閑話休題 屋田野瀬中学の三怪人
屋田野瀬中学には三人の怪人がいる。一人は屋田野瀬中学の生き字引。警備の一ノ瀬虎治。かつて屋田野瀬中学の校長を務めていた長老である。彼に屋田野瀬中学のことで知らないものは無いと噂されており、教員や事務員が常に気を置いている姿を目にすることが構内の日常となっている。そのことから一ノ瀬虎治には尾ひれのついた噂話が流れている。曰く、本校の金の流れを牛耳っているのが一ノ瀬虎治である。本校に集められている寄付金のほとんどが一ノ瀬虎治の伝手であるのは公然の秘密だ。地元出身の有力者との縁故は未だ途切れていない。曰く、現校長の白石源之助の秘密を握っている。何を隠そう、白石源之助の結婚の仲人は一ノ瀬虎治であったという。校内だけでなく白石校長の家庭の事情すら一ノ瀬虎治の耳に入る。曰く、教育委員会から派遣されているエージェントである。神奈川県桂川区にあってそれなりの進学校としての歴史がある我が屋田野瀬中学の元校長がただのシルバー派遣で学校の警備員につくはずがない。様々な憶測と誰もが口には出さない伝説を背景に屋田野瀬中学に君臨する初老の警備員。それが一ノ瀬虎治である。
もう一人の怪人は物理教師の近藤正臣。通称、狂乱の科学者。科学研究部顧問にして前生徒会長藤原道隆の最大の貢献者でもあった。自らの思考の具現化に全てを費やす彼の狂行は枚挙にいとまがない。授業を実験に費やした薬害の一年。この年の物理の授業は全て彼個人の実験に終始し、テストはそのレポートの提出が求められたという。まったく受験と関係ない活動を強制された生徒達の受験結果は想像にお任せする。実験室を改装しようとした科学研究部の一番長い日。何処で仕入れてきたのかわからない実験器具の数々を学校へと持ち込み、それらが収まらないとわかると隣の教室の居抜き工事を画策。既のところで他の教師や教頭にみつかり立て籠もった。それに巻き込まれたのが科学研究部である。ただ近藤正臣に従っていただけの生徒達は、日付けが変わるまで学校から帰れなかったという。そして、天才八戸登を見出した屋田野瀬中学軟禁事件。今では学校史上最高の天才と言われている八戸登は、平々凡々な生徒であったという。しかし、そのテスト結果を見た近藤正臣に目をつけられた。彼のテストは一切の間違えがなく、かつ順番に問題が解かれていた。ただ、全問を解答していたわけではなく、六、七分ほどしか埋められていなかった、八戸登は解答スピードが著しく遅かったのだ。その彼の才能に気が付いた近藤正臣は、前生徒会長藤原道隆と繫がり部活改革を強行。八戸登の為に理学部を創設。彼に己の知識の全てを授けるために教鞭を振るった。今まで禄に勉強をしてこなかった八戸登は数学や理学の面白さにのめり込んで行ったという。そして、この部活動に終わりはなかったのだ。どちらかが音を上げるまで続けられた部活動は、時計の針が頂点を過ぎて真下に降りても終わることはなかった。つまり、泊り込みの日々が続いたのだ。あまり素行のよくなかった八戸登ではあったが、流石に何日も無断で帰宅しなくなった子を心配した八戸の両親は学校へと訪ねた。そして、理学部の異常な活動が表沙汰となった。数々の蛮行を繰り返す彼がなぜ教師を続けられているのか。それは屋田野瀬中学七不思議の一つに数えられている。
最後の怪人は、これから会うことになっている文芸部顧問渡部哲。またの名を図書室の暴君である。渡部哲の目に映る範囲で本を読んではならない。本を無限に薦められるからだ。それは授業中ですら関係ない。とある生徒が渡部先生の授業中に漫画を読んでいた。流行りの漫画であったらしい。その彼に対して渡部先生が行ったのが漫画史の大演説会だった。ウォルトディズニーから始まったそれは、手塚治虫、倉金章介の『あんみつ姫』、石ノ森章太郎、松本太陽、鳥山明……。翌日、その生徒のもとへ渡部先生が漫画の山を持って訪ねてきた。曰く、彼が読んでいた漫画の作者の短編集と彼がアシスタントしていた作家の漫画だったそうだ。漫画の山はその生徒の机の上に一ヶ月ほどそびえ立っていたのだそうだ。渡部先生は毎日彼に漫画を届け続け、ついにその生徒は漫画恐怖症に陥ったと言われている。こういうことを素で悪意なくやるのが渡部哲という人間である。かくいう僕もやられた一人だ。日に十冊の新書の山が僕の机に築かれていた。それをひたすら読み耽る。終わると残った山がさらに高くなっている。あの恐ろしい光景は二度と見たくはないものだ。渡部先生曰く、今は日に五十冊程度しか本が読めていないと嘆いていた。しかし、それほどの読書量をほこる人間を僕は他に知らない。本の虫と呼ぶにもはばかられるこの読書家にとって、屋田野瀬中学の図書室は半ば彼の私設図書館となっている。自分で本を寄贈して、自分で棚を作り、蔵書の管理を自分でする。そして、屋田野瀬中学の図書委員会とは渡部先生が支配する独裁政権となっている。当然、委員メンバーは文芸部員で埋められており、委員長の任命も渡部先生の独断で決められる。現図書委員長の名は三野瀬大地。図書室業務の全権を委任され、第二文芸部に図書準備室を明け渡した僕の名前である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます