第22話 忘れられていたエドガー

「エドガーのことをすっかり忘れてたわね」


 しゃがみ込んでしれっとそんなことを言いながら、ロープをほどくラウルの手元を見ているアリス。


「ひどいよ、アリス~」


 まだ床に転がったままで口を尖らせるエドガー。


「あ、まだ動かないでください!」


 そして、アリスの側に行こうとごそごそ動くエドガーを押さえつけるラウル。


 何ともシュールな光景だった。


 ようやくロープがほどかれると、エドガーは待ってましたとばかりにアリスに抱きついた。


「怖かったよ~、アリスぅ」

「あー、はいはい」


 アリスは無機質に答えながら、その顔を懸命に押し戻そうとしている。


「えーと……」


 目の前で繰り広げられている光景に困惑している要に、ラウルが心底申し訳なさそうに言った。


「すみません。普段はこんなではないのですが、アリスが絡むとどうしても……」

「……それは知ってたけど、さすがにここまでとは思わなかったよ……」


 要はうつろな目でどこか遠くを眺めながら、そう答える。ラウルも可愛いものが絡むと似たような感じだしな、とは思ったが口には出さない。


 目の前にいるエドガーは服装こそ今は寝間着姿だが、きらきらと輝く長い金髪を緩く三つ編みにして、群青の瞳を輝かせている様は確かに気品を感じるし、比較的年齢の近そうなラウルとはまた違ったタイプのイケメンだと思う。しかし、女の子に甘えながら抱きつこうとしているいい大人が、本当に【英雄王】なのかは甚だ疑問だ。


 そんなことを考えていると、ようやくその存在に気が付いたらしいエドガーが要を見た。群青の瞳が今度は要を真正面から見据えている。


「君は?」


 アリスに対するものとは全く違う態度と意思の強そうな声に、要の背筋が一気に伸びた。


「は、初めまして! 一条要です!」

「【救国の主】よ。貴方を助けるために召喚したの」


 緊張してギクシャクしている要に代わって、アリスが端的に説明してくれる。もっと詳しい説明は要がしなくても、彼女が後からしてくれるだろう。


「そうか、君がわざわざ異世界から……!」

「い、いや! そんな大層なものじゃ……」


 思わず謙遜すると、エドガーが右手を出してきた。どうやら、握手を求められているらしい。要は慌てて、汚れた右手をズボンで拭くと、素直にその手を取った。


「私がこんなことになったせいで、君には迷惑を掛けてしまった。だが本当に感謝している」


 先程までのへたれた様子はすっかりなくなり、【英雄王】の顔になったエドガーはそう言うと深々と頭を下げた。


 そこにアリスが割って入ってくる。


「そもそも、何であんな奴に誘拐なんてされたのよ」

「いや、それは……」


 一瞬にして【英雄王】の顔が消えたエドガーは口ごもるが、それで引くアリスではない。


「ちゃんと言いなさい。あたしたちがどれだけ心配したかわかってるの!?」


 そう言ってエドガーに詰め寄るアリスは、まるで母親のようだった。そんな彼女の様子に気圧されたのか、エドガーがぽつりぽつりと話し出す。


「……アリスの秘密を国中にばらされたくなければ、一緒に来いって、そう脅されて……」


 叱られた子供のようにそれだけを言うと、エドガーは悔しそうな顔でうつむいてしまった。


 アリスの秘密とは、おそらくリトゥスの言っていたことだろうと要はすぐに察したが、何も言わずに、黙ってアリスとエドガーのやり取りを見守る。ここは自分が口を出していい場所ではない、それくらいはわかっていた。ラウルも同じことを思ってか、ずっと黙っている。


「なるほどね。貴方のことだから剣を抜いたんでしょうけど、リトゥスには敵わなくてしぶしぶ従ったってところかしら」

「……はい」


 腕を組んで名推理を披露するアリスを前に小さくなるエドガーは、また【英雄王】とは程遠い存在に戻ったように見えるが、きっと彼なりにアリスの秘密を守るために必死だったのだろう。秘密というものは何があろうともそう簡単に、いや絶対に、他人に話していいものではない。


 しかし、アリスの過去はそこまでレイナードという国に関わるものだっただろうか、と要は疑問に思ったが、きっと何かしらの問題があるのだろう。そこはアリス自らが話してくれるのを待つしかないという結論に至り、要は自分からは決して触れてはいけないと肝に銘じることにした。


「まあ、いいわ」


 ようやく納得したらしいアリスの言葉に、エドガーは安心したように息を吐くと、それまでうつむかせていた顔を上げる。その顔はすっかり【英雄王】のものに戻っていた。


 そしてアリスたちに問う。声音もそれまでの弱々しいものとはまるで違っていた。アリスに負けず劣らず、なかなかに切り替えの早い王様だ。


「ここへは三人だけで?」

「いえ、カルマン港で第三騎士団が待機しています」


 ラウルが姿勢を正して答える。


「では、第三騎士団に今回のことは?」

「知ってるのはあたしたち三人と、あとはクローゼさんとヘーゲルさんだけよ」


 今度はアリスがそう答えると、エドガーは何かを思案するように腕を組んで目を閉じる。要はすっかり蚊帳の外だった。


「……なるほど、それではラウルに伝令を頼みたい」




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