第4話 ヨドバシカメラ・ファブリーズ・便秘

 ヨドバシカメラ……それは最後のフロンティア。


 という冗談を交えながら僕はネットの友人と初の顔合わせにヨドバシカメラを選んだわけなのだが、これがあながち冗談でもなくなりそうなのが現状だ。


 ざっくり説明させてもらうと、数年にわたるボイスチャットを経てすっかり親睦を深めた僕たちはそろそろ顔を合わせてみるのもいいだろうという意見が合致した次第で、お互いの現住所からちょうど中間地点にあるかつ、目立つ店舗を目印にして落ち合うこととなったのだった。


 その約束の地こそがヨドバシカメラだ。


 そんなわけで僕は新幹線を乗り継いでヨドバシカメラへの遠路を遊山していたわけだが、突然の便意に襲われ目標駅よりも一つ前の駅で降りて恥ずかしながらトイレを借りた次第である。


 数日前から便秘気味だった僕としてはまさに解放の刻であり、新幹線備え付けのトイレで勝負をするには目的地までのタイムリミットを考えると地の利がなかったのだ。


 その点、駅のトイレならばじっくり腰を据えて勝負に臨んでも乗り過ごしはないしもう一駅くらいなら歩いても問題ない……そういう判断だった。


 まぁ、結局宿便がコロリと数粒転げただけで根本的な解決には至らなかったのだが、それは今となっては些末事。


 その後は駅を脱出して念のためスマホでグーグルマップのナビゲートでヨドバシカメラへの導きを乞い、それに従い歩を進めていた。


(ヨドバシカメラかぁ。人生初来店だけど何売ってるんだろう? カメラがところせましと並んでんのかな)


 そんな益体もないこと考えながら僕は足取り軽く約束の地へと向かっていた……のだが。


「よーよー、兄さん。そんなに急いでどこに行こうっての?」


「俺らぁ、金ねーんだけどさ……置いてかない? 金」


 一瞬のことだった。


 ヨドバシカメラへの短い行脚の最中、不意にぬっと出てきた腕は僕の首に絡んで無理やり肩を組まれ、薄暗い路地裏へと僕を引き込んだ。


 端的に言うと僕は二人の不良らしき男性に絡まれたのだった。


「いやぁ、残念ながらお金は……僕も持ち合わせがありませんね……?」


 半ばパニックに陥りながらも努めて冷静にそう言った。


 落ち着いた素振りを可能な限り心掛けたのだが、膝が意識に反して生まれたての小鹿よりもひどく頼りなくガクガク震えていた。


 と、トイレに寄っていてよかった……便意との戦いの際に空にしていなければ僕はセミの二つ名を欲しいがままにしたに違いない。


「ありませんねじゃないんだよなぁ。なかったら借りて来ればいいだけだろ」


「そーそー。んで、その金で未来あるボクちゃんたちにお小遣いを寄越してくれれば、お兄さんは徳が積めるし若者に投資もできる。うーんお得!」


「行こうぜ消費者金融!」


 不良二人は僕の両脇から肩を組む形でこちらを拘束しており、僕には成すすべがなかった。


 傍から見れば仲良し三人組……いや、パンクといって差し支えない服装の二人に適当に見繕った一般人の服装の僕が間に挟まっているのだから取り合わせが奇妙なのは間違いない。


 というかそんな飯行こうぜってノリで消費者金融へは行くもんじゃないし、仮にそんなノリが普通なやつは真っ当な神経をしていない……。


 そんなことを考えている間も不良二人は開いている手で僕のポケットや懐をまさぐって財布を探る。


 絶対に逃がさないように用心しているのだろうが、不幸中の幸いにも僕の財布は背負ったリュックの中だ。


 二人がこの姿勢を崩さない限り、探るのは難しいだろう。


 そうなって拘束が一人外れたところが最初で最後の逃げるチャンスだ。


「おら、どうすんだ。このまま肩組んで仲良く俺らの友達ンとこに行って紹介してやろうか?」


「おすすめはしないぜー? 紹介した人数分だけ借金する店が増えるわけだからなー」


 言いながら二人は同時に肩を組む力を強めた。


 こ、こいつら手慣れている……こんないつの時代の不良漫画のモブだよって絡み方のくせに手口がベテランのそれだ。


 それは今までうまくやってきているという証左ではないか?


 か、勝てない……僕の心は早々に折れていたが、その上に委縮して萎えきったのだった。


「はわわわ……」


 同時に膝から力が抜け落ち、腰が抜けてしまった。


 生まれてこの方このように不良に絡まれた経験がなかったためか、すっかり僕の身体は過剰なストレスに屈して思うように動かなくなった。


 これでは仮に二人からの拘束が外れても逃げられるか非常に怪しい。


「うお、テメ、コラちゃんと立てオラ!」


「重てーだろうがタコ!」


 急に負荷をかけられてご立腹となった不良たちは語気を荒げて僕を罵倒し、そして僕は両頬を左右から一発ずつビンタされた。


 最初に目がちかちかと明滅して、次いで鈍い痛みが両頬に走る。


「う、うぐ……」


「痛てーか? 素直に従った方が身のためだぜー?」


「手間かけさせんなよ。殴る方の手も痛いんだぜ?」


 そのセリフは使いどころをまるっきり間違えている、がそんな風に言い返せるはずもない。


 僕は人生で経験したことのない絶望を感じた。


 彼らに屈して金を渡すのか、消費者金融へと連れていかれて無理やり借金生活を始めさせられるのか、僕はただ友人と楽しく遊びに行きたかっただけなのに。


 現実逃避のように思考がとぐろを巻いていていく。


 そうしている間にも両脇の二人は僕に何かをまくしたてているが、僕は奥歯を鳴らすしかできなかった。


 永遠にも思える時間、しかしあるいはそれは数分もしない出来事だったのかもしれないが……それは不意に始まった。


 グゴゴゴゴゴゴゴゴ…………!


「な、なんだー? 今の……」


「音……? 地獄から響くような、鬼の悲鳴が渦を巻いたみてぇな……」


 ギュルルルルルゴォッゴゴゴォーッ……!


 おおよそ尋常では考えられない重低音が細い路地裏に響く。


 先ほどまで余裕綽々で人を陥れていた二人の不良の肩がびくっと一つ跳ね上がった。


 さしもの不良もオカルトには弱いのか……。


「ど、どこだー? どこから音が……」


「おちつけ、耳をすませば自ずと分かンだろ……」


 不良たちはキョロキョロとあたりを見回した。


 ゴグゴゴゴゴゴゴロロロロー……。


 その間も重低音は間断なく響いている。


 そうして何度かの逡巡の様子から、二人は回答を見つけた様子で……その視線は二人とも同じ場所に向いていた。


 視線の先にあるもの、それは僕のお腹だった。


「ツイて、無かったな」


 精神が恐怖で摩耗していたはずの僕の口から、するりとそんな言葉が出た。


「やめておけばよかったんだ……僕は君たちのお眼鏡にかなうほど御しやすそうだったんだろう……それでも今日は、僕以外を選ぶべきだった……君たちはやめておくべきだった」


 僕は虚空を見据えながら言葉を紡いだ。


「何を、言ってやがる……」


「急におかしくなったのかコイツー……?」


 唐突に様子が変わった僕の態度に二人は怪訝な顔をしていた。


 グォンッグォオッゴゴゴゴゴ!!


 そんな二人を威嚇するようにひと際大きな重低音が鳴る。


「「ヒッ!?」」


 どちらからともなく短い悲鳴が上がった。


 僕は乾いた笑みを浮かべた。


 別に二人を蔑んだわけではない……ただ、この世を儚んだだけだった。


 そう……彼らは今日だけは僕を選んではならなかった。


 何故なら、僕の腹には今日……とびっきりの魔王が、世界樹の根を食み腐らせるニーズヘッグを飼っていたのだから。


「もう、間に合わんよ……ウッ!」


 僕の解放の祝詞はすぐに捧げられ、封じられていたニーズヘッグは現世に顕現した。


 バスンッ、バスンッ!


 バボボボボボ!!


 ブォンッブォンッドバババババッ!


 派手な音を、そしてえも知れぬ瘴気を漂わせて、顕現は成った。


「うおおおおおっこ、こここコイツ、コイツゥーッ!!?」


「う、産みやった! 厄災の仔を! 信じられねぇ、オエッ、く、臭ぇっ!!」


 二人の不良は大げさに僕から飛び退く。


 しかし、ここは狭い路地裏……勢い余ってそれぞれしたたかに路地の壁に背中を打ってしまい、悶える。


 その間にも瘴気は彼らの嗅覚と精神を蝕み……やがて、意識を奪ってしまった。


 マジかよ……僕のニーズヘッグ強い……。


 僕は涙を流した。


 ニーズヘッグを産み出した痛みか?


 否。


 ニーズヘッグ誕生の喜びからか?


 否。


 便秘からの解放からか?


 それも否。


 ただただ、良い歳した大人が年下の不良に脅されて、腹具合が良くないとはいえ粗相をしたという現実に涙したのだ。


「ふ、ふふふ……セミには成れなかったが、徳川家康には成れたみたいだぜ……!」


 僕は世界一かっこ悪い決め台詞をキメるとニーズヘッグもろともすっかり汚染されたパンツをその場に脱ぎ捨てて、常備していた衣類用ファブリーズとポケットティッシュ、ミネラルウォーターで可能な限りの後始末を行った。


 あの二人が目を覚ました時、何を思うかなど知る由もないことだ。


 さて、すでにタイムオーバーもいいところだろうが、約束をたがえるわけにもいかない。


 路地を出る前に、引きずり込まれたときに落としたスマホを拾うと、友人からはlineの通知が何件か入っていた。


 マナー違反を承知で急ぎ足でヨドバシカメラに向かいながら通知をさかのぼる。


 当然ながら周囲の人間からの視線が冷たかったが、その中でも鼻をつまんで手を仰ぐ人がいて愕然とした。


(ファブリーズが、一本では足らなかった……だと!?)


 ニーズヘッグは僕の窮地を救ったが、間違っても善性の存在ではなかったことを改めて認識し、僕は冷や汗をかいた。


 とにかく遅れる旨と無事だけは友人に伝えようと、フリック入力をしようとしたとき、それは目に飛び込んだ。


「こ、これは……!?」


 それは友人が送ってきた画像、ヨドバシカメラの広告だった。


☆☆☆


 ヨドバシカメラ……それは最後のフロンティア。


 とかいう冗談から始まった今日のオフ会。


 拙者は非常に楽しみにしていたで候が、待ち人は待ち合わせ時間になっても来なかった。


 しからばと、筆をとってlineにメッセージを送ったところ、送ればして既読が付き、彼からは遅れるという旨を拙者は了承した。


 しばらく何気なしにウィンドウショッピングを楽しんでいると、声をかけられた。


「ユグドラシルさん?」


「いかにも。そういう貴方はレースヴェルグどのですな? 会えてうれしいですぞ! ……それにしても、珍妙な出で立ち」


 レースヴェルグどのはゴルフウェアに全身身を包んだ青年でござった。


 どんな意図があってこのような格好なのであろう?


「ああ、送ってくれた広告見てね。ゴルフウェアとファブリーズが安くて」


 それはおおよそ拙者の納得のいく説明ではござらなかったが、とにかく愉快な御人だということは理解できたのでござった。

 

「ヨドバシカメラはカメラだけじゃない……! ヨドバシカメラ最高だな! さぁ行こう、ユグドラシルさん! 今日は楽しみましょう!」


 レースヴェルグどのは満面の笑みを浮かべると、先行して拙者を促した。


 そんな彼のリュックからは収まりきらなかったのか、ファブリーズの噴射ノズルが顔を出していた。


 レースヴェルグ殿からは、不自然なほど臭いがしなかった。

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トクシマ・ザ・スダーチの三題噺 トクシマ・ザ・スダーチ @tennpurehaidaidatta

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