。妖魔はニチャリと笑む。
「馬鹿がぁっ!」
「雅大!」
妖魔が鋭利な触手を出し、雅大に襲い掛かる。雅大は冷たい目で見つめ動かない。
咄嗟に動いた縁といとの動きは突然止まる。
妖魔の体が砕けたのだ。まるでガラスのように砕ける音が辺りに響き、それと同時に妖魔の怯えた情けない声が木霊する。
「なっァなぜ!なぜだぁああああああ」
「あぁ…分からなかったのか。この刀は魔を妖を砕く。地に反するモノ、害する全てを屠る。喰われたのはお前だったな」
「うぁああああああ」
断末魔と共に、妖魔はガラスの断片になり辺りに散らばる。
雅大は刀を鞘に収めると、散らばった破片を拾い
「何食べてるの?!ペッしなさい!」
「平気だよ。これも伝統」
「有り得ない…」
「確かに、真大もやってたかも…」
笑う雅大に、呆れた二人は頭を抱えるしかできなかった。
カラン、と乾いた音が礼拝堂に響く。教壇に背を預けるように体が床に沈む聖女はもう既に生気のない瞳をしている。
結界と瘴気が消えたことに気付いたラヴィアンは、聖女に向けていた剣を床に投げ捨てる。
「もう既にお前は神を裏切ってたんだ、あの世で気の済むまで大好きな神にでも懺悔しな」
「わたし…は、おまえをゆるさ…な、ぃ」
ぐちゃりと嫌な音共に、何かを引きちぎる音。
「それは、こっちも同じだ。アリア」
手にしているのは、聖女アリアの心臓。まだ微かに脈打つ心臓を喰らう。掌から零れる鮮血を嘗めると、瞳が一際赤く、紅く底光りする。
ラヴィアンはずっと、アリアを探していた。転生してもこの恨みは消えない。
奪ったモノは二度と戻らない。乾きは消えることなくラヴィアンに流れる血が教えてくれる。
壊れた協会を後にする。少し歩いたところで遠くから自身を呼ぶ声が聞こえてくる。
「ラヴィアン!」
酷く安堵したようなその間抜けな声と表情に呆れて、苦笑が漏れる。
「なぁんだよ、探してくれてたのか?」
「…姿が見えなかったから心配になって、まぁでもラヴィアンは強いから関係ないか」
「なーんか、ムカつくわお前」
「なんだ、それ」
二人は顔を見合わせ笑う。空はいつの間にか晴れていて、陽が傾き始めていた。
「ラヴィアンは帰るのか?」
「え」
「目的は済んだんだろ?縁先輩も役目は終わったからってもう帰っていったし」
帰路を歩きながら、話す。
ラヴィアンは雅大の問いに間を開けて、「そうだな」と一言答える。
揺れる瞳が視界に入るが見ない振りをした。
「まぁ、気が向いたらまた遊びに来てやるよ」
「いや、来ないでいい。帰ってください」
「なんだと、このっ」
「うわ、も、やめろ!」
その日、紅い月が昇る真夜中ラヴィアンは姿を消した。
そして、また変わらない日々が始まった。
抜けた穴を埋めるように、雅大は花園家の指導されながら当主としての役割を学ぶ日々、それと同時進行で調査や祓い稼業を進め、陰陽師の一族の再建に努めた。
勿論、いとも一緒に。
「なんだか、一瞬だった気がするね」
「そうだね」
「最初は、どうなるかと思ったけど終わりよければすべて良しってね」
「そうだね。でも、もういいかな」
「ははは、もうそんなこと言ったらまたあの吸血鬼が来るよ」
「えー、それはお断りしたいな…」
「なにが、断りたいって?」
聞きなれた声が背後からして、振り返る。
そこには、ラヴィアン、そして縁の姿があった。
「久しぶりだな、人間。また遊びに来たぜ」
「はは…お願いです、とりあえず帰ってください」
雅大は、突然現れた異界からの訪問者に嫌味のような言葉を投げる。
だが、その表情はまるで陽の光に満ちた、表情をしていた。
異界からの訪問者 獅子島 @kotashishi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます