第2話
「はぁ…疲れた」
「少しいいかな、聞きたいことがあるのだが」
「あ、はい。なんですか」
雅大が振り向くとそこには、黒縁眼鏡を掛けた生徒がラヴィアンといとがじゃれあっている方を見つめている。その瞳は鋭さを持って黄金の宝石のような煌めきを宿していて吸い込まれそうだ。思わず呆けているとその瞳が雅大を捉えた。
「どうした。なにか私の顔に付いているか?」
「いえ、見慣れない瞳の色だったので…」
「そうか、まぁ私はここの者ではないからな」
「それって一体どういう意味で…」
「…あれは西洋の鬼か」
「西洋の鬼…?」
その言葉に、ハッとする。確かに一部の人間は『吸血鬼』のことをそう呼ぶ。だが、この学校でその言葉を使う人間は、陰陽師の血縁者かそれに準ずる関係者のみだ。
そして、雅大がその関係者と面識がない者はここにはいないはずだ。
雅大は、その生徒と距離を取ろうと後退る。
「怖がる必要はない。別にお前に危害を加えるつもりはない。構えを解け」
「……」
「アンタは何者なんだ」
「…今日の夜。里見の屋敷に伺う。ご当主に話を通しておいてくれ」
「……」
「話はその時にしよう」
その生徒は、ほんの少しだけ哀し気に笑った。
その時、いとがこちらに気付き、その生徒に軽く会釈した。
「あぁ、そうだ。彼も連れて来てくれるか」
「え…」
「じゃあ、頼んだぞ」
彼はそのまま、校舎の中に消えて行った。
擦れ違いで、いとが駆け寄ってくる。
「マサ。先輩と知り合い?」
「先輩?」
「そう。
「見たことない」
「あまり学校に来ないらしいけど…怪しい噂が多い先輩だから一応気を付けたほうがいいかも」
「怪しい噂ァ?」
いとの後に付いて、ラヴィアンが気だるげに問う。その問いに、いとは真剣な面持ちで先輩が消えて行った場所を見つめた。
「人間じゃない…かもしれない」
「は?」
「分からない。でも時々気配が変わるから…、いろんな子に先輩が人が絶対入れない場所に居たとか、誰も居ないのに明らかに誰かと話してたとか、そんな噂をよく聞く。…それと…」
いとは、急に口ごもる。
雅大は、いとの怪訝そうな表情に心がざわつく。
「昨日の…ワルプルギスの夜の、妖魔たちの中に先輩の姿を見た」
その一言に、二人は衝撃を受けた。
「見間違いじゃなくて?」
「見間違うわけないでしょ。異形の中に人の形を…私たちと同じ制服を着た人間がいたのだから」
「…でも、嫌な気配はしなかった」
「確かめようにも、先輩とは中々会えなくて…ねぇ雅大。さっき何を話していたの」
「今日の夜家に伺うって」
「……そう。じゃあ私も行く」
「え?」
「オレもー」
「は?」
困惑する雅大を置き去りに、二人は意を消したように歩き出す。
面倒だと思いながら、呆れていた雅大は午後の授業に全く集中が出来なかった。
サボっていた分の反省文を書かされた後、付いていくと聞かない、吸血鬼を連れて家へと帰る。
バスに乗り、山の入口でバスが止まる。その頃にはバスには雅大とラヴィアンの二人だけで、運転手に会釈をしてからバスを降りた。その先はしばらく歩かないといけない。人は滅多に入ることがない為、車もろくに通らない獣道を二人は歩く。
「こんな山の中に住んでんのか、お前」
「…そうだよ。吸血鬼だって似たようなものだろう」
「馬鹿か?そんなもん物語の中だけで、普通に街に住んでるし城下町には人がたくさんいる。暢気なもんだよ、吸血鬼の街に恐れも抱かずに住めるなんて命知らずな奴らだ」
呆れたように話すラヴィアンの口調はどこか優しくて、住む場所が違うと人間と妖魔の関係性も違うのかと思ったが、きっとこの吸血鬼は人間と上手く関係を結んでいるのだろう。だから、目の前にいる雅大さえも手に掛けようとしない。
そう思えば、きっと雅大はあの時一瞬であの世に行っていたに違いない。
「勘違いするなよ。その気になればオレはお前を殺すことが出来る。そのことを忘れるな」
「分かってるよ」
鋭く光る赤い瞳は刺すように冷たい。本気の瞳だ。
冷や汗が額を伝う。その瞳から逃れるように雅大は帰路を急ぐ。
やけに静かな山道は、きっと彼の存在に気付いている。ただじっとその存在を観察して見計らう。山を侮ってはいけない、いつだって何かに見られている。存在も黙認されているだけだ。
「ここか」
「ちょっと待って、きっと来るから」
「なにが」
その時、天に影が覆う。閃光の如く速さで現れたのは獣だ。
鋭い爪がラヴィアンの頭上に振りかざす。互いに鋭い爪がぶつかり合うが、ラヴィアンはその爪を弾き返す。禍々しい気配がその場を支配しそうになり、後からぞろぞろと現れた黒子のような人間たちがその場に尻込みする。
雅大は、ただ黙って一枚の札を取り出し。何かをそっと呟いた。すると、獣がその場に伏せる人間でさえも急に膝から崩れ落ち、視線が一点に集まる。
「…ぐるぅ」
唸るように情けない声が獣の口から洩れる。影が濃くよく見えなかったが、その姿は狐のようで愛らしいと言っても過言でないくらいで、興が削がれたラヴィアンは視線を逸らす。
視線の先には、黄みと赤みが混じった色の放つ札を口元に当て、影を落とした瞳が獣を捉える。
「お客さんだよ。どうして気付けない?みんなも少し観察力が欠けてるね」
「申し訳ございません。お帰りなさいませ、若。お客様もご無礼をお許しください」
「……」
「はぁ…ごめん、ラヴィアン」
「別にいい。これが本来あるべく恐れだろ。こいつらは正しいよ」
「ありがとう」
ラヴィアンは、雅大が心から彼らに落胆し申し訳なさを感じていることを見て取り、違和感を感じる。最初の頃から感じた違和感、彼に恐れを感じないことだ。
人間であるべき恐れを彼には感じない。何がそうさせるのか、ラヴィアンには分からない。ここの人間たちに獣にある恐れ、だが雅大はそれを見せない。
いまだってそうだ、普通焦りを覚えるはずの現状で一度もその場を動かなかった、陰陽師であることの故なのか、ラヴィアンは不敵に笑う。
「おいで、天。お爺様は?」
「お部屋に…」
「喋んの?そいつ」
「天は、特別だから」
「…特別…ね」
抱きかかえられた、狐は目を閉じる。それ以降口を開くことは無く、屋敷の中に入ると空気が重く圧し掛かる。
『威厳』と『存在感』。その全てが地に成し、地がそれを許している。
「ただいま戻りました。お爺様」
「客人か、雅大」
「はい」
「ふむ。うちの者がすまない。無礼を詫びよう。ワシは
「…丁寧にどうも。俺は、ラヴィアン。アンタらが吸血鬼と呼ぶ存在だ」
「真名ではないな」
「そう簡単に名乗るわけにはいかないね、陰陽師相手に命知らずだろ」
「賢いな」
「そこら辺の雑魚共と一緒にするな」
「高貴であるが故の、傲慢さ。大したものだ、ちと骨が折れそうだな。して、何用だ」
ラヴィアンの言葉は、さして響いていないような余裕さを感じさせる様に、ラヴィアンは苛立ちを覚える。嘗められたものだ、昔はこうではなかったと思うくらいに。
対等になったとも言えるが、ラヴィアンには気に食わないことだ。
ラヴィアンの前に、雅大が立ち塞がる。
「本日、この家を訪問すると言付けを受けました」
「何者だ」
「分かりません」
「なに?」
雅大の返答に明らかに憤りを覚えたような言葉に、空気が重くなる。
先程までの余裕さは影を帯びて、重い重圧が全て雅大に注がれる。雅大の額には汗が滲むが、表情は一つも動かない。感情を捨てたような表情に、ラヴィアンは思わず雅大の腕を掴む。驚いたような表情の雅大が口を開く前に、石が跳ねる音が響く。
「お邪魔してごめんなさい。花園いと、里見家のご当主に用合って馳せ参じました」
「なんじゃ」
「本日こちらに、訪問するという者は人という確証はありませんが、若様と接触した際当主様の名をご存知のようでした」
「……だからなんじゃ」
「我々には図れぬこと、当主様に確認することが最善かと思い。若様に通しました。もし、ご機嫌を害されたのであればお詫び申し上げますと共に、処罰は私にお申し付けくださいますことを望みます。それと、お話したいこともございます。よろしければ場所を移すことは叶いますでしょうか」
「…良かろう。こちらに参れ」
「ありがたき幸せ」
いとの言葉に、落ち着きを取り戻した乍二郎は屋敷内に入っていった。その後を追うようにいとが歩き出す。いとは雅大に口パクで部屋に行くように伝えその場を離れた。
「おい」
「…いつもああだから、気にしないで」
「酷い顔色だぞ」
「平気だよ」
ふらつく雅大の顔色はお世辞にも良いとは言えない。ラヴィアンは陰陽師という存在との関りは殆どない。そもそも吸血鬼が日本に根付き始めたのはあまり古い話ではない、まして対峙した経験もない。存在は互いに知っているという状態で、実態は今回が初めてで困惑しているのはラヴィアンだった。
「こっち」
掠れた声に、黙って付いていく。
空気は流石というべきか淀みなく寧ろ澄んでいて、町中よりは息がしやすいくらいだ。
「気分悪いとかない?」
「そりゃお前の方だろ…」
「はは…言えてる。でもやっぱり本物は強いね。伝承や噂じゃ図れない」
「当たり前だ。そんなものは恐れから生まれた幻で、いくら対策をしようと意味がない。人間がオレたちの上に立つことなど有り得ない」
「怖いね」
「…お前、おかしいだろ」
「なにが?」
何も分かっていない。言いたいことは山ほどある、目の前にいる人間に欠けているもの全て、どう伝えればいいのかラヴィアンには分からない。人間とまともに話すことなど故郷でさえ難しくて、いつも馬車の車窓から人間たちの希望の目に呆れた想いでいた。守られることが当たり前で、恐れからくる従順さはいっそ清々しい。それを持たない人間ましてや持つことが許されない人間に、苛立ちが募る。
「…クソッ」
「気にしなくていい。本当に平気だから、お前が怒る必要はない」
「でも…」
「お前が何もせず、帰ってくれるだけでいいそれだけでいいんだ」
「それは…できない」
「…そう。仕方ないね」
どこか諦めたような、それでいて優しの混じった感情が言葉に乗って、ラヴィアンの苛立ちをかき混ぜる。”戦え”そう言いたい、だが目の前の男に言ったところでその言葉はきっと虚空に消えるだけだ。彼は武器を持たない、持っているのは威嚇のための紙切れだけだ。自身を守ることもしない、彼はそうやって生きてきた。
いまだって、実力行使でラヴィアンを帰さない。敵である彼を自身のテリトリーに招き入れる、間抜けさ。
「おかしいよ、お前」
「知ってるよ」
「殺してやろうか?」
「はは、それはお断りかな」
「あ、そう」
その後は、沈黙が続いた。
いとが雅大の部屋にやってきたのは、陽も落ちた夜の始まりの刻。
とある二つの気配が、彼らのほうへ近づいてきている。
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