3章 紅の心、涼しげな風を浴びて

3-1

 星ヶ丘花蓮VS伏見咲夕のバスケットボール対決に巻き込まれた翌日。登校して教室に入れば、その中心人物の一人でもある星ヶ丘から元気に挨拶混じりの声を掛けられた。少し話した程度なので詳しくは分からないが、恐らく抱えていた悩みは晴れたようだ。


 とまあ、いつも通りの地味な学園生活を送り、――放課後。この頃の日課となりつつある補習のため、3階の教室へ向かうことにする。


 同級生でもあり補習の先生、黒川紅涼は普段通り先に待機。そうしてすぐに50分間の補習が開始され、俺は真面目に補習を受けていく。終了後、いつものようにコーヒーブレイクの時間。


「早いものね、もう折り返し地点なんて」

「そうか? なんつーか、補習が始まってから一日が早く過ぎるような気がする。一日の密度が高いからか?」


 黒川に淹れてもらったコーヒーを一口。ふむ、香ばしさ際立つ香りと味が口いっぱいに広がる。


「この補習、ちゃんと役に立ってる? しっかり身に付いてなければ意味ないし」

「ああ、それは大丈夫だ。家に帰って毎日一時間は復習することにした。だから補習前よりはマシになってるんじゃね?」


 一年時は意味不明だった数式も、今日になってみればすんなり身に染みるものだ。途中で復習を投げ出すようなことは今のところない。黒川に教えてもらった後での復習なのもあるが。


「やればできるじゃん。今後は補習を受けるハメにならないように頑張って」

「……そうだな」


 返答に少し時間が掛かってしまった。なぜだろう? まあいい。


「それはそうと神宮寺くん、星ヶ丘さんはどうだった? 元気そう?」

「元気なのはいつもだ。ま、でも……、気持ちは晴れたんじゃないか? 悩みは消えてそうだったな」


「そっか、それならよかった。……ちょっと不安だったから」

「……不安?」


 昨日はそんなふうに見えなかったような?


「ううん、昨日はもう少し考えて行動すれば……、って後になって思ったのよ。神宮寺くんにも止められたけど……。あれじゃあ星ヶ丘さんに迷惑だったかな……って」

「ああ、俺も驚いたわ。黒川って結構行動力あるんだな、って」


 黒川は否定するように軽く首を振り、


「普段はあんなに目立つ行動慎むわよ。……ただ、人の邪魔してるのを見るとイラっときちゃって。それに、あの時は……」


 ところが、黒川は言いかけたところで、


「……いえ、何でもないわ」


 誤魔化すようにコーヒーを口に含んだ。


「でも神宮寺くん、本当にキミの運動神経は良さそうよね。高校でも運動部に入ればよかったのに。宝の持ち腐れじゃないの?」

「宝の持ち腐れは黒川もだろ」

「……? 運動は苦手だけど?」


 ……まあいい。本人が気づかないのなら、それはそれで幸せなのだろう。


「スポーツは中学で満足した。灼熱だろうが寒冷だろうがひたすら練習。いやーキツかった。もうあれ以上する気はないね」

「満足した……か。そのセリフ、万年控えか頂点にでも上り詰めた人のセリフみたい」

「ふふっ、こう見えても全国大会まで勝ち上がったんだよなぁ」


「控えで?」

「違うわっ。昨日も言わなかったか、俺がエースだって?」

「あ、ごめんなさい。オーラがないからどうも『ベンチの人』って錯覚起こしちゃって」


 とは言いつつも、申し訳なさそうな気配は全く見せない。


「もしそれが本当なら、神宮寺くんって意外とスペック高い? この高校だって平凡な学力じゃ入れないだろうし」

「部活やってる頃はそんなに勉強してなかったから、悪くはなかったけどそこまで誇れる成績じゃなかったな。部活引退してから……アイツを見返すために死ぬほど勉強したんだったっけ」


 黒川はちょこんと首を傾げ、


「……アイツ?」


 ああ、同時に思い出してしまった、あの事件のことを。

 たしか以前黒川に、神宮寺善慈は人生において女子から一度も告白を受けたことがないと言ったが、厳密には違う。


「……それが一番信じられない」


 恨みを込めて言うな、黒川紅涼。


「まぁ待て、ありゃあノーカンだ」


 思い出したついでなので、少し回想に入らせていただきたい。黒川も聞きたそうな顔をしているし。


「あれは忘れもしない全国大会前だったか――……」


 信じられない光景だと思われるだろうが、グラウンドで精力的に声を張り上げ、爽やかな汗を流していた俺こと神宮寺善慈。大事な試合を控えた最後の練習を終え、荷物を整理して帰宅しようとした時だった。ケータイに入ったメール、『大切なおはなしがあるから教室に来てください』、綴られた内容はシンプル。身を沈め始める太陽、眩い夕日、次第にグラウンドに伸びる黒い影、相交わるコントラスト。どこか青春を漂わせた風が、熱を帯びた顔にそっと吹く。


「余計な演出はいいから。さっさと話してよ」


 エサを待つ子犬のように黒川が文句を付ける。


「そう焦るな。青春の雰囲気を楽しみながら聞いてくれ」

「……青春……、むぅぅ」


 メールに従って教室に来ても、そこには誰も居ない。また騙されたのか……、「どうせ期待していなかった」、そう自分に言い聞かせながら、それでもほんの少しの期待を裏切られた哀しさが思春期の柔らかな心を刺激する。


 帰るか……、そう思い振り返った矢先だった――――――。

 教室の出入口で一人の女が背後で両手を組んで、優しく微笑んでいたのだ。その女は俺でも知っていた学年一の美少女。


「野球一筋のいぶし銀、女と付き合うなんてそれまで自分が許さなかったからな。……ただまぁ、あの時ばかりは致し方なかったんだ。断るなんて失礼だもんなぁ」

「自分が許さなかったのは、単に誰からも告白されることがなかっ――……」


 これ以上は聞きたくなかったので、俺は黒川に被せるように話を続ける。


「最初は疑ったんだよ。また騙されてるんじゃないかって。でも本気の告白だった。俺のことが好きな理由もちゃんと言ってきた。だけど……、まさかあんなことになるとはな……」

「……それで?」

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