寄(みせによる)


結局、何処に行ったかと思えば、学校近くのファミレスだった。

全国チェーン店のファミレス。此処ではよく、食事をしにくる教師の姿がある。

それは、学校に在籍する生徒も知っているので、サボった生徒は絶対にこのファミレスを使う事は無い。

教師がファミレスを利用するのは、基本的に昼頃だ。

だから、朝っぱらから教師がこのファミレスを利用する機会は少ない。


「ふぅ、あ、ドリンクバー一つお願いしまーす」


マスクを装着した零戸は、口を動かしてマスクがずれない様に手をマスクの端に添えていた。

ファミレスのテーブル席に座る俺は、適当に珈琲を頼んだ。

ちなみにブラックじゃない。俺は無糖は苦手だから、最低でも、砂糖は入れる様にしている。


「何のつもりだ、お前は」


俺は手に握り締める万札を、零戸に向かって投げ渡す。

紙幣はゆらゆらと揺れて、零戸の前に落ちた。

テーブルの、丁度、ナプキンが置かれた位置にだ。


万札を握り締める零戸は、それをぱっと広げて、皺を取る為に親指の腹で紙幣を伸ばしていく。


「何のつもりって、お礼のつもり、だけど?」


「お礼をするにしても、金額が馬鹿に高いだろ」


「うん、人間って基本的にお金が好きでしょ?だから、お金をあげるの」


金が好きな訳じゃない。

生きる為に必要な代物が金であるだけに過ぎない。

決して好きな訳じゃないし、むしろ、理由も無く大金を積まれれば積まれる程に不審がるものは早々無いだろう。


「俺は要らない、そこまで恩を着せたつもりもない」


「恩なんて着せて無いよ、着せたのは服、キミのファーコート」


親指でパーカーの端を掴んで、上下に振る零戸。


「…まあ、一応は感謝する。財布、まさかお前が、届けてくれるなんてな」


こうして会った事はまだ一回程で、更に数時間すら会ってない二人だが、それでも俺はこの女が財布を盗みそうな人間だと思っていた。

だから、今回ばかりは偏見だった事は認めよう。


「構わないで、財布の中身、見ちゃったし」


「あぁ…悪いが、財布の中身を確認させてもらうぞ」


悪気があるワケじゃないが、疑ってはいるからな。

どうぞどうぞ、と、手を広げて零戸が財布を差し出す様な素振りをした。

俺は財布を開いて中身を確認する。

財布の中身は、全然変わり様がなかった。

…いや、おかしいだろ。俺の財布の中、こんなに万札が入っているワケがない。

バイト代を入れていたとしても、数万程だ、何で五十万も入ってるんだよ。

俺は零戸の方を見る、零戸はおかしそうに目を細めていた。

マスクで顔を覆い隠しているので、彼女の表情は読みにくいが、それでも、彼女の目線だけで、どういった顔をしているのかなんとなく分かった様な気がする。


「だから、お前どういうつもりだよ」


「お礼のつもりって言ってるのに…お金が嫌いだなんて、変わってるなぁ」


そう言って、店員が持って来た珈琲に口を付ける零戸。

おい、それは俺の珈琲だろうが。


「えへへ、何これ、不味い」


当たり前だろ、わざわざ好き好んで珈琲を飲む奴なんかいない。

俺の場合は、頭が冴えるから、と言う理由で呑んではいるが。


零戸は、ドリンクバーへと向かって、ジュースを入れている。

俺はその内に、零戸が要れたであろうお金を数えて、その中から、俺がバイトで稼いだ金を抜き取り、残りの金を零戸の方に向ける。

零戸がドリンクバーから戻ってきて、その万札の束を見ると、残念そうにそれをファーコートのポケットへと入れる。


「要件は済んだな、じゃあ、俺は帰るぞ」


財布をポケットに入れて席を立つ。

しかし、零戸は席を立ったままで、俺の進行方向に遮ってくる。


「…なんだよ」


俺が零戸を睨みながら言った。


「んー…このまま返す訳にはいかないって言うか…ねぇ?」


そう言って、零戸は胸元を腕で寄せると、谷間から何か白いカードが出てくる。

それを凝視した俺は即座に理解して、財布に手を添える。


「それ、俺の学生証じゃねぇか」


「そうだよ、これ欲しい?」


胸から学生証を取り出して、零戸がそれを俺の方に向ける。

俺は手を伸ばして、零戸の持つ学生証を取り戻そうとしたが、寸での所で零戸がカードを上にあげて俺が捕まえようとした瞬間に取り損ねる。


「……何が目的なんだよ、お前は?」


苛立ちを隠せない俺は、そう彼女に聞いた。


「ん?えへへ、知りたい?」


そう言って零戸が俺の方に近づいて来る。

柔らかなソファはバリアフリーと化していて、子供が転んでも、頭をぶつけない様にクッションになっている。

俺は彼女に押されて尻餅をつき、椅子の上に無理矢理座らせられる。


「私ってさぁ、基本的に駄目な子なんだぁ」


「あ?」


なんだ急に、そう言い出して来やがって。

零戸は自らのマスクを外す。瑞々しい薄桜色の唇が露見する。

舌なめずりをする零戸は、手をソファに添えて、俺の上に跨る様に移動する。


「駄目な子、出来ない子…まあ、言い方なんて沢山あるけど…私は基本的に、誰かに依存してないと駄目な寄生虫的存在なんだぁ…」


だから、と。

俺の方に顔を近づけて、耳元に唇を近づけると。


「ねぇねぇ…私を飼わない?」


甘い声で囁いて来る。

直後、零戸が顔を上げて俺の顔を見詰めて来る。

零戸の目は、なんというか、蠱惑的だった。

赤い満月の様な瞳孔が、俺を映している。

俺はその目に、綺麗だと思い、吸い込まれそうになって…。


「…馬鹿が、何を言ってる」


そして、俺はこめかみに指を添えてトントンと叩いた。

脳味噌がなんだが可笑しい感覚がしたから、一度リセットする事にしたのだ。

零戸は、呆然と俺の方を見て首を傾げている。


「…うーん、効いてないんだ、そっかそっか」


と、頷く零戸。

一体何がしたかったんだ、この女は。


ドリンクバーを一杯飲んだ所で、零戸は満足した様子だった。

お会計をした後に、零戸と一緒にファミレスを出る。


「学生証、返せよ」


俺がそう言うと、零戸は人差し指と中指で学生証を挟んだまま、それを俺の方に渡して来た。

今度は、ちゃんと返すつもりだったらしい。俺はそれを掴むと、零戸は指を離す。


「ねえ、せめて連絡交換しない?」


零戸がそう提案して来た。

俺は首を左右に振った。


「冗談じゃない、俺は、出来るだけ人との関係を持たない様にしてんだよ」


と、俺の正直な感想を口にする。

それを聞いた零戸は意外そうな顔を浮かべて俺の方を向いた。


「そうなの?勿体無いと思わない?」


一体、何が勿体と思えるのだろうか。


「人の縁は腐る程ある。好き好んで繋がりを持とうとする人間の方がおかしいと俺は思うけどな」


良縁、悪縁、腐れ縁。

どれ程の縁があろうとも、それは一方的に寄って来る。

こちらが望む気も無いのに、だ。

社会に上がれば、その様な縁はいくらでもやって来る。

ただでさえ、俺は指で数えるくらいで十分だと言うのに、これ以上増やすなんて、とんだ苦行でしかない。


「そっか、残念。あ、でも…」


そう言って、零戸が再び俺の方に向かって来ると。


「連絡先は無理でも、縁ってものは既に出来上がってるからね、私とトージは…絶対に離れられない、そんな縁がね」


俺は勢い良く零戸の肩を押そうとした。

それは、零戸の顔を近すぎるから、離れろと言う意味で押し出そうとしたのだが。

既に、零戸は数歩下がった位置に立つ。


「私、なんだか気に入ったみたいだから…これから、寄生する事にするね」


零戸が言う。

寄生する、なんて、この女は一体何を言っているのだろうか。


「冗談もほどほどにしろよ。じゃあな」


二度と会うつもりは無かった。

手を挙げて左右に振って、そのまま俺は零戸の元から去ろうとして。


「タネは撒かれる」


俺の首筋に何か、違和感の様なものを覚えた。

慌てる様に、俺は手を後ろに回して、後ろ首に手を添える。

首筋には、針の様なものが突き刺さっていた。

それを引き抜こうとした時、俺の首に向けて、ぬるりと、針が入り込んでいく。


「あ?」


ぐるり、と。

俺の脳内が巡る。


「痛い?痛いかな?ごめんね、でもね、仕方が無いよね、だって私にはこの縁しか要らないし必要無いから、トージしか欲しくないの、今の私は」


だから、と付け加えて。


「ごめんね?」


そんな、軽薄な謝罪がされる。

朦朧とする意識の最中、零戸が俺の顔を見て微笑んだ。

それは天使の様な表情ではあるが…この女のやる事は、悪魔としか言いようが無かった。

俺の意識は暗転する。



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