【喰(ほしょく)】

上着を羽織る。

濃緑色のファーコート。

少し温もりを感じるのは、きっとそれを着ていた前任者の暖かさが残っているから。

微かに匂う、女性が使用するアロマの様な香り。

既に他の人間が既に手を付けているのか、などと勘繰ってしまう。


「…要らないのなら、ポケットの中身のものも要らなかったのかな?」


上着の裏を見る。

内側のポケットに穴が開いていて、其処には長財布が仕込まれている。

その財布を、ネイルを傷つけない様に引っ張り出して、財布のチャックを開ける。

中身を確認して、財布の中に学生証があるのを見つけた。

学生証には、彼の名前が記されている。


「…敬基、冬児…ふぅん、トージ、トージくん。んふふ…」


学生証を口先に近づけて笑みを隠す。

いいなぁ、あの子。なんて考えながら歩く。

このまま、彼の後を追いかけても良いな。どうせ、匂いで分かる事だし。


「ご褒美あげないとねぇ」


ポケットから紙幣を取り出す。

取り合えず二十万円ほどを、彼の財布の中に入れておく。

金の価値は分からないワケではない。

海外ではサービスに応じておひねりチップを渡す。

その額は人それぞれ、つまりは心意気の問題。

私は彼の暖かな行動に嬉しさを覚えたから、だからそれを金額にしてみた。


「ならもう少しいれてあげてもいいかなぁ」


そう呟きながら雪が降る外を歩く私の前に、一人の男が立っている。


「お前、その金ッ」


さっきの男だ。

確か…私が入れ込んでいるホスト、だったか。

記憶の中では、彼は暗闇の中でスポットライトに当たる、きらきらとした人間だと認識している。

けれど、この雪の中ではなんともしょぼくれた男だろうか。

服も地味だ。一応はスーツ姿ではあるが華がない。


「返せよ、俺の、金をッ」


叫び、近づく。


「えへへ…いいでしょ別に。他の女から貢がれたお金。キミは何度でも稼ぐ事が出来るんだから…私が入れ込んだ額くらい、返してもらっても良いよね?」


「ざけんなッ!それは、それは使ったら駄目な金なんだよ!!」


私が持つお金は、この男がロッカールームで大事に保管していた金。

彼の家で見つけて、私はそれを使って、ロッカーを開けると、一つのバッグの中に約2000万ほどの金額が入っていた。


「ふぅん…でも、私には関係ないよ…もうキミにも飽きちゃったから…」


「ざけんな…メンヘラ女、お前の愚痴を聞いてやった俺の時間と浪費がその金だ…返さねぇと、バラまくぞ」


「あぁ…写真?うーん…それは困るなぁ…困る困る…すごく困るから、ね…」


舌を舐める。

私の目の前に立つのは最早男ではない。

其処に居るのは、ただの餌だと、そう認識している。

私の異変に、その男は何かを察したのだろう。

目を丸くして、後ずさりする。


「なんだよ、お前…それは…」


「んー?えへへ、翅かな?」


鳥の様な羽根が密集した翼ではない。

それはいうなれば蜻蛉の様な、赤い線が走る、四枚の翅。


「んー…まあ興味も無いけど…私が思うにね…キミは全然、気持ちよくなかったよ」


私は裸足のまま歩く。

翅が男の体を触れる。

体は萎んで、彼の肉体は皮と骨と腸と、そして見栄っ張りなスーツだけになる。

口の中に広がる血の味。美味ではあるけれど…食べ過ぎると、くどくて気分が悪くなる。

口から吐き出して、私は掌で口を拭う。


「あぁ…痛かった」


彼に殴られた傷は、彼の血肉を以て回復した。

あ、彼の靴でも履けば良かった。けど…彼の足は、なんだか臭そうだから、それならいっそ、裸足で歩いたほうがマシだった。


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