1-2

 一週間前、宮西京の通う高校にて。


「あのー、キミ? 委員会中におねんねするのはいいんだけどさー。こんな所でカッコよく居眠りをキメルからには、とーぜん『報告書』は書き終えたよねー?」


 トントンと優しく、机に伏せている茶髪の少年の肩を叩く。縁の黄色いメガネがトレードマークの少女、溝上みぞがみはムッとした形相で、『問題児』を上から見通す。

 茶髪の少年はう~んと唸り、半目の状態でハッと顔を上げ、


「あっ、すいません! ……なんだか寝ちゃったみたいですね。疲れが溜まっていまして……」


 ハハっと苦笑いをし、目の前に仁王立ちする少女からそっと視線を逸らす。


「もうっ……、寝ながらペン回しをする曲芸はなんなのよっ。新入生のクセに居眠りするとは……。それもあの冬森凛檎ふゆもりりんごサマの前で! 新一年生はみーんな……、と・く・に! キミとおんなじ男の子連中はずっと注目してたわよっ! 話はあまり聞いてなかったみたいだけど……」

「……本末転倒じゃないですか」


 少年の口答えにメガネの少女はムッと口を結び、


「黙らっしゃい! ……ははーん、居眠りをするからにはきっと素晴らしい『報告書』を書き上げられたのよねぇ……。ほらっ、見せなさいっ」


 溝上は少年の承諾もなく机に置かれた『報告書』を手に取り、ざっと目を通す。『報告書』の題目は、『仮想現実システムと本校の文化祭の結びつきに関する意見』というものだった。


「……ふむふむ、なるほどなるほど……。…………チッ!」

「どうして舌打ちするんですか。それなりに自信のある回答を書いたつもりですけど……?」

「あームカツクムカツク。外見通りに真面目優等生くんを演じてればその頭をナデナデしてやっても良かったのに……。あームカツク」


 結局彼女は最後まで怒ること以外の表情をすることなく立ち去って行った。


「やれやれ……、クジ運が悪ければどうしようもないか」


 時刻は放課後、クジ引きの結果という半ば強制的に選ばれた、学園祭に関する委員会を終え、宮西京は帰宅のための準備を行う。右手で髪と服装を軽く整え、ペンケース、こっそりと行っていた数学の課題をスクールバッグに丁寧に仕舞い……、重い腰を上げようとしたところで、


「宮西くん! 宮西くんだよね!」ついさっきまで溝上遊南が立っていた場所で、「ほらっ、僕だよっ。桐原途陽! なんだっ、宮西くんも同じ高校だったの!?」


 ん? と小さく顔を上げた宮西。男子高校生の平均身長よりは頭一つ分小さい程度の、おかっぱ頭の少年がいた。それも、えへへと頬を緩ませながら。


「あっ、桐原くんじゃないですか。へー、桐原くんも同じ学校に」


 中学時代の親友であり、彼とは仲良くお話しをしていたことを思い起こす。久しぶりの再会に、宮西の頬も目の前の少年と同様に軽く緩む。


「ねえ、宮西くん! 宮西くんに話したいことがあるからさ、今日は一緒に帰らない?」


 話したいこと? 首を捻る宮西に、とりあえず学校から出ない? と桐原は提案したので、彼の言う通りとりあえずは学校から出ることにした。


「宮西くんってさ、中三の時に学校居なかったよね? あれってどうしたの? すごく心配したんだよ?」

「あー、そうでしたね。プロジェクト〈R3あーるすりー〉ってのに参加してましたから。だから学校には行けなかったんですよ。参加していることは誰にも言ってはいけない決まりでしたから。余計な心配かけちゃってごめんなさいね」

「あーるすりー? え、もしかして〈R4〉にも関係あるの? いやっ、絶対あるはず!」

「んーとですねー、単純に開発元が一緒なだけで、プロジェクトにあまり深い共通点はありませんよ? まあ、〈R3〉ってのは簡単に説明すると徹底的な詰め込み教育のことですね。それで、桐原くんが僕を誘ってくれた理由ってのは?」


 話を振られた桐原はスクールバッグのチャックを引き、中からある本をバーンと出した。


「これっ、宮西くんっ! 僕と一緒に参加しようよ!」


 桐原が目立つように両手で差し出す本の表紙を、うん? と眺める宮西。表紙には大きく『高校生から始めるR4!!』、副題には『中学組なんかラクラク追い越せるノウハウを今だけ、キミだけに教えちゃうぞ!!』と、二つの数式(ベータ関数とガンマ関数だったような気がする)を両手に抱える少年とともに、目立つように書かれてあった。


「……、『数式魔法』に興味があるんですか? CMで盛んに流れてますよね、えーっとたしかキャッチコピーは……」

「『――――理論づくめのツマラナイ日常に飽きたのなら、マジカルな世界に身を浸せばいいでしょ? そして理解する、答えはキミの傍にあると』。……たしかこれでしょ?」


 桐原は詰まることなく流暢に、自信満々にそのキャッチコピーを口にする。


 ――仮想現実、科学組織『エレメント』が開発したその技術で世界は激変した。簡単に言えば、現実と変わらない世界シミュレーテッドリアリティをコンピュータ上で再現してしまったのだ。仮想現実では現実世界ではできないような危険な実験やシミュレーションの実行を可能にしてしまった。だが、桐原の言ったキャッチコピーのように、現実世界と全く変わらない世界ではない。仮想現実は数式魔法マジカルな世界で満たされているのだ。


「僕の両親もシミュレーテッドリアリティについて研究しているらしいですけど。仮想現実ってアレですよね? 開発元の拠点が全国あっちこっちにあって……。で、その拠点に置いてある棺桶みたいなVR装置きかいに入って脳とコンピュータをリンクさせ……、えーっと……結局、数式魔法が存在する以外は現実と変わらないような感覚だとか……」

「その数式魔法がキモなんでしょ? それがなきゃ百五十万人の中高生がログインするワケないよ」

「……でも、やっぱり中学組が有利とは聞きますよ? だって彼らは中学時代から高校生、もっと言えば大学生が習うような勉強をしている訳ですからね。その知識が魔法の中心になるのですから、やっぱり今から始めるには……」


 〈R4推進委員会〉という組織を聞いたことがあった宮西。委員長、副委員長、会計、書記、風紀委員、図書委員、広報委員、放送委員、保健委員の9名から構成されているらしく、順にR4での序列になっているとのことだ。そしてほぼ全員が中学組、すなわち中学生から数式に揉まれて強くなったのだ。


「……一つ訊いていい、宮西くん?」桐原は宮西の言葉を遮るように「宮西くんはどうして中学三年生の時に〈R3〉に参加したの? その理由を教えてほしいな?」


 うっ、と苦い顔をした宮西。視線を数秒ほど泳がせたものの、


「……まっ、まあ、出会いが欲しかったんですよ……」


 桐原はえーっと幻滅したような、残念そうな顔で、


「うわー、女の子と知り合いたいから参加したの? そういうのには無頓着そうに見えるけど?」

「いやいやっ、違いますよ! 断じてそんな理由じゃありませんよ! そのっ、女の子とか関係なく、色んな人に出会う必要があったからですよっ。……詳しい理由は訊かないで下さい」


 それを聞いた桐原は、ニパァと百八十度表情を変え、


「それじゃ宮西くん! R4も一緒だね! 宮西くんのコミュニケーション能力ならみんなと友達になれるって!」


       ◇


 一週間前の会話だった。月一回開催される、身長、体重、声、総合的な身体能力など様々な現実的な能力をシステムに入力するための『身体測定』も、ちょうど桐原の誘いの翌日に行われ、すぐに仮想現実システム〈R4〉に参加することができた。


 だが、結局のところ今の宮西と桐原は初心者中の初心者。初心者用の、それでこそ小学生レベルの知識で発動できるような魔法しか実験的に発現したことのない彼らにとっては、今、この状況が大きなピンチであった。別の少年少女たちが個性溢れる魔法を駆使して状況に楽々と立ち向かっている光景が、初心者と経験者の壁であることは容易に理解できる。


 どうやら敵は二人をピンポイントに追っている訳ではなく、とある一人の敵を追っているだけらしい。結局二人はその追尾攻撃とばっちりから逃げているのだが、誰がどの敵を狙うのかはどうでもよかった。


 逃げ続ける宮西と桐原。


 ――――だが、宮西京の脚が次第に止まっていく。


 この世界で、身体的特徴・能力だけで立ち向かうことを許してくれない無言の警告。平均以下の持久力を備えた宮西には、そしてまだ何も自分の魔法オリジナルマジックを持ち合わせていない彼にとっては、この世界はひどく残酷に見えた。

 宮西に釣られて桐原の脚も止まる。そして彼は張り裂けんほどのつんざく声で叫ぶ。

 宮西京の足元を暗い影が覆う。徐々に時間が経過するにしたがって、その影は大きくなっていく。


 ――――砕かれた巨大なビルの塊が、宮西京の上空から降り注ぐ。


 パラパラと、ビルの残骸から派生した細かな礫が先に地面に、雨のように注いだ。

 明らかに絶望的な状況。


 けれども。


 宮西京は決して取り乱さない。そして小さく笑う。


「――――僕には『魔法使いかのじょ』がいますから、大丈夫ですよ」


 直後、ビルの塊は爆音とも言いとれるような、激しい音を立てて少年に直撃した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る