第7話

あれから雅大は、人が変わったように訓練に勤しむようになった。

 学校から帰っては訓練場に入り浸り、今までのブランクを無くすかのように黒子たちを練習相手に、腕を磨いた。

 見る見るうちに上達していき、既に誰も手が付けれないくらいにまで成長した。


「いや、バケモンかよ」

「何が?」

「お前、成長スピードバケモンだろ」

「そうかな?でも、これが普通だよ。現役の時はもっと身軽に動けてた気がするんだけど…」


 等と、一人ブツブツと思考を巡らせ感覚を取り戻そうとしている雅大を前にラヴィアンは呆れる。

 彼はここ最近訓練と調査ばかりで体を休めていない。人間にしてはよくやる方だと思うが、いざという時に役に立たなくなると困りものだと思う。

 ラヴィアンは立ち上がり、刀を振るう雅大に近づく。


「うわ、危ないな…。どうしたの」

「腹減った」

「えぇ…、そんなこと言われても、吸血鬼は普段何食べてるんだよ。人間の作った物って食べれるの?」

「普通に食えるけど。ま、本当は血が一番美味い」

「うえ、考えただけで気持ち悪いな」

「おい。失礼だな血吸うぞ」

「やめて。分かった、なにか食べよう俺もお腹空いてきたし」


 そう言うと、雅大は刀を鞘に収め、屋敷に戻っていく。すれ違った黒子の一人に何か食べ物を用意するように頼むと、縁側に座り置いてあった水の入ったペットボトルを喉に流し込む。染みるように喉に水分が渡る。集中していて気付かなかったが結構疲労が溜まっているようで自然と溜息が出る。

 隣には、欠伸をする吸血鬼が平然と陰陽師の家にいる。そういう状況に今となって変わったなと感じる雅大。この家にいるのはずっと窮屈だった、期待に押し潰されそうになったり、重荷に耐えきれなくて祖父からはずっと逃げてきた。父と兄の死が受け入れられなくて、訓練をすることをやめてからもう幾つもの季節が過ぎた、いつしか腕は鈍って自信も無くなっていた。でも、今は違う。


「お前さ、元々調査隊に居たのか?」

「うん。兄さんの後ろを追いかけていたから、中学に上がってからはすぐに調査隊に入れてもらって、前線にいた。でも、学業を優先って言われてたから参加していた回数は少なくて、休みの日以外は殆ど夜の見回りと低級の奴らを祓う事ばかりで、あの時は本当に平和だったから…でも―」

「マサ」


 言い淀む雅大の前に、いとが現れた。今日は非番なのか制服ではなく本当に普通の女の子といった格好に、二人は思わず固まる。


「なぁに?そんなに固まって、お化けじゃないんだから」

「女だな」

「祓うわよ吸血鬼」

「ぜってぇ無理」


 今にも殺し合いが始まりそうになる睨み合いに、雅大が仲裁をする。

思い出したかのようにいとは、手に持ったバスケットの中から木製の箱を取り出し二人に差し出す。


「これは?」

「サンドイッチ。どうせ夢中になって訓練してるんだろうなって思ったから、息抜きもちゃんとしないと倒れちゃうでしょ」

「ありがとう。いと」

「どういたしまして。吸血鬼くんが食べれるかは知らないけど」

「中身は」

「ハムとトマトとキャベツ」

「ふぅん」


 急に大人しくなったラヴィアンは受け取ったサンドイッチを黙々と食べ始める。

その様子が妙に可愛らしくて、いとと雅大は顔を見合わせ微笑む。

 二人が食べ終わったところで、いとが「じゃあ」と言って立ち上がる。


「私これから、任務なの。またね」

「え、非番じゃないの?」

「本当はそうだったんだけど…」

「いと…?」

「昨日、調査隊の一人が抜けたの。最近急に忙しくなったから追いつけなくなったのかな、続けられないって辞めたいって言われて。引き留めるわけにもいかなくて分かったって言った」

「そっか」


 そう言ういとの横顔は少し寂しそうで、悔しそうだった。いとは責任者に近い立場にいる。彼女は実力も相まって沢山の人間から信頼され頼られている。しかし己が自身が、部下の気持ちや体を管理しきれずに離れていくことに多かれ少なかれ責任を感じている事だろう。命が関わる仕事だ、責任はいつだってついて回る。

 過去にも何人もの人間がこの界隈を抜け出している。カッコよさや物珍しさだけではこの職業は計り知れないくらいの恐ろしさ、言葉では簡単に言い表せない現状や、訓練で好成績を叩きだしたとしても、実践では怖気づいてしまう事も少なくはない。

 気が狂い、自ら命を投げ出す者。連れていかれた者。油断して喰われた者。それをこの職には日常茶飯事だ。


「いと」

「なぁに」

「大丈夫?」

「……うん、大丈夫」


 去り際に見せた不安そうな笑み。雅大は、訓練を再開する。胸に広がるモヤモヤした気持ちを振り払うよう刀を振る。


「雑念が混じってんなぁ…素直じゃないのか鈍感なのかどっちなのかねぇ」


ラヴィアンの言葉は集中する雅大には届かない。

 それから、数時間後とある知らせに雅大たちは血相を変えて花園家に急いだ。

 知らせが入ったのは、夜の七時を過ぎたあたりで、訓練を終えた雅大は部屋でラヴィアンと他愛もない会話をしていた。

 その時、黒子の一人が血相を変えて現れた。その時告げた言葉はいとが任務中に大怪我をしたという事だった。雅大はその言葉を聞いて部屋を飛び出した、血の気が引く思いで急いで花園の屋敷に向かった。


「いと!」

「あぁ…マサ。ごめんねこんな格好で…はは、なんだか恥ずかしいな」


 雅大の目に映るいとの姿は、包帯とガーゼに覆われてどこも傷だらけで痛々しい。

視線が合わない。震える声で「ごめん」と呟くいとの姿に胸が痛んだ。

 女中の話では、調査隊の任務で前線で警備をしていた。だが、調査隊のメンバーは新人が殆どで、指示が上手く回らずに妖魔と接触した際に動けなくなり庇ったところまた新たな妖魔が現れた。報告にも上がっていなかった為、その場から撤退する指示に遅れ新人の一人が犠牲になり混乱が生じ、数名の負傷者。戦況は完全に調査隊の不利になり、いと一人で妖魔と対立する形になった。

 ギリギリのところである男に助けられ、屋敷の前に戻されたという。

雅大はそのある男がいるであろう場所に向かう。

 赤い鳥居の真下に彼はいた。


「先輩」

「こんばんは、雅大」

「いとのこと、助けてくれてありがとうございました」

「礼なんて必要ない。偶然通りがかっただけだ」

「今回の任務、本当は低級の妖魔だったはずなんです」

「あぁ。そうみたいだな、気配が二つ。小さいものとそして歪なものの二つだ。

 私は、その歪な気配を追いかけた。この神社と協会に近いあの森、そこにいた。そして偶然彼女もそこにいた」


 月夜が縁の姿を照らし出す。この世の者とは思えないような整った顔立ちの人間の皮を被った鬼が不気味な笑みを浮かべて、山の中腹に立つこの神社からその下に見える白い協会の間にある木が生い茂った森を見つめている。そこには不思議と境界線のような気配が立ち込めている。普段なら誰も通らない場所。だがここ最近多発する、行方不明事件、歪な気配はすべてそこに集まっている。田代が見つかったのもその森だった。何かがおかしい。罠かもしれないが調査をしてみないと分からない。雅大は、縁に一礼をして、その場を後にする。


「貴方は行かないのか」

「はあ?行かねぇよ、別にずっと一緒にいるわけじゃねぇし」

「妙に彼に固執しているようだったからな」

「そりゃアンタだろ。オレは別の用がある。その為にここに来た」


 背の高い岩にしゃがみ込み、森の奥の境界を見据えるラヴィアンの瞳は、月夜の光も相まって赤く底光りしている。

 縁はただ黙って、同じ方向を見据えた。あの異様な気配、微量な為に雅大には伝えなかったが明らかに人間以外の何かがそこには存在している。


 聖女は、階段を一段一段ゆっくりと降りる。手にしているのは一つの蝋燭。

 闇を抜けるとそこには、黒く禍々しい繭のような物体が脈を打つようにドクンと動く。

 恍惚に満ちた表情で聖女はそれに触れる。愛しそうに頬を寄せると大きく脈打つそれに口付けを落とす。


「あと少しだから…」


 その言葉に呼応するように、もう一度脈打つ。

 それは今にも弾けんばかりの大きさに育っていた。

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