3-2
妙に食いつきの良い黒川。
「話は少し戻るが、その後の全国大会はボロ負けだった」
あれは思い出したくもない、今でも夢に出てくるレベルの悪夢だった。神宮寺投手は初回から炎上、打線は出塁するのが精一杯。結果は大敗、運でも何でもなく完全な力負け。
「……では終わらず試合の後、すぐにメールが入ったんだよ。カノジョだった女からな」
「……どんな内容だったの?」
ああ、今でも全文覚えている。
「『もう私と関わらないで、負け犬さん』だよ。要は速攻でフラれたってことだ」
フラれた、という表現はいささかおかしいか。恋人らしいことは一つも経験しなかった。つまり、付き合ったという経験や覚えが全くない。
ああああああああああああああああああああッ、思い出すと今でもムシャクシャしてくる!!
「ソイツはどうして俺なんかと付き合ったと思う? 誰だって分かるだろうけど、あん時の俺は舞い上がってたからか全然気づかなかった」
「野球部のエースだもん、一緒ならそれだけでステータスになる。学年一の美少女に野球部のエース、響きは誰もが羨ましくなるくらい。ただ、まさかこんな冴えない地味な男だとは思わなかったでしょうけど」
指一本触れていない、それどころかほとんど会話さえもしていないという現実。その理由を尋ねてみても「みんなにバレると騒ぎが大きくなるから、だからもう少し時間が経ってから」と一点張り。本音は……考えないでおこう。
「だけど神宮寺くん、それとキミがこの学校に来た理由とどう結び付くの?」
そうだ、本題はそっちだった。
ふっふっふ…………、その話にはちゃんと続きがある。
「アイツがな、俺を振った後、俺のことをバカだの脳筋だの勉強ができないだの罵ってきたんだよな。私のほうが勉強もできてオマケに学年一の美少女。地味で取り柄が無くなったアンタと私が釣りあうはずがないんだって、そう言ってきたんだよ」
校舎裏、人通りのない場所。こんな男と付き合ったことは私にとっての黒歴史、だと。
「だから俺はアイツの志望校を受けるために死ぬ気で勉強して、見事合格。俺はアイツの家に行って合格証を見せに行った。そしたら天罰が落ちたのか、アイツは不合格で泣きながら俺を家から追い出した。これにて一件落着」
回想終了。神宮寺善慈先生の次回作のご期待ください、ってか?
「……うわっ、陰湿で執念深い男…………。キミと別れて正解だったんじゃないの……?」
引きつつも、侮蔑を含ませた大きくて黒い目を俺に向けた黒川であるが。
「話は戻すとして、勉強もスポーツもできる人間って大抵人気者になれない?」
「俺はそんなに器用な人間じゃねーよ。さっきも言った通り、勉強もスポーツも同時にこなすことはできん。秀才の神宮寺善慈、スポーツマンの神宮寺善慈は同時に観測することはできない。シュレディンガーのなんちゃらって理論が完成する訳さ」
「なんちゃらって何よ。シュレディンガーまで覚えてるなら『猫』くらいは覚えなさいよ……」
「何だ? 猫にそんな思い入れあるのか?」
「嫌いだからこそよ。別に猫が毒ガスで死のうが知ったこっちゃない、むしろ嬉しいくらい」
どうでもいい話だが、『シュレディンガーの猫』という、中高生の心を思わず掴んでしまいそうな厨二的響きの考えはあくまで思考実験の話であり、偉大なる物理学者、シュレディンガー氏が本当に猫を殺した訳ではないことは補足しておく。粒子に関する性質が確率論ではなく波の性質であるという考えを主張したいがために考え出した思考実験なのだ。
「……そこまで知ってるなら、どうして高一レベルの数学に手こずってるのよ……」
「……い、いや……、響きがカッコイイからネットで調べて……」
しまった、熱く語らなければよかった……。ニワカな知識を披露するのは結構恥ずかしい。
しかし、黒川はクスリと俺を笑ったのだ。
「ふふっ、ひねくれ者だと思ってたけど、案外キミも普通の男の子なのね。カッコイイ響きの言葉をネットで検索しちゃうなんて」
「ほっとけ。知識旺盛なのはいいことだろ? ……ここで補習受けてる俺が言うのも何だけど」
と、あれやこれや話しているうちに、あっという間に時間が過ぎていった。黒川と一緒に過ごす体感時間が日に日に速くなっているような気がする。これはジャネーの法則を疑ってみたい。
「じゃあな、黒川。明日は補習ないんだよな?」
「うん、私の茶道部があるから。次は来週の月曜日、注意してね。それじゃ神宮寺くん、バイバイ」
こうして俺は荷物を纏め、そのまま帰宅するのであった。
……――――いや、実を言えばすぐには学校から出なかった。
俺は1階まで階段を降り、校門には向かわずそのまま体育館へと足を運んだ。そうして誰にもバレないように格子越しに、そっと体育館内部を視察(という名の覗き見)する。
伏見咲夕。
その姿はどこにも見当たらない。
……………………。
つーか、どうして俺が伏見を探しているんだ? 自分でも分からん。
いやいや、俺は伏見の保護者でもないし、担任でも顧問でも、親友でもない。だから正直、あの女がどうなろうがどうでもいい。昨日試合に破れて悔しい思いをしようが、バスケを辞めたくなったと思おうが、あっそ、その一言で片付けてもいい。
「……ああ、何なんだ、この気持ちは?」
誰にも気づかれないように小さく呟き、何となく上を見上げる。広がるのは澄み切った青空、快晴すぎて逆に気味が悪い。
あん、何を言いたいんだって? 俺がどんな気持ちに陥ってるかって? そんなモン、逆に俺が訊きたいくらいだ。だが一つ言えることは、――――嫌な予感がする、それは確か。
黒川だって味と香りの良いコーヒーを提供しつつ、嫌味と弄りを交えたいつもの会話を展開してくれるし、体育館内の星ヶ丘だって爽やかに汗を流し精力的に活動しているのだし、特別異変らしい異変は感じない。
だがしかし、
「……伏見、どうか変な気だけは起こしてくれるなよ?」
どうして伏見の名を持ち出したのか明確な理由が未だに分からないまま、俺はそっと口走ったのであった。
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