風紀委員襲来

 僕は畑中唯の秘密を知っている。彼女が大のアクション好きだということを。

 彼女は文学少女でありオタクだ。しかし、それでイメージされる腐女子のようなキャラクター同士の掛け算を連想する女ではなかった。少年漫画を少年のように読む女であった。

 付き合ってみると彼女の本性は、サディストだった。徹底的に相手を追い込みその様を楽しむ性が彼女には垣間みられた。例えば、僕らの会話でよくある引用について、僕がわからないと執拗に責めてくるのだ。

 例えば、『黄色い花は雨に濡れない。』というセリフがある。僕はこれを知らなかった。そうしたら畑中は、池袋ウエストゲートパークを知らないの!?、と大げさに驚いてみせて僕を蔑みながら視線で舐め回してきたことがあった。あきらかに他人の失点を突くことに興奮を懐く畑中唯の本性に僕は恐怖すら覚えたものだ。

 教師ならそのような本性を諌める方向に指導するべきだろう。しかし、こと渡部哲という男は違っていた。彼女の性を肯定しより伸ばすように言ったのだ。それが本を深く読むことにつながるのだと。

 僕は呆れ返った。むしろ関わりたくなかった。渡部哲という教師が怪人と呼ばれる本当の理由はこれであろう、と僕は考えている。本を執拗に与える奇行はこのための準備段階にすぎない。これを乗り越えた者の性癖というのだろうか、それをよりこじらせるように仕向けるのだ。そして、毎年数名の犠牲者が出る。己の咎を受け入れそれを満たそうと狂い出す人間を渡部哲という教師は次々と生み出していった。その中から極稀に天才が現れる。そのため、この教師の蛮行は見逃されている。

 畑中唯に五行拳を授けたのは渡部先生以外に考えられない。あのクソジジイにされた仕打ちを思い出してきた。

「何で平気な顔をしてるの!?」

 地面に伏した畑中唯は叫んだ。

「あんな軽い拳で倒れる男はいないよ……。」

 僕は畑中に同情の視線を送った。

「畑中さん。カンフーは数ヶ月練習して身につくものじゃないんだよ。全部が手打ちでした。あれでは誰も倒せません。」

 渡部先生が畑中に語りかける。五行拳は一見軽く打っているようにも見える。脚を伸ばしきらないその独特の歩法は力を拳へと伝えるのが難しいのだ。それを発勁と呼ぶこともある。つまり畑中は勁がまったく練れていないのだ。こんなものを畑中に教えて何になるというのだろうか。

「渡部先生、なぜ畑中に五行拳を教えたのですか?」

 僕は思わず聞いてしまった。護身にしても危険すぎる。むしろ何もしないより危ない。

「発勁を使えるようになりたいと畑中さんが言うものでね。君も知っているだろう?彼女が格闘小説をウェブで書いていることを。」

 あれか。あの荒唐無稽支離滅裂のアクション大編。読者は僕と渡部先生しか残っていない。そして、畑中がそれを書いているのを知っているのもこの二人のみである。

 畑中を見ると顔を紅くしていた。いまさら恥ずかしがるなよ。いきなり襲ってきたことを恥じてくれ。お願いだから。

「それで何で畑中は僕を襲ってきたんだ?」

「一度、あんたを徹底的にぶん殴りたかったからよ。」

 素が出ていますよ、畑中さん。

「実はね、風紀委員が君たちを潰すために動いているのだよ。その予行演習も兼ねて畑中さんが襲うことを認めることにした。」

 渡部先生が不穏なことを言う。風紀委員ってもしかして風紀委員長が動いているのか?あの狂犬が……。

「文芸部も大変ですね。」

「誤解しているようだけど、第二文芸部だからね。風紀委員に目をつけられているの。」

 畑中が意趣返しのつもりか言い返してきた。

「待て。待ってくれ。このクソジジイより風紀を乱しているとは誰にも言わせねえ。そもそも、僕と畑中にセックスをさせようとした教師失格どころか人間失格のこいつを差し置いて何が風紀だ。認めねえ。風紀委員が何を言ってこようが先に潰れるべきは文芸部だ。クソ野郎。図ったのか、渡部先生!」

「謀はこれからだよ。」

 クソが。もしかしてこんなところで遊んでいる場合ではないのか?

「渡部先生、帰って良いですか。急用ができました。」

「これから本の整理をします。帰すわけ無いでしょ、三野瀬くん。」

 畑中がいつも通りに戻った。渡部先生の背中の向こう側に見える本の壁をまじまじとみつめて暗澹たる気持ちになった。

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