トクシマ・ザ・スダーチの三題噺
トクシマ・ザ・スダーチ
第1話 さんま・夜・まりお
「七輪を貸してください」
家賃一万のボロアパートの扉を蹴り破って入ってきた女は藪から棒にそう言った。
「この半額で買ってきたさんまの賞味期限はごくわずか……貴方にしか頼めないんです!」
俺は気が動転しまくって一周して落ち着いた動きで蝶番がネジ飛んで倒れた扉をとりあえず壁に立てかけた。
風通しの良くなった玄関から夕陽が差し込んできてまぶしい。
「……えっと、俺とは初対面だよなお嬢さん?」
「いえ、貴方の隣に住んでる
「すげーダメ出ししてくる……! いや、その程度は互いに認識できてるかも微妙だし、部屋臭いのは俺が入ってくる前からだし」
「そんなのは置いといてください。さんま、さんまが重要です。いいですか、お魚には鮮度というものがあります。さんまの鮮度がピンチです。一秒でも早く調理しないとこのさんまの命に対して顔向けができません! いただきます……この言葉の意味をあなたは正しく理解できていますか!?」
鼻息荒く言いながら女、浅間は手に持ったビニール袋をずいっと俺の方に見せつけるように突き出す。
ほんのりと、生臭い。
……これは弱った。
お隣さんがこんなにやべーやつだったとは……やっぱり安い物件にはそれなりに問題があるもんだな。
こんな浅間に上がり込まれた日には何が起こるかわからないから部屋に入れたくはないが、俺を守ってくれるはずの扉は力なく壁にもたれかかっているし、ボロ部屋とはいえ扉を蹴り破ってくる女のフィジカルを考えると……もう物理的に身を守る手段はないのかもしれない。
「というわけで、お邪魔しますよ……!」
そうこう考えている間に浅間は俺の脇を抜けて部屋に入ろうとする。
それを俺は慌てて手で制した。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。うちには七輪はないし、七輪は外で使うものだし……そもそもさんまを焼きたいなら自分の部屋で焼けばいいじゃないですか!」
俺がそう言うと、浅間はピタッと動きを止め……同時に表情が消えた。
「う、ううっ……ぐすっ」
かと思えばその場にへたり込んで、先ほどの勢いはどうしたのかと思うほどにさめざめと泣き始めた。
情緒の不安定が過ぎる……!
ところで俺は彼女いない歴=年齢だ。
当然ながら女性の涙を止める方法など知る由もないし、ましてやこのお嬢さんは見るからに常識から逸脱している。
知らない女にいきなり扉蹴り破られてさんまさんま言われて……泣きてぇのはこっちなんだが??
どうすんだあの扉……蝶番は木工用ボンドでワンチャンくっつかないかな?
「ぐずっ……きょ、今日はお給料日……だったんです。学費や生活費でギリギリの生活……今月はとくに厳しくて一昨日から水とお塩とちょっぴりの料理酒を舐めてなんとか乗り切ったんです」
「お、おおぅ……? そ、そいつは同情するけど……」
俺がオロオロしている間に勝手に浅間は語り出した。
「でもそれがどうして今の状況に繋がるんだ?」
「そ、それが……とりあえず当面の食料を買い込んで帰っている途中、買い物袋とバッグをひったくられて……ぶ、無事だったのは臭いの移りや袋の破損を警戒して別にしていたこの半額のさんまだけだったんですぅ……!」
「うわぁ……」
「しかもバッグの中には生活費のためのお給料の他に部屋の鍵も入っていて……警察に届けた後、帰ってきても大家さんは不在だし、私の部屋の扉は何回蹴っても壊れないし、空腹の限界にもう訳が分からなくなって……気が付いたらお隣さんの部屋をブチ抜いてました……ごめんなさいぃ……」
現状を語り終えると浅間は一層わっと泣き出した。
しかし聞いてみれば確かに気が狂うのも納得のいく話だ。
俺もこのボロ部屋に身を置く身……まぁ金がないのは辛いよな。
最初の勢いはヤケクソの元気の空回りみたいなもんか。
「それはお気の毒さまだったな……心底同情する」
「うう……後生です。さんまを、さんまを焼かせてください……このままでは人としての尊厳を捨てて素材の味そのまま頂くことになってしまいます」
「わかった。ちょっと待っててくれ」
俺はそう言って一度部屋に引っ込んでから押し入れからカセットコンロとテフロンがつるっぱげたフライパンと片方が半ばで折れた菜箸をとってきた。
このアパートにはガスが通ってない。
カセットコンロを常備するのも近場の銭湯に身を清めに行くのも住人の常識だ。
格安には理由があるもんだ。
「ほら、元気出してくれよお隣さん。今日は特別、ガスボンベおごりだから!」
「ふ、深く、深く感謝しますぅ……!」
このアパートの住人は人に驕るほど余裕のある生活を送れてる者はいないはずだし、俺自身割とこのガスを奢るのは断腸の思いだ。
だが、今日浅間がおっ被った不幸を鑑みれば同情もするし、武士の情けだってかけたくなる。
腹の足しにならない善行でも、今日詰んだ徳がどこかで返ってくるかもしれないしね。
まぁそれはそれとしてブチ抜かれた扉には大家への説明と賠償を要求するがね。
「ふぐぅ……すみません、すみませぇん……」
泣きながら浅間は袋からさんまを取り出すと火にかけたフライパンにそれを落として菜箸で皮がなるべくこびりつかないように調理を始めた。
さんまの皮が焦げる特有の格調高い香りが鼻孔をくすぐるので、思わず腹の虫が鳴きそうになる。
俺がこんな調子なのだから浅間の心中は察するに難くない、というか目端から涙を流しながら口の端からはよだれが垂れている。
人間、こうはなりたくねぇもんだ。
「あっ……!」
人の諸行無常を目の当たりにしていると、不意に浅間が短い悲鳴を上げた。
「あ、あわわ、あわわわ……」
「どうしたんだお隣さん」
「ひ、火が……もう、火が消えてるんですぅ!」
見ればフライパンの下で踊っているはずの火は立ち消えてしまっており、浅間が必死につまみをひねっても小気味よいカチッ、カチッという音が空しくするだけだった。
フライパンの上のサンマは……片面だけ焼き色がついており、もう片面は完全に生だった。
そして、俺の部屋にはもうガスボンベは残っていない。
「うぐぐぅ~……」
浅間は獣のように唸りながらも、すがるような半泣きの瞳でこちらを見つめてくる。
「ご愁傷様だが、家にはもうボンベのストックはない。そして、君が扉をブチ破ってくれたから戸締りが出来ないので、買い足しにも行けない」
「そう、ですよね……あはは」
俺は目をそらしながら、しかし毅然とした態度でそう言うと浅間は微笑みながら泣いた。
そして、覚悟を決めたようにさんまを睨むと、文字どおり半生のそれを骨ごとかぶりついて咀嚼した。
そう、貧乏暮らしは骨も残さずすべて頂くのが礼儀。
このボロアパートに流れ着くだけあって、浅間も覚悟して住んでいる女だった。
まぁ、まかり間違っても彼女にしたくはないが。
だが、明日からの生活費を、食材を奪われ、雑棒の最中にあっても必死で食事をして生きるのを諦めない浅間の生き様は美しかった。
それでも俺はちょっと引いたが。
「……というかそんなに無理するんならカップ麺一個くらい貸してあげても良かったな」
「っ~~……!!」
思い出したように言った俺を、さんまの尻尾を口に入れた浅間が咀嚼しながら凄い形相で睨んでくる。
悪かったよ……。
やがて、浅間はさんまを完食した。
「ぬにゃあああああああっ!! 私の人生くそったれぇぇぇぇぇ!!」
行き場のない憤りを強く感じる慟哭が、すっかり陽が落ちて暗くなった夜に吸い込まれた。
食事の後、俺は浅間を部屋に迎え入れた。
なにせ扉がブチ抜けているから戸締りができないもんでね。
盗ってもさほど実りのないあぶく銭や粗悪品にまみれた部屋だが、俺にとってはどれを失っても死活問題だ。
それだけにひったくりにあった浅間を放って置けないというのも理由の一つ、会話をしていないと風通し良く寝てしまいそうだから話し相手が欲しかったのも一つだった。
夜通し浅間と話をした。
「ひったくりの件は警察に届けたの?」
「もちろん。死活問題ですから。調書とかとったんですけど、その間にもさんまは常温にさらされて気が気じゃなかったですよ」
先ずは一番ホットな話題のひったくりについて。
そこから共通の話題としてこのアパートの大家への不平不満、他にもバイト先の上司がセクハラしてくるとか、ゼミの教授がパワハラしてくるとか浅間は愚痴をこぼした。
俺もそれに乗っかって貧乏生活苦を語り、いかにして俺たちは現状を打破すべきなのかを話しまくった。
「根菜の皮とヘタだけで作れる食べられるスープがあってですね」
「スーパーで買ってきたキノコを培養、増殖させたのがコイツなんだが」
互いが知らない生活の知恵を授け合ったりもした
途中から少量ながらも料理酒で乾杯をはさんだのでさらに舌の滑りが良くなっていく。
余談だがこの貧乏アパートでは酒といえば安価でそれなりに酔える料理酒だ。
先輩入居者に俺も倣ってそうしている。
「いやぁ、まさかキノコ育ててるとは思いませんでした。マリオじゃないですか」
「
「サザエとかやめてくださいよ。お腹すくじゃないですか」
「すまんやで」
しばらく談笑が続いていたが不意にお互いの話題が詰まり合ってしまい、少し気まずい沈黙が流れた。
「益夫さん。今日はありがとうございました。今日は最悪の一日かと思ったから、その夜にこんなに笑えると思わなかった」
「ポジティブに行こうぜ。貧乏な上に暗かったら心が折れちまうからなぁ。隣の女に扉をブチ破られてさんまを焼かせた、なんて一生使えるネタをありがとう」
「へへ、もういいじゃないですかそれはぁ……」
「よくない、ちゃんと修理費とか諸々よろしくしてもらわんとね」
「ちぇっ、ざぁーんねん……」
そう言うと浅間は目を閉じて横たわってしまった。
疲れ切っていたのだろうか、すーすーと寝息を立て始めてしまった。
数時間前までは人としての尊厳を捨てきっていた彼女だったが、こうしてみれば普通の女子大生で普通に可愛い部類だった。
まぁここまでの奇行を見て彼女をどうこうしようという気には全くなれなかったのだが。
思えば数奇な巡り合わせだったモノだ。
夕方までは顔も名前も一致しない疎遠なお隣さんだったのに、不思議なもんだな人生ってやつは。
一人そんなことを考えながら俺は小皿にちょっぴり残った料理酒を飲み干した。
「ってか話し相手がいなくなっちまった」
仕方ないから俺はセールで買ってきたマリオのパチモンゲームで朝まで凌ぐことにした。
俺が最終ステージで6度目の死を迎えるころには朝日が昇っていた。
パチモンのくせに難易度が高いゲームだったぜ。
朝日に呼応して俺がぐっと背伸びをする。
朝特有の澄んだ空気と風が俺の髪をくすぐった。
風通しがいいなぁ。
そんなことを考えていると浅間が起きた。
「おはよう」
「おはよう、ございます……?」
俺の挨拶を受けると浅間はしばらく目を瞬かせて周りをキョロキョロして、風通しのいい玄関を眺めて口をマヌケに開けると、すべてを思い出した様子で頭を下げた。
「昨日は……失礼、いたしましたッ……!」
浅間は深々と頭を下げて、そして勢いよく頭を上げた。
「も、もうこんな時間! わ、私大学があるので……えっと、行ってもいいでしょうか!?」
「ああ、いいよ。扉の件は知り合いが調子身に来てくれるように手配しといたから……代金は追々請求するから」
「わかりました! くよくよタイムは一睡で払拭!
言うが早いか浅間は扉のない玄関を飛び出して行ってしまった。
本当に風通しがいい。
しかし下の名前はりお、か。
あさまりお……。
「……どっちかというとおまえがまりおじゃねーか」
俺は半笑いになりながら扉の修理に来る友人を待った。
さんまが旬の今日この頃、この玄関はちょっと風通しが良すぎる。
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