異世界鉄道 キットの研究課題

 夏休みでも工房は人が多い。

 勤務上は半数が休んでいる筈なのだ。

 しかしどう見てもそんなに休んでいるとは思えない。

 もちろんそれにはそれなりの理由がある。


 工房員のほとんどは仕事以外に自分の研究なり課題なりを持っている。

 業務に支障が無ければ自由にそれらを進めていい。

 工房の資材や機材、設備を使っても構わない。

 学会等出席は業務扱いにしてもいい。


 カールはそんな条件で優秀な人材をスカウトしてくる。

 結果、ほとんどの工房員は休日であっても自分の研究等をやりに出勤してくる訳だ。


 ただ本日は上席デスクの一角が空いている。

 工房副長にして実質的な管理者、キットの席だ。

 そう言えば奴は本日夏期休暇だったなと思い出す。


「キットは休暇、しっかり休むんだな」


「いや、来ているぞ」


 カールからそんな返答。


「いつもの席にいないぞ」


「あれは仕事用の席だ。今日は研究場所にいる」


 なるほど。

 そう思って、ふと気づく。

 そう言えばキットが何を研究しているのか聞いたことが無いなと。

 確か『この工房内で一番現実味のない研究』だと言っていたな。


「どんな研究をしているんだ、キットは」


「見てみるか? 訳がわからないと思うぞ」


「そんなに難解なのか?」


「ああ。夢があるとも言うけれどな。こっちだ」


 どうやらカール、案内してくれるらしい。

 いつもの部屋を出て廊下へ。


「どこでやっているんだ?」


「今は第4倉庫だな。キットやつの研究装置はやたら場所を取る」


 第4倉庫は大型客車を製造する為に増築した際に出来た場所だ。

 現在は使っていない筈だったのだがキットの研究室になっていたとは。


 もっともキットは実質的に工房の管理者だ。

 工房長であるカールが管理らしい事をしないからだけれども。

 だから奴なら自分が望む場所を押さえ放題。

 そうやって文句が出る筋も無い。


 第4倉庫は工房の端にある。

 カールはノックを3回すると返答がくる前に扉を開けた。

 いいのかなあと思いつつ、僕はカールに続いて中へ入る。


 中へ入った瞬間、理解した。

 カールが言った『やたら場所を取る』の意味を。


 ミクロ化して時計の中に入ったらこういう風景なのだろう。

 そんな事を思う。

 目の前も横も歯車だらけだ。

 何がどうかみ合ってどう動くのか、知らない僕には理解出来ない。


 というか、そもそもこれは何の意味があるのだ。

 普通の動力分割ではここまで歯車を使用しないぞ。


「キット、いるか?」


「いますよ」


 上の方から声がする。

 魔力探知でさぐると2腕4m上、1腕2m奥。

 歯車が噛み合わされた装置の裏側にある作業台の上にいる模様。


「リチャードがキットの研究について聞きたいそうだ。大丈夫か?」


「大丈夫です。今降りていきます」


 キットは作業台から鉄骨で自作したような梯子を伝って下りてきた。


「すまない、研究中に」


「かまいませんよ。そう簡単に結果が出るような研究でもありませんから」


 やはりこの歯車が大量に組み合わさった装置で研究しているようだ。

 しかしどうにも研究という言葉とこの装置が結びつかない。


「申し訳ないが、これは何の研究なんだ。いや、別にとがめるわけじゃない。単に興味で知りたいだけだ」


「一言で言えば『考える機械』ですね。与えられた問題を自動で解く装置です。と言ってもまだ簡単な計算しか出来ませんが」


「どういう事だ?」


 考える機械という言葉と目の前の装置が結びつかない。


「簡単な例で言いますね。たとえばスイッチが2つ、表示用の腕木が2本ある装置を考えて下さい。


 このスイッチ2つを使って、次のように腕木が動く装置を考えます。

  ① スイッチが2つとも入っている場合、2本の腕木の位置は下、上になる。

  ② スイッチが片方だけ入っている場合、腕木は上、下になる。

  ③ スイッチが両方とも入っていない場合、腕木は上、上になる。


 こういった装置を歯車やクランク等を使って作る事は可能ですよね」


「ああ」


 ②を作るのが少し面倒だが出来ない訳では無い。


「これは実は、1+1を計算するのと同等の意味なんです。腕木の片方が2で、片方が1を示すと思って下さい。位置が下になっている方を読み取れば、計算結果になりますよね」


 そう言えば昔、日本時代にそんな事をどこかで聞いた気がする。

 というかこれは2進法、コンピューターで計算する理屈と同じだ。

 コンピューターの理屈と同じという事は……


「つまりこの腕木とスイッチの桁を増やせば、より大きい数字の足し算が出来るという訳か」


「ええ。勿論腕木やスイッチはオンとオフしか出来ないですから、それに即した表現形式に変える必要がありますけれど」


「2進数か。1と0だけで数値を表現する方法」


「その通りです。というか何処で知ったんですか、それ」


 おっとまずい、今のは日本の知識だ。


「学生時代何か本で読んだような気がする。ちょっと何の本かは覚えていないけれど」


「なるほど。要はそういう事です。今の例は足し算だけですけれど、もっと複雑な理論も組み合わせれば四則演算も出来ますし、文字を表現する事だって出来ます。もっとも四則演算のうち割り算をこれでやるのは結構時間がかかりますし、文字の処理なんてやらせたらもっと時間がかかるのですけれどね。


 それでも充分に強力な動力と多くの桁数を計算して保存できる装置を作れば、いつかは人の思考に近づく事が出来ると思うんです。それが私の研究課題、思考機械です」


 何かそういう装置、日本時代に読んだSFにあったなと思う。

 あれはゴーレムでは無く蒸気で動かしていたけれども。


 まさかディファレンス・エンジンをリアルでやろうとしている奴がこの世界にいるとは思わなかった。

 確かにこれが完成すれば面白い事になるだろう。

 しかし、何と言うか……


「参考までに今はどれくらいの計算が出来るんだ?」


「2次方程式の最適解を16桁精度で出すまでですね。まだ半日かかりますが、鉄道に使用した新型ゴーレムを組み込んだのでもっと早くなる予定です」


 なるほど。


「出来れば面白そうだけれど、道は遠そうだな」


「ええ。自分でもわかっています。実際こんなの無理だという事で、何処の研究機関でも研究させてやらせて貰えませんでしたし。

 この研究も私の一生では完成しないかもしれない。でもここで私が研究した成果がいつかとんでもない花を咲かせるんじゃないか。そう思ってやっているんですけれどね」


「わかった。ありがとう」


 ゴーレム動力の歯車式コンピューターか。

 出来たらどんな世界になるのだろう。

 スチームパンクな世の中になるのだろうか。

 そんな事を思いながら僕は改めて巨大な装置を見上げた。


※ ディファレンス・エンジン

 (ウィリアム・ギブスン、ブルース・スターリング共著)

  階差機関の完成によりテクノロジーが発達したヴィクトリア朝のイギリスを舞台にした小説。スチームパンクSFの代表作のひとつ。

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