第2話 携帯・締め切り・おっぱい

 俺はしがない小説家だ。


 とはいっても人気が振るわず続刊が打ち切られ続けて早数年、もう気力も才能も擦り切れた出涸らしだ。


 別に小説なんぞ書かなくても生活を送るだけならば仕事を選ばなければやっていけるし、締め切りに追われる焦燥感も、せっかく描き上げた作品をこき下ろされる屈辱もない。


 今の俺はストレスフリーに、俗にいうフリーターでセカンドライフを送っているわけだ。


「さて、待ち合わせ場所はここか」


 携帯スマホの画面を確認しながら独り言ちる。


 今の生活の何がいいって空いている時間に小説のネタを考えなくていいってことだ。


「お待たせしました。えっと、ドサンコ・ザ・ラーメンさんですか」


「いかにも。そういう貴方はビヨンドロリータさん?」


「BLとお呼びください」


「それだと別の意味の略称にならないか……?」


「ふふ、ラーメンさんはDTRですね、なんだか車種の略みたいでかっこよくないですか?」


「ラーメンはヌードルだからNだと思うけどね」


 俺は旧知にして初対面の女性に笑いかけた。


 時間があるということは、こうしてマッチングアプリで知り合った女性とおデートすることもできるんだからセカンドライフさまさまだ。


 小説書いてた頃は起きたら寝るまでネタを考えてたもんで、30半ばを過ぎても彼女の一人もいなかった。


 なんせ、書いて出版してもらわなきゃおまんまの食い上げだったし、他は知らんが専業小説家はとにかく家に引きこもりがちで出会いなんざない。


 ……今思えば副業にしてリーマンやってりゃまた未来が変わったのかもしれねぇが、過ぎたことは考えても仕方ねぇ、今重要なのは上手いことひっかけたこの女のことだ。


 ひょっとすると俺の素人童貞を捧げる相手になるかもなんだから慎重に対応しないとな。


「立ち話もなんだからカフェにでも入ろうか? コーヒーのうまい店を知ってるんだ」


「スタバよりおいしいですか?」


「俺はそんなふうに聞かれたら人によって好みは様々だから君自身に試してほしい、少なくとも俺はいいと思っているって返す人だからこの時点で価値観が合わないならここでお別れしてもいいよ」


「わーひねくれてるおじさんですねぇ。でも自分の気持ちに真っすぐなのは女子的に評価高いですよ。それはそうと私は今お紅茶の気分です」


「なんでスタバをクッション挟んだのよ」


「コーヒーのお店といったらスタバかコメダさんだと思ってたので、まぁ話の潤滑油に。どうしてもラーメンさんがコーヒーをご所望ならコメダに行きましょう。私

みそカツパンとサラダの気分でもありますので」


「紅茶とのボリュームの差がエグい」


 まぁマッチングアプリの機能で通話したことがあったから彼女とウマが合うのは確認済。


 彼女が天然気味にボケて俺がツッコむというこの会話バランス。


 こういうやり取りは結構読者受けが……おっと、こいつは職業病だな。


 今考えたことを頭の隅に追いやって、俺はスマホの地図検索で最寄りのコメダ珈琲店を検索した。


 紅茶苦手なんだよね、俺。


「いらっしゃいませー、こちらへどうぞー」


 店員の案内を受けて俺とBLは席に着き、メニューを眺めながらお冷とサービスの豆を頂く。


「俺はアメリカンで」


「私はエビカツパンとエッグサラダで」


「みそカツじゃないじゃん」


「メニューのサンプル画見て気が変わることありません?」


「めっちゃある」


 王道展開を書いてる途中で梯子外したくなることなんてザラ……いや、小説はいいんだよ。


 注文を終えると俺は改めてBLの容姿をじっくりと咀嚼する。


 目算肩くらいまで長さのある髪は後ろに括られたポニーテール、平均よりも少し整った顔立ちにナチュラルメイクがいい仕事をしている。


 そしてなによりもコメダのテーブルに鎮座まします双つの乳皇……漫画やラノベじゃおっぱいが机に乗るとかいう描写は目にするが正直リアルではこれが初体験だったすごい。


 極めつけはこれに加えて24歳のOLってんだから最高だ。


 顔を合わせるまでマッチングの相手の容姿が定かではないのがネットで出会う際のネックの一つだが……俺的には大当たりだ。


 ちなみにマッチングアプリは無理やり従妹に入れられたらしい。


 そのおかげで一回り年下の女の子と出会えるんだから拝まずにはいられないね。


「ところでラーメンさん、今期のアニメチェックしました? 私はその着せ替え人形は恋をするがイチオシです」


「めっちゃいいよな。俺は明日ちゃんのセーラー服で」


「超絶フェチ作画アニメじゃないですかぁ。貴方も好きですねぇ」


「おまいうだぞそれ」


 加えてアプリでのやり取りでお互いの趣味が被りまくっているのもグッド。


 正直今までのマッチングの中で一番手ごたえがある!


 これまでの女どもは売れ残って必死に若作りしているくせにちゃっかり全部の店で支払いを要求してくるBBA、初対面の俺に対して男のこういうところが無理とか言っちゃう似非フェミニストなどの猛者ぞろいだったが、ついに俺にも春が来そうだ……!!


「異世界美少女受肉おじさんはよくできてるよな。男同士の親友って前提なのに呪いでお互いを異性として意識せざるを得ない瞬間が発生する設定から醸し出される絶妙なもどかしさみたいなの出しながら異世界コメディやってるの匠の業ですわ」


「今期の異世界モノはファ美肉おじさんがトップですかねぇ。OPが武装錬金の人なのいつ聞いても笑っちゃいます」


 店員さんが運んできたそれぞれのメニューを頂きながら俺たちは談笑を続けていた。


 それにしても乳がでかい。


 メニューを運んできた店員さんも二度見してたしな……おっといかんいかん。


 女性は視線に敏感だからな、なるべく顔の中央辺りに視線を固定するのに務めるのがベストだってどっかのラノベで見たぜ。


「それにしても最近異世界モノ増えましたねぇ。今期だけで……いくつありましたっけ?」


「現代で活躍できない、異世界で真の力が認められてトントン拍子に幸せに、ってテンプレが滅茶苦茶使いやすくてプロット切るのが楽な上にラノベの読者層にウケるんだろうな。あとは奇をてらった設定勝負みたいな感じ」


 企業のゴリ押し説もまことしやかにささやかれているが、俺からは何も言えんね。


 守秘義務ってやつ。


「ラーメンさん、ひょっとして構成とか詳しかったり?」


「いや、今のは個人の感想……戯言だよ。構成とかめっちゃ下手だと思ってるし」


 プロット切ってもその場のノリで話変えてオチが180度変わるのザラだからな。


 最終的に何が書きたかったんだっけ? ってなるから俺はあんまり自己評価高くなかった。


 というか小説の話題いやだなぁ。


「そっかぁ、残念。詳しかったら色々教えてほしかったんですけどねぇ」


「教えるって何を?」


「実は私、今小説書いてまして。ウェブ小説のコンテストで締め切り近いのにイマイチ全体に張りがないように感じるというか……それの解消には構成から見直す必要があるかなぁとか考えてたから誰かから意見が欲しかったんですよ」


「うへぇ、小説書いてんの? しんどくない?」


「しんどいですよぅ……推敲とか無限に終わらないし、その日書いた会心の文章が翌日に読み直したらツッコミどころの嵐だとか」


 超絶わかるゥー!!


 ……けど、いかん。


 この流れに乗ってアドバイスやらしだした日にはせっかく関りを絶った小説関係にまた時間を奪われかねない。


 だってウェブ小説とか感想欄に匿名なのをいいことに罵詈雑言吐いてこき下ろしてくる奴いっぱいいるもんよ。


 感想欄には感想をせめて書いてくれよ。


「で、これがコンテスト用に書き下ろしてる連載中の小説なんですけどね」


 そう言いながらBLは自分のスマホの画面を俺に見せてくる。


「ちょ、マジかよ……」


「なんで向こう向くんですかー、ちゃんと見てくださいってぇー」


「いや、他人の携帯視るのはマナー違反でしょ。それに俺シャイボーイだから」


「マッチングアプリに登録しているおっさんが何を言いますかね」


 俺の頭は拒否反応から顔をそむけるが、悲しき職業病からか目は自然にその文を追ってしまう。


 ついでにBLがぐいぐい見せつけてくるので、俺の目はその小説の引力に負けた。


 ざっと読んだがよく書けている。


 文にまとまりと厚みがあるし、誤字脱字もない。


 何度も推敲を重ねていなければこの文章は出来ない。


 かつて俺が情熱を込めて叩きつけていた世界に、彼女は今まさに挑みかかっているところだということを改めて認識してしまった。


「どうどう? どーですか、私の小説?」


「そんな短い時間に読めないって……でもざっと読んだけどいい感じだと思う。ただ……」


 そこまで言って、俺はハッとして自分の口を抑えた。


 ただってなんだよ、ただって。


 もう偉そうに講釈垂れる気満々か俺は。


 筆を折ったくせに文豪気取りか。


「ただ、なんです~?」


「いや、すまん。なんでもない。なんか偉そうなこと言いそうになった」


「いいからいいから、気づいた事何でも言ってください。読者目線でないと気付けないことってあると思うんで!」


 どちらかというと作家目線の話をしそうになったから口をつぐんだのだが、BLは期待と懇願のまなざしで俺の方を見つめてきて、やがて俺は根負けした。


「……ウェブ小説って敷居の低い土台にしては地の文、情景描写が少し多すぎる気がする。描写がまわりくどい部分が目立って目が滑るような印象を受ける……あと、一話ごとの引きが弱い……かな」


「めっちゃ具体的な指導入れてきますやん!?」


「あー、あれだ。ラーメンのレビュー書く時とか読者目線意識するから、自然と、な?」


「ラーメンレビュアーだったの今日イチ驚いてますけど……!」


 ラーメンレビュアーは口から出まかせだった。


「というかOLしながらいつ小説書いてんの?」


「事務仕事とか終わらせて何もやることがなくなったときとか、会社から帰ってきてから時間を作ってコツコツやってますよ」


「っはー、頑張るなぁ」


 俺は専業だったが、兼業小説家もこれを聞くとなかなか険しそうな道のりだ。


「頑張りますよ。私にとっては小説ってすごく特別なものなんです。すごく落ち込んでた時に友達におすすめされてそのまま放って置いた小説を手慰みに読んだのがきっかけでしたが、文字どおり世界が変わったんです」


 BLは真剣な表情の中にも柔和な笑みをないまぜにしながら語る。


「ただの文字の羅列が、ここまで人の心を揺り動かすのかと。そうして私は読書にハマり、それが高じて物書き見習いになったわけです……すみません、勝手に語っちゃって。引いちゃいました?」


「いや? 好きなことを好きだと早口でアツく語るのはオタクの特権。共感しかないね。どっちかというと君のネーミングに引くよビヨンドロリータさん」


 なんだよ超越幼女って。


「そっか。えへへ、ラーメンさんはいい人ですねぇ。出会えてよかったです」


「改めて言われるとちょっと照れちまうな」


 俺とBLの間にちょっといい雰囲気が流れる。


 あれ、これひょっとして押したらイケちゃうヤツ……!?


「なぁ、B「そろそろお開きにしましょうか。私、今日の分の執筆やりたいし」……」


 俺が喋ろうとしたところでBLがそう言った。


 お開きか、残念。


 執筆が理由なら、仕方あるめぇよ。


 締め切りは守んないと大変なことになるからな……。


「言われたこと、意識してちょっと推敲してみます。憧れの作者さんにちょっとでも近づけると信じて、頑張ります!」


「憧れって、その落ち込んでた時に読んだ小説の作者さん?」


「はい、そうです。今は休止してるみたいだけど、私の人生を変えてくれた人だから。小説の良さを教えてくれた人だから、毎日応援したいじゃないですか」


 俺も筆を折って久しいが、こうして応援してくれる人が一人でもいるってのは滅茶苦茶ありがたいのかもしれない。


「誰だか知らんが、そいつは果報者だな」


「だといいんですけどねっ!」


 俺がそう言って笑うと、BLは満面の笑みを返した。


「……小説ってすごいんだな。俺も書いてみようかな」


 そんなBLの表情を見て、俺の口からするりとそんな言葉がこぼれた。


 全く意図せず、自然に口からはみ出てしまった。


「おおー! 書いたら教えてくださいね? 読んであげますよ」


 BLは祝福するようにぱちぱち手を叩いてはにかむと、とうとう席を立った。


 机の上の食器にはいつの間に平らげたのか、運ばれたメニューは空となっていた。


 ウェブ小説という未知の大海原へとまた挑戦するつもりなのだ。


「ついでにラーメンさんの小説のPVが、私のよりついたらずっと見てた私のお乳揉ませてあげてもいいですよ」


「ふぁっ!?」


 悪戯っぽく笑いながら、衝撃発言に固まる俺をよそに会計を済ませてBLはコメダを後にした。


 引力だ……あのおっぱいには視線を下げる引力があるッ!


 いつの間にか見ていたのか……。


 自分の中の本能に呆れながら俺も帰り支度を始める。


 BLが帰った以上、ここに長居する理由はない。


 身支度を整えて、最後にコーヒーを啜りきって立ち会った時、視界の端に何かが引っかかった。


「BL……スマホ忘れてんじゃん」


 俺は今一度椅子に腰かけた。


 スマホを取りにBLが戻ってくるかもしれないのでもう少し店でダラダラしよう。


 そう考えていると、BLのスマホが振動した。


 画面には公衆電話が電話相手だと表示されている十中八区BLだろう。


 ここは落とし物スマホ対応テンプレで対処する。


「もしもし、こちら落とし物のスマホです。落とし主さんですか?」


「そうなんです、というかラーメンさんですか!?」


「そうだよ。帰ろうとしたら見つけてね」


「すぐ取りに行きます!」


「去り際に決め台詞を言ったのにのこのこ帰ってくる心境をどうぞ」


「ラーメンさん嫌い!」


 そう言って電話は切られた。


 おちょくり過ぎたな……。


 俺も通話終了ボタンを押す。


 ため息を一つ吐いたところで、BLのスマホの電話アプリが消えてその直前に表示していた画面が映し出された。


 それはBLのマイページだった。


 おいおいロックしてないとは不用心な……。


 考えながらも、悪いと思いながらも、理性から切り離された職業病から反射的に目が走ってそこの内容を確認してしまう。


 最後の良心がスクロールと項目のタップを思いとどまらせるのが限界だったが、ふとひとつ、目につくものがあった。


 それはマイページのお気に入り登録小説一覧の一番上の小説タイトル。


 このウェブ小説サイトは感想を書いた小説が登録小説の一番上に繰り上げられるシステムがある。


 そして、その小説は俺が過去に書いた小説だった。


「果報者は、俺だったのか」


 ずっと自分をだましていた。


 傷つくのが嫌になって、逃げだして、目の前の欲求におぼれる怠惰な日々。


 満たされるのは一瞬で、それ以外は泥濘のような生活。


 いつからだ?


 いつから俺は小説を書けなくなった?


 罵詈雑言と敵意を向けられても、それでも俺を応援してくれた人はいたというのに。


「すみません、忘れ物しちゃって」


 入り口の方で見知った声がした。


「ぜー、ぜー、ら、ラーメンさん。おまちどう」


 額に汗してBLはやってきた。


「お疲れさん」


 俺はBLのスマホを渡した。


「ご迷惑おかけしました! それでは~……」


 ばつが悪そうにBLがそそくさと立ち去ろうとする。


「なぁBL。俺、お前のおっぱい揉めるように頑張るよ」


 その背中に俺はそんなセリフを吐いた。


 間抜けなセリフだ。


 だがこれでいい。


 俺には物語の主人公みたいな気の利いたことなんざ言えない。


 なにせ連中のセリフは俺たち作家が寝る間も惜しんで磨き上げた珠玉の一言だからな。


 即興じゃこれが精いっぱいだ。


「ま、負けませんぜ……!?」


 BLは軽く振り返りながら両手でサムズアップすると、今度こそ店を後にした。


 俺も会計を終えて、帰路に就く。


 帰ったらすぐに幾ばくかぶりの執筆を開始した。


 後日、BLのマイページに一件の通知が届いた。


 お気に入りの作品が更新されました。




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