第24話 アリスと要、甲板にて
その日の夜、前日と同じくまたなかなか寝付けない要は甲板へと向かっていた。
ここ数日あまり眠れていない気もするが、どうあがいても眠れないものは仕方がない。もちろん早くふかふかの布団でゆっくり寝たいとは思う。しかしそれは無事にレイナードに帰ってからだろう。
ぐーっと大きく伸びをしながら狭い甲板に出ると、また先客がいた。アリスだ。潮風に髪をなびかせながら月を眺めているようだった。やはりアリスも眠れないのだろうかと考えながら隣に歩み寄り、手すりに背中を預けると笑顔で声を掛けた。
「よかったね、王様が助かって」
「……ええ」
それだけの言葉を交わしたきり、互いにすぐ無言になってしまう。要がこの後はどんな話題を振ろうかと悩んでいると、アリスが先に口を開いた。
「……あたしね、カルマン王国から少し離れたところにある小さな村の出身なの」
「うん」
要は小さく頷く。だから、前にカルマンに来たことがあると言っていたのかと納得した。やはりあの時に聞いていなくて正解だった。もし聞いていたとしても教えてはくれなかっただろうが。そのまま静かに続きを待つ。
「でも、あたしがその村を丸ごと焼き尽くしてしまった。リトゥスの話の通りよ。その時にあたしを助けてくれたのが、たまたま旅の途中で村の近くを通りかかったラウルだったの。そしてラウルの勧めで一緒に海を渡って、レイナード王国に落ち着いた。あたしの事情を知ったエドガーは笑顔でここに住めばいい、って言ってくれたの」
「だから『恩人』って……」
「そう。だからエドガーには本当に感謝してるわ。今回だって、あたしのことなんて見捨てておけば誘拐されずに済んだかもしれなかったのに、本当に困った王様よね」
自嘲気味に話すアリス。要はそんな彼女の言葉に黙って耳を傾けていた。
やや間があって、アリスはまた話し出す。
「でも、あたしが村を焼いたって話がレイナードに広まると、【炎の指揮者】が自分たちの街や村を焼きに来るかもしれない、ってあっという間に国中が混乱してしまう。ちょっとした有名人の噂なんてそんなものよ。そして魔女狩りが始まるわ。【炎の指揮者】を捕らえて殺せ、って」
「そんな……!」
要は思わず声を上げるが、それには構わずアリスはさらに続けた。
「エドガーは国王として国民の声を無視することはできないから、あたしを国外追放にするか、最悪処刑せざるを得なくなる。多分あたしと国の平和、その両方を守るためにリトゥスに従ったんだと思う。王様なんだから国のことだけ考えてればいいのにね」
それだけ一気に言ってしまうと、アリスは大きく息を吐く。溜息ではなく、ようやく心の中にあるものを吐き出すことができて一安心した、そんな風に思えるものだった。
だが、そんなアリスに対し、要は彼女の話に只々驚くことしかできないでいた。正直、そこまで深くは考えていなかったのだ。
要の心の中に、前にアリスが言った言葉がよみがえってくる。
『いつか本当に大事なものを失うわよ』
今ならこの言葉の意味がわかる。
アリスは自分を快く迎えてくれたエドガーや、そんな彼が治めるレイナードという国をずっと大事にしていきたいと思っている。そして、その為にはどんなことをしてでも彼らを守ろうと強く決意しているのだ。もしその果てに自分が死ぬことがあろうとも、きっとそれは本望なのだろう。
「……アリス……」
要がようやくそれだけを紡ぐと、
「何、辛気臭い顔してるのよ。エドガーは無事に助かって、結果的にはレイナードも救われたんだからいいじゃない。さっきのはあくまでも可能性の話だったんだから」
いつもの調子でそう言ったアリスが少しだけ背伸びをする。そして要の額を指で思い切り弾いた。
「痛っ!」
思わず額を押さえる要。間近では波の音が止むことなく聞こえていた。
「だから、あんたも……ありがとう」
「……え?」
アリスの声が小さかったのと、ちょうど波の音が被ったせいで一番最後の部分が聞き取れなかった。
「ゴメン、おれが……何?」
要が率直に問うと、アリスにぷいとそっぽを向かれてしまう。
「べ、別に! 今回はあんたを巻き込んで悪かったわねって言いたかっただけよ!」
「そう……?」
そんなに長い言葉ではなかったような気もするが、今はそれを言わずに胸の中にしまっておくのがいいのだろうという結論に行き着き、要は黙って今は大分欠けてきている月を見やった。
「……それから」
まだ顔を背けたままのアリスが小さな声で切り出す。
「何?」
「……一緒に謝ってくれるって、許してもらえる方法を探すって本当なの……?」
何となく気まずそうにそれだけを言うと、顔だけでなく背中さえも背けてしまう。アリスは真っ白な空間で要が小さな彼女に言った言葉をちゃんと覚えていた。要はそれが嬉しかった。
「当たり前だよ! おれはもちろん、きっとラウルだって!」
「……あたしは今までずっと心の中で謝ってきた。でも、どれだけ謝っても許してもらえないし、許してもらえるとは思えない。それでも一緒に、って言ってくれるの?」
アリスのやや沈み気味な声に、要はほんの少しだけ逡巡すると、微笑んで見せた。もちろん背中を向けているアリスには見えてはいないが、そんなことは構わない。
「……それは自分を許せないっていうアリスの心の問題だから、謝ること以外で何かできればきっといつか自分を許せる日が来るんだと思う。だからおれはその方法を一緒に見つけたいと思ってる」
「これからあんたは自分の世界に帰るっていうのに?」
アリスの言うことはもっともだ。
「それはそうなんだけど、住む世界が違ってもできることは沢山あると思うんだよね!」
しかし要は両手の拳を握り、アリスの背中に向けてあえて元気に振舞ってみせた。声だけでも彼女を励まし、何かしらの力になることはできるはずだ。
「そうね、そうかもしれない。だったら、その言葉忘れないでよね。あたしも謝るだけじゃなく、もっと違う方法を探してみることにするわ。……一人じゃないんだってあんたが言ったんだし」
要だけでなく、自分にも言い聞かせるようにそう言うと、アリスは大きく深呼吸をする。声音はいつものそれに戻っていた。
そして、背を向けたままのアリスがさらに続ける。
「それにしても」
「?」
今度は何の話だろうと要が首を傾げると、意外な言葉が返ってきた。
「あんたのあの必殺技っぽいの酷かったわね。てんしょー何とかってやつ」
いきなりダメ出しをされた。
「い、いや! あれとっさに思い付いたにしてはかっこよかったと思うんだけど!?」
要は慌てて否定する。自分としてはかなり気に入っていたのだ。
「そうかしら? 技は百歩譲ってあれでいいとしても、ネーミングセンスはラウルと同じかそれ以下よ」
「ひっでぇ!」
唯一イケメンと肩を並べられるのがネーミングセンスの悪さとは。しかも、まさかの毒キノコと同レベルだ。さすがに要はショックを隠せなかった。
そんな要の様子を知ってか知らずか、アリスがようやく振り返る。
「まあ、終わり良ければ
要の方にまっすぐ顔を向けたアリスは、月を背にして穏やかに微笑んでいた。
これまでに見たことがない、とても柔らかく綺麗な笑顔に要は一瞬時が止まったのかと思う。心臓がドキドキを通り越して、バクバクと派手なリズムを刻んでいる。
「お、おれはもう少しだけここにいるよ」
アリスの不意打ちに、それだけを返すのが精一杯だった。
「そう。それじゃ、おやすみなさい」
心なしかアリスの声もいつもより穏やかな気がした。そしてまた要に背中を向けたアリスは、今度は振り返ることなくそのまま去っていく。結局肝心のところは聞かせてもらえないまま、要はその背中を黙って見送った。
「……あの笑顔は反則だろ……!?」
アリスの姿が甲板から完全に消えると、要はその場にしゃがみ込んで頭を抱える。
これまで笑顔を見せることのなかったアリスが、いきなりあんな笑顔を見せるなんて思いもしなかった。こんなギャップを見せられたら、きっと男なら誰だってイチコロだろう。もちろん、要も例にもれずでさらに頭を抱えて唸った。
そこで思い出す。
「ああ! しかもリトゥスと戦った時、初めておれのこと名前で呼んでくれた……っ!」
今頃になってじわじわと喜びが溢れてくる。名前を呼ばれたことでようやく自分を認めてもらえたような、そんな気がした。
だが、その喜びとアリスに対して芽生え始めた感情をどうしたらいいかわからず、要はいまだ頭を抱えたまま、ゴロゴロと狭い甲板を転げ回りたい衝動に駆られるのを必死に押さえつけるのだった。
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