第1章 少女観察 ―Observation―


 身長、138.0センチメートル。

 体重、38.1キログラム。

 バスト周径、71.1センチメートル。

 アンダーバスト周径、60.0センチメートル。

 ウエスト周径、51.5センチメートル。

 腹部周径、63.1センチメートル。

 ヒップ周径、72.8センチメートル。

 二の腕周径、19.9センチメートル。

 太もも周径、40.0センチメートル。

 ふくらはぎ周径、27.4センチメートル。

 足首周径、16.3センチメートル。



 今週の測定分を、僕は決められた項目に合わせて報告書に書き込んでいく。

 変化は、あまりない。

 いくら彼女が――アスミがまだ幼い女の子と言えど、週単位では大きな成長は見込めないだろう。少女の細胞分裂を過大評価しているこの測定に一体どんな意図があるのか、僕にはよく分からない。

 それでも、そういう仕事である以上、こなしていく以外の選択肢はない。

「あんまり、変わってない」

 そう呟いたのは、自身の測定結果に目を通したアスミだった。まるで興味のない広告チラシでも眺めているような様子。

 測定されている最中も、彼女はずっとそんな感じだった。どれだけ体中を触られても表情一つ変えない。

 生まれつき感情の起伏が乏しい子なのだろうか。発する言葉も捉えどころが難しいものばかりで、毎度ひとごとみたく薄っぺらい相槌を打つだけ。

 いくら服の上からとは言え、異性から体の隅々まで測定されるなんて。普通なら嫌な顔をしてもおかしくないはずなのに。

 アスミと過ごし始めてもう一週間が経つけれど、初めて会った頃に感じた不思議な印象は深まりばかりだ。

 ただまあ、一週間前は今よりも更に無反応だった。ほとんど無言だった。

 だからこうして、彼女から自発的に口を開いてくれるようになっただけでも、よい変化と言えるのかもしれない。

 さて、次の項目に移ろう。

 測定は終わったし、今日の朝食も『メロンパン・豆乳』と記した。

 時刻はもうすぐ昼の十二時。

 今度は昼食を用意し、それを彼女に食べさせる必要がある。加えて、なにを食べさせたかも報告書に書き込まなければならない。

 つまり、アスミが一日になにを食したのか。それを報告しなければならないわけだ。

 とりあえず彼女に質問。お昼はなにを食べたいか。

「こないだのカレー」

 と、アスミは呟くように答えた。

 僕にとっては大よそ予想通りの回答。

 けれど僕はかぶりを振った。こないだのカレーとは文字通り、こないだ底を尽きたのだ。

 その旨をアスミに伝えると、

「じゃあなんでもいい」

 それからベッドに上がり、体育座りの姿勢になって膝の上に頬を載せる。青い瞳でジッと僕を見つめて、そこはかとなく残念そうな気配を漂わせていた。

 アスミがこのアパートの部屋に初めて来た頃、僕は彼女に好きな料理はなにか訊いたことがあった。彼女は「特にない」と答えていたはずだが、僕が作ったカレーはとても気に入ってくれて、特にチーズを載せてオーブンで焼いたやつが好みみたいだった。

 とは言え、カレーを作る材料はもうない。アスミには悪いが、一応はなんでもいいと言われたのだし、ここは財布に優しいメニューで手を打ちたい。

 悩んだ末、昼食は野菜ラーメンを作ることにした。即席ラーメンの上に野菜炒めを載っけただけのインスタントクオリティ。

 僕が卓袱台まで運んでくると、アスミはなにも言わず、ベッドの上を這うようにして床に下りてくる。

 そのままぺたんと卓袱台の前に腰を下ろし、

「いただきます」と手を合わせた。

 いや、まだ麦茶の用意ができていない。

 それに、いただきますは二人そろってやろう、と前に教えたばかりなのに。なんで言うことを聞いてくれないのだろう。

「そうしなければならない、合理的な理由を聞いていないから」

 アスミは機械的な調子で答えた。

 なるほど、彼女にとってはなにより合理性が重要みたいだった。若いのにしっかりしている。

拓海たくみも充分、若い」

 彼女はまた淡泊な調子で言った。

 自分よりも幼い少女に言われて、僕は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 しかし彼女の言う通り、二人そろっていただきますをすることに合理性なんてない。

 けどそれは、感情的な問題だから当然だ。

「感情?」

 そう、と僕は頷く。

 アスミが昼食に焼きチーズカレーを食べたかったのと同じ。好物を欲することに合理的理由なんてない。

 ただ僕は、できれば二人そろっていただきますをしたかった。そうしなければいけない気がした。たったそれだけのことだ。

「そんな風に、考えたことなかったから」

 アスミはか細い息で空気を震わせる。表情は常夜灯のように薄らぼんやりとしていた。

「ご飯は、早く食べないといけなかったから。それだけしか教わらなかったから」

 彼女は食事に費やす時間が短い。

 僕も食べるのに時間をかける方ではないが、この子はどんなメニューでも五分程度と、尋常ではない速さで食べる。

 それも、別段急いでいる感じではなく、それが普通と言わんばかりのペースで平らげていく。口内に高性能な粉砕機でも仕込んでいるのかもしれない。

 ひとまず僕は、速く食べる必要がないこと、ご飯は二人そろってから食べるようにすることを改めて教えた。その方が僕も嬉しいからと、彼女の頭を優しく撫でてあげながら。

 アスミは一瞬、びくりと総身を震わせる。けれど僕の手をはねのけたりはしない。

 僕が思うに、彼女は優しくされることに慣れていないのだと思う。

 僕もよくハウスメイドのジェマさんに頭を撫でられていたけど、慣れないうちは体がびっくりしていた。だからこの子の気持ちも少しだけ分かる。

「今度からは、待つから」

 アスミはそう約束してくれた。淡い微笑みと共に。

 無表情がスタンダードな彼女だが、ふっとこぼす笑みには少女らしい愛嬌があって、僕もほっとするところがある。

『……――遺体の心臓部にはナイフが突き立てられており、捜査当局はこれまでの怪死事件と関連するものとして調査を進める方針で……』

 ようやく野菜ラーメンにありつけた矢先。

 点けっぱなしにしていたテレビが物騒なニュースを流し始めた。テロップには『セーラー服事件』という奇怪な文言が並んでいる。ここ最近続いている少女連続怪死事件のことみたいだ。

 胸にナイフが突き立てられた状態の少女の遺体が発見されている事件。奇妙な事件名は、最初に発見された少女の遺体に中学のセーラー服の上着が被せられていたことから由来している。二人目の遺体では同じく制服のスカートが添えられていた。そうした異様さから世間の関心を集めているニュースの一つで、見つかったのは今回で三人目だ。

 遺体の状態だけ見れば明らかに他殺なのに、殺人事件ではなく怪死事件と呼ばれているのは、死んだ少女たちがそろって直筆の遺書を携帯していたからだ。つまり少女たちは自殺する意思があったことになる。

 少女たちはみな関係性がないらしく、共通点は年齢が十二歳~十五歳程度と若いこと、遺書を携帯していたこと、遺体の周辺にセーラー服の一部が落ちていたことだという。

 物騒な世の中だ。しかも殊更に危惧すべきなのは、事件がどうやらこの界隈――僕らが住んでいるアパートからも、そう遠くない場所で起きていること。

「…………」

 アスミはニュースを横目に、ずるずるとラーメンをすすっている。

 僕の見立てでは、この子の年齢も十二歳程度であると思う。僕は彼女に、それとなく怖いのか訊ねてみたが、

「別に。怖くはない」

 どうやら的外れな問いだったらしい。僕も大人しくラーメンをすすった。

「アイス、ある?」

 しばらくして、今度はアスミから訊ねてくる。彼女の器はスープだけになっていた。

 アイスか。そういえばもうなくなってしまった。

 その旨を伝えると、

「…………」

 アスミは押し黙った。それからジッと僕を見つめてくる。

 僕は急いでラーメンを食べ終えたあと、コンビニまで散歩しに行くことにした。ついでにアイスを買うことも検討しようと思う。

 テレビはいつの間にかニュースからワイドショーに変わっていたが、そこで取り扱われているネタも例の怪死事件についてだった。ここ一週間くらいはあれこれ討論しているんじゃないだろうか。コメンテーターたちもよく飽きないものだと感心する。仕事だから仕方ないのかもしれないが。

 一週間、と言えば――ああ、そうだ。そのことでもう一つだけ、アスミに訊きたいことがあったんだ。

 ――最初に怪死事件が起きた日と、君が僕のアパートへ来た日は同じ一週間前だけれど。

 それは別に、ただの偶然なんだよね?

「…………」

 アスミはなにも答えてくれなかった。無気力そうにベッドに倒れ、気だるそうにテレビの画面を見つめていた。

 僕はコンビニへ出発した。



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