第3話 誕生日プレゼント・枕・ブーメランパンツ

『お誕生日おめでとう!』


 そう言われたのが幾ばくか前、僕の人生である意味一番最悪な誕生日パーティの席での話だ。


 何があったかって?


 簡潔に言うと、僕の生まれた今日は特別でおめでたい日なので私が所属している宗教団体で最も御利益のある枕を15%オフで売ってあげると恋人に言われたんだ。


「ウチの教団の崇めている神様は本当にすごいんだよ! 願いが叶うように導いてくれるの! 誰だってなりたい自分があるよね? それを目指すのはすごく難しいことだけど神様は一緒についてきて励ましてくれるの! 私もそうしていまのじぶんになったんだ! だから特別な君にだけ、君だからこそ心を同じくしたいの! 神様、信仰しよ?」


 付き合って半年ほどになるが宗教関係者だなんておくびにも出してなかったからそれはもう、面食らった。


 ご多聞に漏れず、その霊験あらたかな枕を猛プッシュしてくるのに耐えかねてしぶしぶ購入して気帰宅してきたというのがこれまでの経緯になる。


 割引を20%まで値切った点だけは誰かに認めてほしいところだな……占めて32000円(税別)って誕生日に自分へのプレゼントにしても大学受験を控えた僕には非常に手痛い出費だった。


 今は交際の解消を強く意識しているところだ……かなり好みで、学校でも一目置かれる女の子だったのになぁ……。


 僕はため息を一つ吐くと、これまで一日たりとも欠かさなかった受験勉強を初めてさぼって床につくことにした。


「……32000円(税別)もしたんだ。非常に眉唾アイテムだけど使わないと損だよなぁ」


 俺は中古なら最新筐体のゲームが買えたはずの枕をしげしげ眺めて独り言ちた。


 聞いたところによるとこの枕は最高級のそば殻の入った枕で名心地抜群だという逸品で、枕カバーの中央には曼陀羅のような和性幾何学模様的なアレがあしらわれていて……圧がすごい。


『しかも布地はご本尊の側にで飼育された蚕から大司教が手ずから糸を紡いで一針一針神力を込めて縫い上げた非常にありがたい代物なんだよ!』


 という説明をする彼女は好きなものを語る女子高生そのものだったが、言葉のベクトルとか圧が一般的な女子高生とは色々違っていて正直恐怖を覚えた。


 好きなもの語られるだけで恐怖体験できるんだなぁ、人って。


 とまぁ色々ヤバい代物なのは重々承知の上なのだが、不気味だからといって大枚叩いて張り込んだ枕だ。


 使わなきゃ本当に、なんというか負けじゃないですか。


「霊験に関しちゃ眉唾もいいところだけど、とりあえず高級そば殻は味わえる……はず」


 こういうご利益グッズは大言壮語のセールストークとは真逆の粗雑なマテリアルで構成されている、というのは僕だけが覚える偏見だろうか。


 一抹の不安を覚えつつも宗教狂いを前面に押し出してきた彼女の相手にくたびれ切っていた僕はこの枕で眠ってみることにした。


「ふぁ……」


 意外にも寝心地は悪くなく、僕はほどなくしてまどろみはじめた。


 そういえば、肝心なこの枕の具体的なご利益はなんだったっけ?


 彼女をあしらうのに注力していたせいで、眠気も手伝って確かに彼女が話していたはずのその内容をついに思い出すこともなく、僕は眠りの海へと沈み込んでいった。


☆☆☆


 前触れもなく僕の意識が表出すると、目の前にはほとんど全裸の男が立っていた。


 ほぼ、というのは下腹部の一部を強調するようなエグいカットのブーメランパンツを履いていたからだ。


「やぁ、良い夢見心地だね。敬虔でも信者でもない人の子よ」


「のぉわっ、へ……変態……!?」


「変態とはご挨拶だな人の子よ。哀れにも32000円(税別)で得体のしれない枕を買ってしまった君を儚んでこうして文字どおり夢枕に立ってやったというのに」


「余計なお世話ですよ! というか、本当にあなたは一体……!?」


「まぁ、君の今使っている枕の製造元で崇められている者とだけ言っておこうか」


「彼女の本性がショック過ぎてエラい夢見てるよ僕……」


 受験を控えている上に今日のことだ、ナーバスなハートがこんなよくわからない夢を明晰夢で見せているあたり僕のメンタルが寝ても覚めても心配になる。

 

 だって高次元存在を匂わせるエグイ切り込みのブーメランパンツ着用の男だよ?


 しかも金髪美形の細マッチョ……どういうメンタリティならこんな夢を見るんだ??


「どのように現状をとらえてもらっても構わないよ。君の夢に僕が顕現した。これはゆるぎない事実で、導きだ」


「その……どうしてそんな恰好をしているか聞いても……?」


「信者が望んだ姿だからかな」


「どういう宗教なんだよ……」


 仮にこの話がマジならガチで僕の恋人は頭がアレだ。


「さて、神界と信者の意識のチャンネルが近しくなっているかつ、レム睡眠の間しか干渉できないから手早く済ませるぞ」


「いや、僕は信者じゃないですけど……」


「君の意識下ではな。教団の道具を使った時点で神の約定的には信者判定になる」


「ワンクリック詐欺の業者みたいなこと言われるんだけど……」


 そんな気は全くないのにカーソルが重なっただけでご契約が完了しました的な画面に移動するアレじゃないですか。


「さて、人の子よ。願いを言うと良い。さすれば私がそなたのすべてを読み解き、その願いが叶うように導こう」


「……えっとハートは信者じゃないのに?」


「手続き的には信者だからOK」


 神の世界の法律(?)どうなってるんだ。


 しかし本当に願いが叶うというのならそれはとてもありがたいことだ。


 ダメでもともと、どうせ夢の出来事だし言うだけ言ってみるのはアリだろう。


 では僕の願いとは何だろう?

 

 彼女と穏便に別れたい、というのは目下の願いどころだが……それは今日の出来事が強烈過ぎてそういう気持ちが毛羽立っているだけとも言える。


 となると……。


「受験……受かりたい大学があるんですけど、その受験に合格したいです」


 それは僕の心からの言葉だったと思う。


 ブーメランパンツのイケメンにそんなことをお願いするという非常に荒唐無稽な構図になるが、元来夢なんて荒唐無稽なものだ。


「なるほどわかった。ではその願いに繋がるように君を導こう。しかし、私は導くのみ……己のたゆまぬ努力あってこその大願成就であることを努々忘れないことだ」


 そう言うと金髪ブーメランパンツは霧のように掻き消え、ぐにゃりと視界が歪んでぐるぐると渦に飲まれるような感覚で意識が途絶えた。



☆☆☆


「っとはぁ!?」


 素っ頓狂な声を上げて僕は飛び起きた。


「夢かぁ……夢でよかったけど、もう少しましな夢を見たかったなぁ」


 奇妙な夢を見たその日から数日の間こそ、心が浮足立っていた。


 ところが32000円(税別)の枕を使い続けても金髪ブーメランパンツの言っていたように願いに向かって導かれるなどという出来事は特に起こらなかった。


 あえてあげつらうなら宗教狂いの彼女と円満に別れられたことくらいか。


 そんなこんなで幾ばくか月日が経ち、僕は先日受けた模試の結果を眺めてうんうん唸っていた。


「なんか……成績が落ちてる」


 勉強をおろそかにした覚えはない、というか前よりも多く時間をとって強くいそしんでいたはずだが……現実問題として前よりも模試の結果は悪くなっていたのだった。


 将来への不安、家族からの期待、娯楽の禁欲……様々な心的ストレスが日に日に募り、最近は二時間ほど勉強を続けると意識を失うようになってしまっていた。


 そうなると気力が急激に萎えてくる。


 どう頑張っても二時間以上は勉強が続けられない……ならばそれより前に切り上げて最近遊んでなかったゲーム、漫画、動画サイトと封じていた諸々に手を出した。


 何かに言い訳しながら現実逃避に逃げた。


 気づけば僕は一日一時間の勉強すらやらなくなってしまった。


「すっかり頭になじんだな……」


 今日もロクに勉強もせず、娯楽にかまけて床に入る。


 32000円(税別)もしただけあって宗教枕はデザイン性のみを度外視すれば使い心地がすこぶるよく、使えば使うほど僕の頭になじんだ。


 こうして横になって頭を乗せればどんなに気が立った状態でもぐっすりと眠れる。


 鬱屈とした日常の中で最も癒される瞬間はこの就寝時なのかもしれない。


 今日もやはりすぐにまどろみが訪れた。


☆☆☆


「お久どす。久々に意識のチャンネルが合ったから来てみたよ」


「うおっァ!? きき、金髪ブーメランパぁンツ!?」


「その呼び方は個神的には物申したいんだけど信者が望んだ姿がこれだから、君に何を言われようと思われようとこのスタイルは変わらない。承知してくれ」


「どんな宗教なんだよ……!」


 僕は久々に現れた上位存在的な何かの唐突な登場に当惑せざるを得なかった。


「それにしても最近の君は振るわないなぁ。前に願いを聞いた時にはもっと前向きな感じがしてたのに」


「……いや、その。色々あって」


 僕は自分の不甲斐なさを思い出してうなだれた。


「……何やってもうまくいかなくて。だからなんかどうでもよくなって」


「大学、行きたいところがあるんじゃなかったの?」


「行きたかったけど、なんか打ちひしがれて……」


 僕は視覚効果が強い上位存在の金髪が目に入らないように下を向いてしまって、そしたら相変わらずエグいカットのブーメランパンツが視界に入ってさらに気分が落ち込んだ。


 男の水着姿とか、一般的な高校生男子的には全く需要がないんだよねぇ……。


 そもそも他人の夢にそんな恰好でずけずけやってくる手合いとか不信感しかない。


「医者になりたくて、ここだっ! て大学を見つけて、頑張ってきたんだけど……なんかもう疲れちゃって」

 

 それでも夢の中だからなのか、深層心理で誰かに話を聞いてほしかったのか……僕はそこまで聞かれてもいないのにベラベラと愚痴をこぼした。


「ま、人間適度な休息は大事だよね。今まで頑張ってきた分、今遊んで帳尻合わせるのも悪くはないんじゃない? でも、医者への道は諦めちゃうわけ?」


「それは……でも、勉強が長くできなくなってしまったんだよ。前は半日ぶっ通しても平気だったのに!」


「なるほど。では以前のように勉強ができるようになるのなら、今の怠惰で不摂生な生活は改められると?」


「で、できる……やって見せる!」


 勉学を忘れ、娯楽で溶けかけた脳みそでも、力を込めてそう言えた。


 やっぱり僕は医者になりたい。


 そのためには大学に受かりたい!


「その意気やよし!」


 僕の言葉を聞いて金髪ブーメランパンツが強く頷いた。


 そうした次の瞬間、瞬きの間に僕へと肉薄した彼の右腕が、おもむろに僕の腹を深々と貫いた。


「う、うぽおぅぉおおおお!?」


 突然の出来事に僕が激しく身をよじるとするりと刺さっていたはずの腕は抜けて、腹を見ても穴どころか、服のほつれすら見当たらなかった。


「今、君の腹の内を探って君の現状の原因を探り当てた。あとは簡単、その原因を解決すれば君は元通り頑張れる」


「そ、そういうことをするなら前もって言ってくれ! 心臓が止まるかと思った!」


「夢の中だし、この僕の処方なんだから心配はないさ」


 得体のしれない宗教の神様にそれを言われるのも相当胡散臭いよ。


「それより君の心の治療方法がわかった」


「本当ですか!?」


 胡散臭いとは思いつつも、現状を打破できるのなら妄言にでも一縷の望みを託したい。


 僕は今、そんな気分だった。


「ああ。分析によるとだな、意外と君の心のウェイトに恋人の存在は大きかったらしい」


「……へ? 恋人って僕と別れた、アンタを崇拝する宗教で32000円(税込)の枕売る売人の?」


 割と我ながら散々な言い様だが、偽らざる本心でもあった。


 あの出来事は一生忘れられそうもない。


「うん。元来君は勉強家だったけど、彼女を恋人とすることで心の余裕が出来、普段の行いに張りが出ていた。現に君は自分の誕生日までは彼女のことを憎からず思っていたはずだ」


「それは、たしかに」


「その彼女に法外な値段で枕を売りつけられ、神を語る姿にドン引きし、今までの彼女へ抱いていた気持ちが大きく変化した。それが大きな原因となり、周囲の環境が影響を及ぼし、次第に心を蝕んで今の君になった……というのが診断結果だ。僕がいうんだから間違いない」


 僕の女々しさは浮き彫りにされた上に神様のお墨付きをもらってしまった。


 とたんに顔が羞恥で赤くなる。


 たしかに、心当たりがあるとすればあの頃からだ。


 自分で無理だと断じておきながら、別れておきながら未練たらたらだった……!


 嘘、僕のメンタル弱すぎ?


「気にすることはない。男なぞ有史より女に振り回されるもの。そして、女人で挫けた心は同じく女人で癒すものだ……ハァッ!」


「うわっ!?」


 そう言って金髪ブーメランパンツは掛け声を一つ発するとその姿はドロンと煙に巻かれた。


 何が起こったのか、頭を整理しようにもおぼつかず僕はしきりに瞬きを繰り返した。


「なん……だと……!?」


 そして、煙が晴れたそこには金髪でブーメランパンツを履いた……超絶俺好みの美女が立っていた。


 もちろん、着用しているものはブーメランパンツのみで……すなわちトップレスだった。


「がんばって。あとは夢に向かって一直線だ……たまに様子を見に来るから」


 そう彼女は言うと光に包まれて消えた。


 同時に僕の意識も覚醒した。


☆☆☆


 それからというもの、僕は時間をかけて以前のように長時間の勉強ができるようにリハビリを行った。


 というのも金髪ブーメランパンツ様が性転換して以降、あの枕を使用しても以前のようにすぐさま寝付くことが出来なくなり、よしんば寝れたとしても金髪ブーメランパンツ様が僕の夢にやってくることはしばらくなかった。

 

 僕はあの夢以降、金髪ブーメランパンツ様の姿が頭にこびりついてどうしようもなかった。


 どうにか一目会いたかった。


 金髪ブーメランパンツ様は言った。


「夢に向かって一直線……たまに様子を見に来てくれる……!」


 その言葉を信じて毎日の勉強時間を増やしていった。


 金髪ブーメランパンツ様のことを想えば意識を失う二時間の壁など簡単に超えて見せた。


「様子を見に来たよ。頑張ってるね」


「うおおおおっ! 女神様、金髪ブーメランパンツ様ぁ!!」


 トップレスの女神様にもう一度会えたのは以前のように一日六時間の勉強ができるようになってからだった。


 そして僕はある法則性に気付く。


 そのように六時間勉強した日には枕での寝つきがすこぶるよく、また六時間よりもっとずっと長く勉強すればするほど僕の夢にまします時間も長くなるのだ。


 そうした生活を送っていると、模試の結果は上々、というか全国でトップをとったし、そもそももう模試の結果や受験に一喜一憂するようなメンタリティでもなくなった。


 今の僕、女神様に導かれた僕ならなんでもできるし、大抵のことは些末事なのだった。


 月日が流れて某日、僕は晴れて目標だった最難関大学に合格して入学する運びとなった。


 そんな日でも僕は欠かさず12時間の勉強を終えて床に就いた。


「女神様、やりました」


「頑張ったね。もちろん、最低限の導きは与えたけどこれは紛れもなく君の努力の成果さ」


「女神様あっての今の僕です。本当に感謝しています」


 僕は跪いて頭を垂れた。


「じゃあ、君の願いも叶ったことだし……僕はもう行くね」


「い、行く!? どこへ、どちらへ行かれるというのです女神様!」


 突然の女神様の言葉に僕は狼狽えた。


 僕の自信は女神様のヨイショに裏打ちされたものだ……女神様を失っては僕は、これからどうなる……!?


「大丈夫、君はもう立派にやっていける。現実世界で勉学に、夢の世界で僕と培った社交性があればなんだってできる」


「ですが……!」


「あまり困らせないでくれ。君は忘れてるかもしれないけど、僕はさる団体の崇める神その人なんだ。以前の君のように、導きを求める信者が他にもいる。言いたいことはわかるね?」


 そう言われたら……僕はもう何も言えなくなった。


「……立派な人間になります。女神様に恥じぬ一生を送ります!!」


「その意気だ。じゃあ、またね。君との出会いはとても数奇なもので、僕も楽しかったよ」


 そう言い残して、女神様は消えていった。


☆☆☆


 女神様が去ってから少しして、僕は寂寥感を感じながら大学の入学式に赴いていた。


 ふと、そこで見知った顔を……そういえばすっかり疎遠になっていた人を見つけた。


 それは誕生日プレゼントにあの枕を売ってくださった、僕の元恋人だった。


「わあ、貴方もこの大学に来てたのね。久しぶり」


「ああ、運命だなこれは。実は僕、もう一度君に会いたいと思ってたんだ。どうしても聞きたかったことがあったんだ」


「なぁに? 復縁か何かかしら?」


「いや、君の入っている団体に入信したいんだけど。教団の総本山はどちらにあらせられる?」


 僕が真面目な顔でそう切り出すと、彼女はあの僕の誕生日の時、枕を売ってくださったときと同じ笑顔で教団のパンフレットを取り出したのだった。

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