異世界鉄道おまけ ブルーベルさん奮闘中(下)

『酒浸けレーズン入りのクリームを長方形のソフトクッキーで挟んだもの』

 わかっているのはそれだけです。

 それでもある程度、判断できる事はあります。


 例えば酒浸けレーズンを作る際に使うお酒。

 これはきっと香りの癖が少ない蒸留酒でしょう。

 おそらく果実酒を作るような要領でいいのではないだろうか。

 そんな想像が出来ます。


 ただ浸けるべき期間は試してみないとわかりません。

 果実酒でも使う果実によってどれくらい浸けるかはバラバラです。

 物によっては半年は浸け期間が必要な場合もあります。


 一緒に入れる砂糖は必要なのか、必要ならその量はどれくらいか。

 何種類か同時進行で作りつつ、熟成具合を見ていくしかないでしょう。


 あと今回はおそらくレーズンが主役なので、酒は多すぎない程度に。

 レーズンも数種類試してたほうがいいでしょう。


 ソフトクッキーについては、少しずつ甘みを変えて作るしかありません。

 香草を入れるタイプではなく、まずはプレーンなもので。


 クリームは生クリームかバタークリームか、はたまた全く別のものなのか。

 とりあえずはよくある生クリームとバタークリームで、甘さ普通から試してみましょう。


 ◇◇◇


 幸い期間はそこそこあるようです。

 ニーナさんがリチャード様に聞いたところによると、『夏休みにお嬢様方が来る事になったので、その時に出すお菓子』だそうですから。


 ただやはり頼まれている以上、できるだけ早く完成形を作りたいところです。


 最初に手持ちであるレーズンと蒸留酒、無塩バターと砂糖で作ったバタークリームで『酒浸けレーズン入りのクリームを長方形のソフトクッキーで挟んだもの』を作ってみました。


 どんな味の方向性になるかの手がかりとしてです。

 勿論酒浸けは魔法で時間短縮して作ったものですし、クリームもとりあえずバターでという形。

 クッキーも基本的なやや甘めの、ごく普通のソフトクッキーです。


 ただこれでも味見をしてくれたニーナさんやヒフミちゃん、マルキスさんには好評でした。


「もうこれで充分美味しいですよ」


「そうですよね。他のお菓子には無い香りもいい感じです」


「私もそう思います」


 そう言ってくれたのです。

 ですけれど自分で食べてみて『これはもっと美味しくなる』と感じました。

 何というか、まだこのお菓子の本当の味を引き出していないというか。


 そう感じてしまうと駄目なのです。

 完成品ではない、という事ですから。


 ですので私が出来る範囲で、美味しくなりそうな可能性をひととおり試してみました。  


 例えばレーズン3種類を4種類のお酒に浸けたものをそれぞれ2瓶ずつ作りました。

 2瓶ずつ作ったのは片方は浸けたままにして、もう片方は浸透魔法を毎日1時間かけ、中身も試作に使っていく為です。

 

 クリームは生クリーム、バタークリームそれぞれ、甘さと塩味を変えたものを試してみました。


 結果、生クリームをホイップしたもの甘さ控えめと、バタークリームの少しだけ塩分入りやや甘めを両方使うのがよさそうだとわかりました。


 クッキーは標準的なやや甘めやや厚めの、軽い焼き加減のもので。

 酒漬けレーズンは半生の大きいレーズンと、樽で10年寝かせた色の濃いブランデーという組み合わせが一番良い様です。


 こんな感じで試行錯誤を繰り返した結果、失敗作もその分出てしまいました。

 しかし幸いこの家の使用人は甘党ばかりです。

 なので後始末はいくらでも出来ます。


「この味で失敗作というのは無いと思います」


「ですね。充分美味しいです」


 なんて言いながら食べてくれる人が3人も居ますから。


「これでもリチャード様、きっと美味しいといって食べてくれますよ」


「甘党ですからね」


 マルキスさんやニーナさんの言う通り、リチャード様も甘党です。

 しかし流石に主人には完成品以外は食べさせる訳にはいきません。

 これはコックとしてのけじめというかプライドです。


 及第点かなと思うものが出来るまで、ちょうど1週間かかりました。

 ですので夕食後のお菓子としてリチャード様に出してみたのです。


 リチャード様は最初、何も言わないで外形をぐるっと確認され、そして最初はクッキー部分だけ、そして次はクリームと一緒に、更にクリームだけ……

 そんな感じで注意深く食べた後、大きく頷かれました。


「美味しいな、これ。思った以上だ」


 良かった、これで無事お役目を果たせた。

 この時はそう思って安堵しました。

 しかし実はこれがはじまりだった事に、私は気づかなかったのです。


「なら次はこんな物が作れないかな。外国から来たらしい文献で読んだのだけれどさ。小粒の赤豆に砂糖を加えてじっくり炊くようにして……」


 そう、リチャード様はまだまだ私達の知らないレシピを沢山抱えていらっしゃったのです。

 お菓子に限らず、発酵調味料やそれを使った料理等まで。

 

 ◇◇◇


 それ以来、私の職務には『リチャード様から教えていただいたレシピの開発』という項目が増えました。


 そのほとんどが私が知らない、おそらくこの国でも知っている人がほとんどいないだろう新奇なものです。


 中には『発酵促進魔法を使わなければ1年位かかる』なんて調味料まで含まれています。


 少しでも私が想像出来たのは『生魚を塩漬けした後酢漬けにする料理』くらいでしょうか。

 これだけは似たような料理がゼメリング領の海岸沿いにありましたから。

 リチャード様の仰ったものとは完成形がかなり異なるので、やはり試行錯誤が必要でしたけれども。


 他にもお仕事が増えました。

 リチャード様のお仕事範囲が広がった為か、お弁当やお菓子を数多く作るなんて機会が増えたのです。


 おかげで最近は忙しい時も増えました。

 厨房関係は私1人なので、時には結構大変な時もあります。


 50人分のお弁当を作った時は本当に大変でした。

 作るのも大変でしたけれど、生ものを入れたので管理の為に私自身が現地まで行く必要がありましたから。

 ヒフミさん、マルキスさんに周囲を固めて貰って何とか乗り切りましたけれど、まさかウィリアム様が個別にお弁当の追加を要請してくるとは思いませんでしたし。


 ただ、確かに忙しくはなりましたけれど、悪くはありません。

 以前のような『これでいいのだろうか』という焦燥感もありません。

 新しい珍しい料理を作っていくのが楽しいのです。


 この貯蔵庫にも新しい調味料や食材が随分と増えました。

 シロミソ、ショーユとリチャード様が呼んでいる発酵調味料。

 市販のウスターソースを更に甘く濃厚にしたオコノミヤキソースというソース。

 渋皮が剥けにくいやや大ぶりの栗や、赤紫色をした小粒の豆、勿論酒漬けのレーズンも常備しています。


 これらで教わった新しい料理を作ったり、工夫してまた別の料理を作ったりするのが楽しくて仕方ありません。


 ただちょっとだけ気になる事があります。

 これら新しいお菓子や料理について、教えてくれという話が増えているのです。


『実際に開発したのはブルーベルだから、ブルーベルの判断でいいよ』


 そうリチャード様は仰います。

 ですがこれらは全てリチャード様から教わった知識が無ければ出来なかったものです。

 だからおいそれと教えたり広めたりする訳にはいきません。


 勿論例外もあります。

 シックルード伯爵家領主館とスティルマン伯爵家領主館には、一部のレシピをお渡ししています。

 これはリチャード様の要請です。


「いや、以前ブルーベルに作って貰った悪突猪オツコトのサイキョーミソ漬けをウィリアム兄とジェームスさんに渡したら、双方の領主館の料理人さん達から泣きが入ってさ。

『お願いですからあのレシピを教えてください。うちでも作ってくれとの要望圧が強いんです』って。


 あとお菓子はパトリシアが五月蠅くてさ。だから申し訳ないけれど、この2つの領主館の料理人宛にレシピを書いてくれないか。秘密は守るように念を押しておくからさ」


 リチャード様は身内には結構甘いのです。

 その身内にはどうやら私達使用人も含まれているようですけれども。


 さて、夜ですけれどもうひと仕事しておきましょう。

 今はお客様も2人来ていらっしゃいますし、そうでなくともこの家は使用人分を含めてお菓子の減りが早いですから。


 さしあたっては在庫が無くなった栗のケーキからでしょうか。

 予備在庫まで無くなった事で、食べられなかったニーナさんとマルキスさんが意気消沈していますから。

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