裸(ぜんら)


心臓が心なしか高鳴っている。

これは決して緊張しているワケではない。

ただ、これから悪いモノを吸い込んでいくと言う絶望故に心音が高くなっているのだ。

息を深く吸う。恐らく中に入れば、これ以上に上等な空気を吸う事は見込めないだろう。


「…」


覚悟を決めて扉を開ける。

軽快な、頭がラリった野郎が鳴らす音楽がフロアを包み込んでいた。

鮮やかなんて言い難い、健康を害する様な七色の閃光が宙を裂いている。

この店の中は人工的な暗闇で包まれていた。

星空など見えはしない。あるのは人の吐息が入り混じり、熱気によって生まれた雲だけだ。


「はぁ…」


「元気ないじゃん、なんか飲み物取って来ようか?」


アメリカのパーティでも此処まで下品さは感じないだろう。

バニーガール姿をしたウエイトレスが、酒を注いだグラスを持って移動していた。

誰が見ても喜ぶ筈がない。そのバニーガールは男だった。

悪夢で出て来そうな光景だ。


「要らねぇ…アイツは何処に居る?」


「えーっと…あ、あそこじゃない?」


あそこ、と白光が指さした場所には、人だかりができていた。

今でも、人だかりは出来ているが、そのフロアの中心は特に濃く、人の壁と言いたげに密集している。


とにかく、人が多いからその中心で何をしているのか分からない。


「何してんだ?」


「二階にでも行く?」


二階はVIP専用のフロアだ。会員制の人間であろうとも、中々上に上がる事は出来ない。


白蜜はアイツの友人だから、基本的にVIP会員として通っている。

顔パスで通る事が出来るし、VIP会員じゃなくても、白蜜が傍に居れば一緒に通る事が出来る。


二階に上がると、少し人が少なくなったので、安全に息を吐いた。

それでも、人の臭いが強い。こんな所は一秒も早く、傍に居たくはなかった。


「ちッ」


VIPルームでは、尻を丸出しにした女が叩かれていた。

音楽に合わせて、ドラムの様に叩いている。

なんとも卑猥的だ。かつ悪趣味だ。


「あ、あれあれ」


フロアの中心を見る。

其処には、アフロ姿の全裸の男と、銀髪で、ファーコートを肩に羽織る、全裸の男が拳を作って殴り合っていた。


「シンディだ」


「あれがか…おいおい、アイツ、髪すげえ痛むだろ、あんなアフロにしやがって」


「いやそれ違う人」


遠目だと分からないんだよ。

あのアフロがアイツじゃなかったら、じゃあもう片方の奴が、俺が合おうと思っていた奴か。


「この前あった時は赤色の髪だったろ?」


「女にフラれてイメチェンしたんだって」


今週一どうでもいい情報だ。


「女々しいにも程があるだろ」


律儀にそう言っておく。


どうやら、そのフロアの中心では決闘でも行われている様子だった。

アフロが殴られて、銀髪が殴られる。

互いの口から、あるいは拳から、血が零れて、床に付着する。

ベタベタになって、最早、どちらの血が多く流れているのか分からない程に、殴られて殴られて…そして、アフロの男が倒れると同時に、顔面を殴られた全裸の銀髪頭の男が両手を挙げた。


「ふぅううう!!シンドバッドが勝ったぞぉおお!!」


そう高らかに、マイクを握るDJらしき男がそう叫んだ。

それに合わせる様に、フロアは熱狂の渦に飲まれて、殆どの人間が高らかに声を荒げる。

まるで、自らの勝利に酔う様に…くだらない。


「シンディー!おーい!」


手を振る白蜜。

声に反応して、血に汚れた男が此方に顔を向ける。

そして、白蜜を見て、次に俺の顔を見て目を開く。


「おぉおお!!シノーマン!!」


「あ?」


今なんて言った?

あいつ顔面を殴られ過ぎて、口が切れているから、声がなまっている様に聞こえる。

何を言ってるのか全然分からない。

かと思えば、すぐ近くに居た金髪の女が、口にアルコールを含んで銀髪の方に近づくと、銀髪は女の口からアルコールを受け取って、それでうがいをし始めた。

そして、犬の様にだらしなく口を開ける男に向けて、血をシェイクしたアルコールのカクテルを口移しすると、再び此方の方に顔を向ける。


「スノーマンッ!リリスッ!!久しぶりだなぁオイ!」


…やっぱり何を言ってるのか全然分からないぞ。

誰の事を指して言ってんだよ、スノーマンって。


「ほら、スノーマン」


「ざけんな白蜜」


俺は睨みながら白蜜の方に顔を向ける。

階段を登って、ファーコートを羽織る全裸の男がやって来る。


「よぉ!懐かしいなぁスノーマン」


「黙れ、二度と俺をそんなふざけた名前で呼ぶな。アメリカンコメディじゃねぇんだぞ」


人差し指を銀髪に向けた。


「おい、諫」


「ウェイウエェイウェイツッ!ここじゃあ本名は禁止だぞ、おい!」


知るかそんなルール。

俺にとってはお前はシンドバッドなんて、変な名前をした奴じゃねぇ。

いさみゆう。それがお前の名前だろうが、だらしない。


「で、心電図」


「シンドバッド、だ。荒れ果てる海を越え、多くの島を見た開拓者の名前ッ!それがシンドバッドッ!まさに、俺の様な荒波を越える様な男に与えられた新しい名前だッ!」


高らかに宣言する諫。

色々と言いたい事がある。

何故殴ってたのとか、何故、全裸にファーコートを被っているのか、とか。

いや、この際それは質問しない。まず第一に、俺はお前に言いたい事がある。


「人生の荒波すら越えられねぇ半端モンが何言ってんだよ」


そうだ、これを言ってやりたかったんだ。


「甘酸っぱいカクテルはいかが?」


黙れバニーボーイ、二度と俺にその大胸筋を見せつけるんじゃねぇ。

…あと、二度と俺に食い込んだ尻を見せつけるんじゃねぇ。

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