仕(メイド)
ようやく自宅に到達した。
俺の家は、爺さんの自宅をそのまま使用している。
爺さんが残した土地に、爺さんが残した屋敷。
武家屋敷の様に間取りが広い。広すぎて掃除をするのも一苦労な程だ。
もっとも、俺が使用している部屋があるとすれば、それは自室と居間、風呂にトイレ、そして台所くらいだ。
扉に手を掛ける。
鍵は掛かっていない。不用心にも鍵をしていない、と言うワケでは無い。
敬基家の屋敷には、広大であるが故に、爺さんが人を雇っていたのだ。
ハウスヘルパーではない。どちらかと言えば、使用人に近い。
涼川邸で仕事をする秋雨さんの様に、この屋敷に仕えるメイドの様なものだ。
玄関から家に入る。
すると、廊下から歩く割烹着姿の女性が現れた。
「お帰りなさい、冬児さん」
白い割烹着、光の反射で紫の様に見える髪。
冷めたようにも見える彼女の視線は、生まれた時から持つ生来の代物。
祖父の時代から契約は更新されている。
この敬基家で使用人として働くと言う契約。
「…服は?」
瑞美さんが俺が学生服である事に気が付いて、上着が何処にあるか伺って来る。
俺は首を左右に振った。
「要らないから捨てた」
靴を脱ぎながらそう言う。
瑞美さんは俺の前を通り過ぎて、玄関に脱ぎ捨てられた靴を丁寧に揃える。
「要らないって…デザインが気に入らなかったのかしら?」
「あぁ」
俺は頷きながら自室に戻ろうとする。
「冬児くん、何回も言ってると思うけど」
襖の扉に手を掛けた所で、瑞美さんが氷の様に冷ややかな視線を向けて来る。
「…リュック置くだけだろ」
別に、忘れているワケではない。
「私に言えば、荷物くらい持ちますよ」
そういう問題じゃない。
俺は溜息を吐きながらリュックを自室に投げ入れると洗面所に向かう。
敬基家では徹底されている。
家に帰ったら手洗いうがいは、絶対なのだ。
…子供かよ。
しかし、それをしなければならない。
瑞美さんはルールに厳しい人だ。
それが生前の爺さんが決めたルールであるならば猶更だろう。
手を洗い、うがいをするまで、瑞美さんは俺の傍から離れない。
「爪を立てて下さいね、病原菌は、隙間に潜伏している事が多いですから」
「はいはい…」
俺が手を洗う所を見ながら小言を言って来る。
気怠いが仕方が無い。今では、彼女がこの家の長の様なものだ。
爺さんが死んだ今でも、俺がこの屋敷に住む事が出来るのは、保護者として認められた瑞美さんが居てくれる御蔭だからだ。
手洗いうがいを終えた所で、瑞美さんが差し出したタオルで顔を拭く。
「夕餉はライスカレェです、私はカレェを温め直しますので、準備が出来たら呼びますね」
タオルを受け取って、瑞美さんは頭を下げると俺から離れていった。
夕食を終える。
出されたカレーライスやサラダを平らげて両手を合わせて軽く会釈をする。
「お粗末様でした」
瑞美さんも軽く会釈をしてそう答えた。
食器皿はそのまま瑞美さんが片付けて、俺は立ち上がり自室へと戻る。
恐らくは三十分後くらいに彼女が俺の事を呼んでくるだろう。
そう確信出来るのは、ほぼ日課と呼んで良い程に行動が統一されているからだ。
「…」
俺はリュックサックから財布を取り出そうとした。
今日はバイトが無いから、夜中は完全にフリーとなっている。
だから、暇潰しに街でも繰り出してみようかと思ったが、俺のリュックサックの中には、財布が無かった。
「あ?…あぁ、くそ」
そう言えば、ファーコートを、零戸と言う女に差し出したっけか。
恐らく、そのファーコートの中に財布をいれておいたのだろう。
しくじった。財布の中には俺がバイトで稼いだ金が入っている。
クレジットカードと言ったものはないが、ポイントカードやクーポン券も持っている。
「…はぁ」
割り切るしかない。
元々、ファーコートの中に財布が無いかどうかは知っておくべきだ。それをしなかったのは俺の責任。
幸いにも金やポイントカードを除けば、そこまで重要な代物は所持していない。
「いや…」
確か、学生証を財布の中に入れていた筈だ。
あれは個人情報に繋がる。あの女性がわざわざ学校に連絡を入れて届けてくる様な女性には見えない。
最悪、何かしらの事件で学生証一枚置くだけでも、警察が俺を犯人だと決めつけてくるかも知れない。
「取り返さねぇと」
立ち上がる。
俺は衣服を私服に着替えて、スマホをジャケットの中に突っ込んだ。
襖を開けて、丁度風呂場から出てくる瑞美さんと出くわす。
「お風呂はまだ先ですよ」
瑞美さんは食事を終えた後は風呂を沸かす。
三十分後くらいしたら、彼女が顔を出すと言うのはこの事だ。
「悪い、瑞美さん。少し用事だ」
用事と濁した。
「そうですか…、バイトですか?しかし、今は雪が降ってますので、バイトは中止ではないのですか?」
ずばりと当ててくる。
用事とはバイトである事にして、俺はバイトがある事を告げた。
「吹雪いてもやる時はやるんだってよ…、少し急ぎだから、悪い、瑞美さん」
軽く謝罪の言葉を混ぜて俺は外に出る。
完全に暗闇で、街灯には明かりと共に光を反射する雪の雫が落下している。
「はぁ…凄い寒いな」
シューズでは、歩き続けると雪にぬれてしまうと判断して靴を厚めのブーツに履き替えると、俺は冷気が漂う外へと繰り出した。
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