異世界鉄道おまけ ブルーベルさん奮闘中(上)

 貯蔵庫に入るとほっとします。

 ここは私以外の誰かが来る事が滅多にないですから。


 未だに人に接するのは得意ではありません。

 以前よりはましになりましたが、以前は初めて会う人と対面すると言葉が出なくなりました。


 そんな自分の性格はよく知っています。

 だからこそシックルード伯爵家領主館に就職した際、御客様と対面する機会が少ないコック兼キッチンメイドを選んだのです。

 メイドの中でも最も人と接する機会が少ないだろう、そう判断して。


 それでも伯爵家の領主館にいるときは月に1度はパーティ等がありました。

 そのたびに気が重くなったものです。


 料理の説明等はコックの仕事ですから、私が御客様の前に出るのは配膳や片付けの時だけです。

 しかしそれだけでも充分気が重いというか、内心でびくびくしています。

 声をかけられたらどうしようかと。


 なのでリチャード様の屋敷への異動を打診された時は、正直なところ悩みました。

 コック兼任ならばお客様の前に出る機会が多くなりそうですから。


 ただ上司であるコックのミハシさんに、

『他に独立できる腕の奴がいないんだ』

と頼み込まれて仕方なく、というのが正直なところです。


 ただ実際に異動してみると、そういった心配は全く無用でした。

 むしろこれでいいのだろうかと拍子抜けするくらいです。


 家でパーティはおろか人を招く事は全く無い。

 リチャード様が食事に注文をつける事も全く無い。


 仕事で会うのも既に顔見知りのニーナさんとマルキスさん、あとは新しく雇ったヒフミちゃんだけです。

 買い物は必要なものをメモしておけばニーナさんが注文してくれて、ヒフミちゃんが受け入れをしてくれますから。

 

 仕事そのものも今までより遙かに楽でした。

 先程言ったようにこの屋敷は私を含めても5人しか居ませんし、パーティや人を招くなんて事もありませんし。

 コックとキッチンメイド兼任でも時間が余るくらいです。

 

 人間勝手なもので、こうなるとまた別の思いというか考えが思い浮かんでしまうのです。

 こんなに暇でいいのだろうか。

 楽なまま埋もれてしまっていいのだろうかと。


 ただだからと言って何が出来るという訳ではありません。

 このお仕事をやめるというのも勿体ないです。


 今はコックという事で、私の年齢としてはかなり多めの給料をいただいています。

 この額をいただける職は他にはまずありません。


 他の屋敷に勤め直した場合、私の年齢ではキッチンメイドからでしょう。

 なら給料は今の半額がいいところです。

 それに今は居室も個室ですけれど、キッチンメイドは普通は個室は貰えません。

 良くて2人部屋、悪ければ6人部屋なんてところもあります。


 それに今はコックですので作りたい料理を自分の判断で作る事が出来ます。

 対人が苦手という消極的な理由で選んだキッチンメイドの職ですが、おかげで料理を作る事は好きです。

 他に趣味も特技もない、というのもありますけれど。


 だから腕がなまらないよう、時々料理本を取り寄せては新しい料理を試してみる。

 それ以外には特に何もない、そんな日々が2年ほど続いたのです。


 その状況が変わったのは5月のある日、ハウスキーパーのニーナさんにこう尋ねられてからです。


「リチャード様からこんなお菓子は無いかと聞かれたのですけれど、ブルーベルは知っていますでしょうか?」


 ニーナさんの説明によるとそのお菓子は、『酒浸けレーズン入りのクリームを長方形のソフトクッキーで挟んだもの』だそうです。


 お菓子については領主館時代、パーティ等の為に作りましたので、代表的なものについてはほぼ知っているつもりです。

 それに本でもある程度は研究していましたので、この国で作られているものについてはひととおり知っているつもりでした。

 しかしそのようなお菓子は聞いた事も見た事もありません。


「私もそのようなお菓子は聞いた事がありません。少なくともこのあたりの一般的なお菓子ではないでしょう」


 そこまで答えて、そしてついその後に付け加えてしまったのです。


「ですがそこまでわかっているのなら、私の方で試作してみましょうか。もちろんリチャード様が思っているものと全く同じものを作る事は出来ません。ですが少しずつ味を変えて何通りか試作すれば、近い物は出来るのではないかと思います」


 ニーナさんは明らかにほっとした表情で頭を下げました。


「すみません、お願いしてもいいでしょうか。滅多に要望を出さないリチャード様から聞かれた事なので、出来れば何とかしたいのです」


 確かにリチャード様は私達に何か要望するという事がほとんどありません。

 食事やデザート等も特に好き嫌いなく食べてくれますし、美味しいと褒めてくれる事はあってもまずいとか文句を言う事はありません。

 

 強いて言えば付き人兼秘書のマルキスさんをまいて一人で出かける癖がある事、ゴーレム車で無茶な速度を出す趣味がある事でしょうか。

 しかし4月に事故を起こしてからはそのような事もなくなりました。


 つまり使用人にとっては大変ありがたい雇用主ではあるのです。だからニーナさんの気持ちもわかります。


「明日から試作してみますが、レーズンを酒に漬け込む必要があるようなので少々時間がかかるかと思います」


 液体を浸透させる魔法は私でも使えます。

 風魔法を使って容器の中の空気を抜いたり逆に多く加えたりして浸透を進める魔法もあります。

 ただこれらの魔法を使っても、時間をかけて浸けておくのと同じ状態になるとは限りません。


「わかりました。必要なものがありましたら後で他の食材と一緒に注文しますから」


 そんな訳で、私は知らないお菓子を作る事になったのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る