1-2
星ヶ丘は思い出に浸るように目を瞑り、
「今でも思い出に残ってるのはね、善ちゃんが私を守ってくれたことかな? 上級生に脅されて泣きそうになったけど、善ちゃんが助けてくれたんだよね。コイツを泣かせるのはやめろって。私、どんな理由でも人を傷つけるの嫌いだもん。だからあの時の善ちゃん、かっこよかったな~」
「……ふんっ、今の俺なら見なかったフリしてスル―するね。わざわざ俺が痛い思いする必要はねぇ」
そんなことを言っても星ヶ丘はクスっと笑うだけで、
「ふふっ、捻くれちゃって。はいはい、そうですか。ならその時は違う男の子に助けてもらおっかな?」
数秒ニコニコと笑ったのち、
「嫉妬しちゃった?」
「してねぇよ!」
なんとまあ、自意識過剰な女だ。一体俺が何に嫉妬すると言うのか。俺なんか居なくても、色んな男が溢れるように現れることに嫉妬を覚えろということか。
冗談だよ、本気にしないでよ、と星ヶ丘は許しを請いつつ、
「それじゃあさっ、お互い昔の呼び名で呼ばない? せっかく同じクラスになったんだし!」
「……昔の呼び名?」
「そう、私は『善ちゃん』って呼んでたよね? 善ちゃんは私のこと、どう呼んでたか覚えてる?」
何だか楽しそうに訊いてくる。ルンルン、という擬音がお似合いだ。
すると星ヶ丘はその場で立つことをやめ、両膝を床へと付けて肘を俺の机へと掛けた。俺との距離がより近くなる。強調される豊満なバスト。
「さてと、思い出してくれた?」
ぶっちゃけ全然覚えてない。
記憶の戸棚をいくら開けようが、その情報は一向に見つからない。
「…………おかか」
星ヶ丘は柔和な顔つきをピタリと止め、
「……え、んん? ……何て? ……おっ、おかか?」
「……ほしが……、おかか、……れん……だから」
星ヶ丘はパッチリとした大きな瞳に力を込め、ぷくぅぅぅと頬を膨らませ、
「もうっ! そんなあだ名初めて付けられた! ふんだっ、この野郎! ギャグにしてもスベってるし!」
別にギャグのつもりで言った訳ではない。ギャグならもっと上手いことを考えるつもりだ。
「スマン、随分前のことだから覚えてねぇんだ。つーか、俺ってあだ名で呼んでたっけ? ……ホント覚えてねぇんだよなぁ」
機嫌を損ねたようにしばらく口元を尖らせていたが、
「『ほっしー』って呼んでたのに。……これから『ほっしー』って呼んでくれたら許してやってもいいけど?」
キモイ星型のマスコットを連想させるあだ名だ。そんなあだ名で満足するのか?
「……分かったよ。んじゃ、それで許してくれ」
ということで一段落話は付いた。はぁ……、ここまでテンションを上げて話をしたのは久しぶりだ。春休み中、自宅で姉ちゃんや妹、その他家族程度としか話をしてこなかったのもあるが。ま、いいリハビリにはなる。
………さて、もう一度言う。一段落は付いた――――のだが、
「………………」
「………………」
場を支配する沈黙、気まずい雰囲気が互いに流れる。
まったく、こういう場合どんな話題を振ったらいいのか分からない。特に女子と話すことが稀であり苦手な俺、頭の働きが鈍る。
俺の顔色を見かねてか、星ヶ丘は苦笑いで、
「……えへへ、気まずくなっちゃったね」
そんなこと言わないでくれ。
というか、話題が無くなったらさっさと席から離れりゃあいいだろ。
星ヶ丘は少し首の角度を変え、俺の顔を覗き込むように、
「善ちゃん、女の子とおしゃべりするの苦手? それっぽいけど?」
「……どっちかっつーと苦手な部類だ。口数も多いタイプじゃねぇし……」
ハキハキと口出しするタイプもなく、他人からは気怠そうにしゃべるとも評される。自分ではそのつもりで口を動かしてはいないのだが。
「そっか。じゃあさ、これから私とおしゃべりの練習しよ? 女の子としゃべり慣れる練習しない?」
「ふんっ、余計なお世話だ。数分程度なら何とかなる」
「なってないからさっきは気まずくなったクセに」
何かを企むようにニヤニヤと笑う星ヶ丘だが、…………ん? 俺の懐を凝視して、
「善ちゃん、それなに?」
ヤッベ! ……しまった、あの便箋の仕舞い方が甘かった。
さて、どうする? こんな所で星ヶ丘に見せると、「善ちゃんラブレター貰ったんだ!」と騒ぎを起こして周囲の目に晒されてしまいかねない。
「ハッ、まさか……、ラブレター!!」
さて、どう誤魔化そうか……と思案した直後だった。星ヶ丘の先制パンチ。
「……え……おっ、…………ちょっ」
目をキラキラさせて迫って来るなよ! オラァ、あっち行け!
ところが俺の下手な対応のせいで余計勘付かれ、
「うそっ、ホントに!? 見せて見せて!」
瞳を輝かせこちらに迫ってくる星ヶ丘。近づくにつれ亜麻色の髪から発せられる甘い香りに心拍数が上昇する。顔にも熱が帯びる。
「待て、ちょっと待て! これがホンモノだとは思えんッ。これは罠だ、ラブレタートラップに違いないッ!」
仕方ない、ここは下手に誤魔化すとかえって怪しまれる。だから俺はピンクの便箋を堂々と星ヶ丘へ見せた。
エサを待つように尻尾を振る犬のごとく興味津々な星ヶ丘、不思議そうに俺の顔を見て、
「このひねくれ者、どうしてそんなこと言えるの? 女の子だって一生懸命考えて書いたかもしれないのに。心、穢れてるんじゃない?」
「あんまり話したくないけどよぉ……、中学時代にニセのラブレターで二回騙されたことがあるんだよ。要するにイタズラ。こんな地味な俺だ、対象にされやすいんだよ。ま、ホンモノを毎日のように受け取ってるお前には分からんで結構」
あれは哀しい事件だった。二年前だったっけか? 思い出したくもないが、今は星ヶ丘を説得させるためにやむを得ない。以下、回想に入る。
あれは中学二年生の頃、人生初めてのラブレターを昇降口で手に入れた時のことだった。それはもう舞い上がった。で、ラブレター通り屋上(自由に出入り可)に行けば数人のクラスメイトの女子に「騙されてやんのー」。マジで性格とアタマが腐ってんな、ブス共のクセして調子乗ってんじゃねぇぞ! と脳内で文句を吐いてやるほどに正直かなり腹が立ったが、まあ、ここまではよくある話だ。
しかし事件は半年後に起こったのだ。またラブレターを受け取って、今度こそはと疑うことなく屋上に行った時、そこに待ち構えていたのは――――――同じ相手。嘲笑どころか憐みの目で見られ、ついには「ごめんなさい。二度としません」。さらには直筆の謝罪文を受け取った時、そりゃあもうね。自分の情けなさに呆れ返るばかりであったのだ。
回想終わり。
とはいえ、三度目は絶対に騙されない。
「騙されないためには、手紙を受け取った時点で疑うことが大事なんだよ。中身を確認するまでは、便箋は恋文でもあってトラップでもある」
あの俺を騙した女が二年前に見せた顔を、たった今星ヶ丘が精度よく再現させ、
「……あっ、そう…………」
若干引いていた。
「ま、お前はモテるだろ。何人の男と交際したかは知らんが、俺の気持ちってのはどうせ分からんだろうね」
星ヶ丘は戸惑うように頬を赤くし、
「そっ、そんな! 私、付き合ったことなんか……。その、一回もないし……。バスケ一筋だったから……、勉強も苦手で頭もかしこくなくて……」
「バスケ好きなのか? 男よりも?」
「そりゃあもう! ボールが恋人って言えるくらいっ」
「部活やりながらでも男と付き合えるだろ。何人の男と経験があるのかは知らん。でも俺よりは異性に慣れてるはずだ。とぼけたって無駄だぞ」
星ヶ丘はさらに顔を紅潮させ、なぜだか眉の筋肉をプルプルと震えさせる。
それは何かに耐えているような、なおかつ不満を貯め込んだような表情と仕草。
おかしいな……、何か怒らせることを言ったか? と考えたその時、
「私、エッチなんかしたことないもん…………」
……………………………………………………。…………………………?
今、何て言った? 思わずポカンと口を開ける俺。
「…………うぅぅぅぅぅ!」
顔を真っ赤にした星ヶ丘は、沈み込むように机の下へと顔を伏せていく。
「ちょ……おま……ッ、なに言ってんだよ! 変な誤解してるんじゃねぇぞ!」
「…………え?」
「俺は交際経験の人数を訊いただけだっ。別にその……、やましいことを訊いたワケじゃ……」
星ヶ丘はプルプルと涙目で、
「…………んんんっ、善ちゃんのバカぁぁぁ!! えっち! ヘンタイ! 思春期! 誤解するようなこと訊かないでよ!? うわーんもうっ!!」
そのまま乗り込むように俺へと接近し、ポカポカと胸元を叩いてきた。照れ隠しの動作は大変可愛らしいのだが、結構筋肉質なのか、腕の力が強くて痛い。
というか、誤解をしたとはいえ、もう少しマシな言い回しがあるだろうに。単に経験がありませんだとか、直球の言い方ではあるが『処女』と答えてもまだ星ヶ丘の言い回しよりは幾分か模範的だろう。一体どうして星ヶ丘はそう答えたのか?
「……そっ、そんなことあまり訊かれたことないから、どう答えればって……」
納得できるようなできないような……。
「まぁいい、今の話は水に流そう。とりあえず一息付いてから手紙の中身を確認して、マジのヤツだったら星ヶ丘に相談する、それでいいな?」
「……星ヶ丘じゃなくて、ほっしー……………」
まったく、本当に面倒な女だ。
「……ほっ、……………ほっしーに相談するから……そん時はよろしく頼む」
「うん、分かった」
最後に星ヶ丘が天使のように笑ってくれたことが救いだったが。
…………はぁ、まったく、先が思いやられる。クラスのチャラい男や女どもに弄られないか心配になる俺であった。
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