第8話

 闇夜を駆け、襲い来る妖魔や妖怪この世ならざる者すべてを葬る。

月夜に照らされ剣先が反射する。血飛沫が頬を染める。気持ち悪さにすぐに服の袖で拭うが、感触は消えない。


「雅大さん」

「天、なんでここに」

「いつまで経っても雅大さんが戻ってこないって調査隊の方が心配していましたよ」

「あぁ…そっか。ごめん」


 どこか心ここに在らずな表情と、血が滴る刀を見つめる瞳は影を帯びている。

 どれだけ此処にいたのか自ずと想像は着く、妖気に当てられかけている様は不安定で危うい。天は人型にもなれる獣人であり、雅大の従者。

 なかなか帰らない主人を迎えに、森を訪れ気配を辿り見つけた。


「さぁ、帰りましょう」

「…うん」


 腕を引いてやれば素直に歩き出す。こんな場所に居てはいけないと悟る。ここは気分が悪くなるくらいに妖気や瘴気が満ちている。急いで主人を離さないといけないと心の警鐘が鳴り続ける。

 森から出て、二人は家路に急ぐ。ふとその途中で雅大が足を止める。


「いと…大丈夫かな」

「怪我も治りかけだと聞いていますよ、きっとすぐにまた元気な姿を見せてくれますよ」

「……」


 元気がないのは何故なのか。自責の念でも感じているのだろうか、その必要はないというのに、天は気を逸らすために色んな話をした。明日の朝ごはんの話、今日見つけた不思議な話。どれも雅大は笑ってくれる。優しい主人だと感じて思わず握る手に力が籠った。

 翌日、目が覚めた雅大は時間を見て今が昼を回った頃だと気づく。外の陽光が障子の隙間から漏れている。

 身体が重だるい気がするが、気にしている暇はない。今日も任務が立て込んでいる。動けないいとに代わり調査隊の調査を手伝うことにしている。復帰すればこんなことは当たり前になる。任務の合間を縫って新人の教育にも協力し早めに現場に出れるように後押しする。勿論自分の特訓もあるのでたまに、ラヴィアンや縁にも手を貸してもらい模擬訓練をしている。

 今日は、辛うじて動ける調査隊員とラヴィアン、縁も加えたメンバーでとある地で調査を依頼されている。

 そこは、もう既に廃墟となった学校で現在立ち入り禁止になっているがその跡地にマンションを建設する計画が経っているらしい。だが、最近その現場で怪奇現象が起きるという、建設作業中に急に足元を引っ張られたと思ったら大きな水溜りに引きずり込まれ、翌日その水溜りに水死体で発見されたという事件だ。

 

「水溜りに水死体…か」

「意味が分かんねぇ」

「とりあえず、見てみよう」


 調査隊員には、外で結界を張ってもらい一般人が入り込まないように見張り役を頼み。ラヴィアンと縁を連れて、雅大は報告現場に行く。現場は、取り壊し途中の状態で放置されたのかいまだ多くの重機や鉄骨などが置き去りにされている。


「ここか」

「確かに、水溜り…ですね」


 一見何の変哲もない、水溜りだ。だが、ここ最近は晴れが続いているので水溜りが出来ている事の方がおかしい。工事現場で水を扱っているのかと周りを見渡してもホースは綺麗に仕舞われているし、そもそも工事が中断してから日が経っている。明らかにおかしい水溜りに試しに長めの棒を差し込む。が、すぐに地面に刺さる感覚がして引き上げる。


「特に変化は無いですね」

「んじゃ、何かの嫌がらせじゃね?」

「そうなるとその水死体とやらの原因は何だ」

「擦り付け…みたいな?」

「ドラマじゃないんだぞ」

「気配も変わったところもありませんし…一応札を貼っておきますか?」

「あーいいんじゃね?怖いってなら埋めちまって、蓋みたいな」

「何も起こらないと打つ手がないしな、とりあえず様子見でそれでいいと思うが…」

「分かりました」


 その日はそれで調査は終わり、三人で土で水溜りを埋め念の為札を貼る。気休め程度だが気配もしなければ何も起こらなければ、こちら側も動けない。

 翌日、早朝に雅大は天に起こされ、テレビを見るように言われ新聞を手渡される。

 そこには、昨日の現場で陥没事件が起こったという事幸いにも死傷者は出なかったが、証言者によると酷い地鳴りが生じ道路に避難すると道路は一切揺れておらずそこだけが揺れていた。そして地響きのような音と金属の擦れる甲高い音が同時に鳴り響いたという。テレビを見て感じ取ったのは一つの歪な気配。急いで二人に連絡を取り、現場に急ぐ。


「酷いな」


 重機は傾き鉄骨は地面に刺さってガラスの破片や岩が転がり崩落の危険が高い為現場は封鎖され立ち入り禁止の看板と規制線が張られている。警察が現場検証の為に、現場に集まっている。話を通し、中に入れてもらう。妖気が強く感じられた。


「一晩でこの妖気…でも死傷者は出ていないし行方不明者もいない」

「このままだと、ここに低級が寄ってくるのも時間の問題だな」

「さっさと片しちまおうぜー」


 もう既に低級の気配が近づいてきている。ここまで酷くなるという事はなにか原因があるはずだと三人は現場をくまなく探す。結界を張り警察官らを外に出し、近づかないように指示する。


「あ、もしかして…これかな。ラヴィアン!縁先輩!」

「…祠…か?」

「屋根が壊されてますが、きっとそうです。でも中身がない」

「空だな。作業員が持ち帰ったか…」

「何が?」


 そこに在ったのは、小さな祠だ。

 意味が分かっていないのかラヴィアンが首を傾げる。


「こういう祠には鎮め石が置かれていることがって、学校は良くない気が集まりやすいから結界も兼ねて、置いてあることもあってでもその鎮め石がない」

「持ち帰ってない。でも、ここにない」

「下…か」


 何かに気付いた縁は足元を見つめる。鎮め石は神の涙とも言われており、神主や巫女が人間の安全を祈願した祈りが込められたりする。それを人が安易に触れない為にも祠があり、隠される。それが定位置にないこと、もし作業員の中にその事を知っている者がいたとすれば導き出される答えは一つ。


「投げたのかよ…」

「流石人間のやることだ。感心するよホント」


 二人とも顔が引き攣っている。水溜りは昨日よりも大きくなっている。札の効力も焼き切れてしまっている。きっと鎮め石の効力で気配が消えていたのだろう。だから誰も気配に気付けなかった、鎮め石の存在も消えかけている。そして投げ入れられ人間にの姿を見た妖魔が最後の力でその人間を引きずり込むも、それから鎮め石の効果で動けず丁度効果が斬れたのが昨日だったというわけだ。

 雅大も思わず呆れてしまう。所謂自業自得でもある、だが好奇心故に起きた出来事、所詮事故で片付けられる。


 ごぽっ


 水音に視線が一点に集まる。水溜りが突然沸騰したように水が沸き立つ。跳ねた水滴が皮膚を焼く。思わず痛みに驚く雅大に縁が庇うように前に立つ。

 その時、水溜りから飛び出したのは人の形をした白い何か、目がぎょろりと動くと彷徨い続けた視線が捉えたのは三人の姿、三人は身構え次に来るであろう攻撃に備える。震えるソレは口を開くと金属にも似た音を放つ。頭に響く音に耳を塞ぐ、視界が揺れる、いま自分が立っているのかさえ分からなくなる。


「なんつー声だよ…」

「…あれは、妖魔じゃない」

「あぁ。きっと鎮め石に宿った神力の一部だな、そうなると攻撃すればこちらにも不幸が被るな…全く面倒なことをしてくれた」


 白い肌に金の目は明らかに神の一部、だが半分は黒い靄を纏っている為浸食されているのが分かる。雅大はなんとか切り離せないだろうかと、朦朧とする意識の中で探る。何度もブラックアウトしそうになるのを醒ます為に、唇を思いっきり噛む血が口内に広がり、鉄の味に気分が悪くなりそうになりながら懐にある短刀を見つける。

 護身用で持っていたそれは、ずっと神域にあった。これならと、取り出した短刀に守護の札を貼りつける。すぅと札は吸い込まれるように消える。

 叫び続ける神は苦しそうだ。


「先輩!俺をあの人のところに投げてください」

「何か手があるんだな」

「はい。きっと依り代を失って苦しんでいるんだと思います。だったら何か代わりになる者が良いと思って、これなら妖気と切り離せるはず」


 雅大が、守護の掛った短刀を見せる。抜き身の短刀はよく磨き上げられており微かに神力を感じられる。縁は頷くと助走を付け走ってきた雅大を両手で打ち上げるように空に上げる。だが、やはり飛距離が足りなかったのか届かない。その時腕を掴まれたと思ったらラヴィアンが雅大を空中で神に向け再び投げ放つ。

 その勢いで、刀身が神の心臓を貫く。何かが砕ける音と消える光、神の体が消え纏った闇は浄化されていく。落ちる体はラヴィアンによって無事に地面に足を下ろす。


「肝が冷えたぜ…」

「ありがとう。二人とも」

「無事に終わったな。これで解決かな」

「はい。戻りましょ―」

「雅大!!」


 雅大は後ろから何かに引き込まれるように倒れこむ伸ばされた手は黒い手に阻まれ視界は黒く染まった。

 

「な―」

「くそっ油断した」

「お、おい!」


 引き込まれた雅大はあの水溜りに落ちて行った。水溜りの色が徐々に黒く染まっていく。膝を突き中を覗き込むも外側からは真っ暗で何も見えない。

 時間がない、早く引き上げなければ彼の命は無い。

 だが、得体のしれない存在に為す術がない。現にラヴィアンは日本の怪奇現象に疎いようで、焦っている。縁は思考を巡らせる、見たことがあるはずだ。縁はもう何百年も生きていて現世に訪れたのはこれが初めてではない。だが、思った以上に焦っているのか思考がまとまらない。


『縁』

「——!」


 結界を抜け現れた存在、犬月だ。神同士引かれたのかそれともまたただの気まぐれか。犬月は状況を察したのかすぐに水溜りに触れる、痺れるかのように焼ける感覚にふむ、と息を吐く。


「こやつは、良くないな」

「な、なぜ」

「覚えておらぬか…こやつは精神汚染を得意としている心を喰うとさている妖怪よ」

「だが、それはいま封印されているのでは…」

「そうだ、乍二郎の手によって。しかし、急がねば喰い尽くされ死んでしまうぞ」

「雅大っ」


 聞こえるのかも分からないままに、名を呼ぶ。


 雅大は、黒い闇の中をあてもなく歩いた。何も思い出せない。どうして此処にいるのかも今の雅大には分からなかった。すると急に言葉が降ってくる。

 その言葉に声に、びくりと肩を揺らす。揺らぐ心に立ち止まる。


「雅大」

「に、いさん」

「どうした、お化けを見たような顔をして」


 それもそのはず、死んだはずの兄の姿が目の前にあるのだ。その声とその顔が"あの時"の兄の姿に重なる。喰われた兄は雅大を庇ったそのせいで上手く攻撃を受けきれず喰われた、地面に広がる血が尻餅を付いて地に付いていた手にその生温かさと噛み砕かれる音が脳裏にいまだにこびりついている。呼吸が上手くできない、頭が痛む吐き気も同時に起こり立っていられない。


「どうした、雅大」

「にいっさん…!」

「雅大、一緒に行こう」

「い、やだ。嫌だ!…だって、兄さんはっ」


 痛みと苦しさで目に涙が滲む。口にしそうになった言葉を飲み込む。『認めたくない』その思いが入り混じって涙が零れる。

 その時、手が急に熱くなる。ずっと握りしめていたのは鞘に収められた短刀。温かい光に、痛みが消える。


「雅大!」


 聞こえた声に、思い出す。ここは水溜りの中だ、引きずり込まれ喰われそうになっている。そして、いま聞こえた声は縁の声だろう。

 雅大は立ち上がる。目の前にいたはずの兄の姿は溶けそうな姿で直視することが出来ないくらいに最後の姿に似て、酷く心が痛んだ。


「兄さん。俺、陰陽師になる。だから、行かないと待っている人がいるんだ」

「な、んで」

「もう、追いかけるのはやめる。俺は俺らしく頑張るよ」

「****」


 もう声が聞こえない。ノイズ交じりのその声は雅大には届かない。

 頭上には手が伸びて来ていた、呼び声と光が差し込む。黒い膜の向こうに見知った姿を見つけ手を伸ばす。


「———」

「!」


 掴んだ手に引っ張られた瞬間後ろから、懐かしい声が聞こえた。振り向いた時にはもう既に姿は殆ど見えなかったが、忘れられない声は雅大を呼ぶ声だった。


「雅大!」

「ぁ…」

「良かった。間に合ったな」


 目を開けると、そこには縁とラヴィアンの不安そうな表情があった。

 縁の右腕が焼け爛れ痛々しい。平気だと言うが、怪我をさせたことに責任を感じてしまうことには仕方がないだろう。俯く雅大の頭に大きな手が乗せられる。


「お前が無事だったことが何よりだ」

「すみません…」

「気にするな、すぐに治る。私は鬼だからな」


 優しい笑顔が温かい。何も言えなくなり、ただ頷いた。


「それで、この水溜りどうするんだよ」

「そうだなぁ。引きずり込まれること以外は実害はないのだが…其方、炎の術は使えるか?」

「え、一応」

「ふむ。では、ここに火を放て。そうすればこいつも事切れよう。もうだいぶ弱っておるようだし消滅させてやるのが一番だろうな」

「分かりました」


 犬月の言葉に従い、雅大は水溜りに火の術を放つ。燃え広がる炎は数分後には消え水溜りは跡形もなく消え去った。

 その後、その場所にマンションが建つ計画は打ち切りとなり。今も尚規制線が張られ立ち入り禁止区域となっている。

 そして、壊れた校舎の奥の祠には真新しい刀が奉納されているのだとか―。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る