第20話 最後の戦い・1

「……ここは……?」


 気付けば、要は見覚えのある広間にいた。どうやら無事に戻ってきたらしい。多分だがそれほど時間は経っていないだろう。


「カナメ! 良かった……!」


 いつの間にか側にいたラウルが安堵の溜息を漏らす。


「そうだ、アリスは!?」


 慌てて、座り込んだままのアリスの様子を窺う。顔を覗き込むと、頬には涙の痕がついていたが、顔色は大分良くなっているようだった。呼吸も問題なさそうだ。要は胸を撫で下ろす。


 そしてゆっくりとアリスが目を開けた。


「……」


 まだぼんやりとした様子の顔を覗き込んだまま、要が声を掛ける。


「アリス、大丈夫?」

「……ええ」


 呟くようにそう言って立ち上がろうとするアリスを、ラウルと一緒に支える。


「……もう平気よ」


 まだほんの少し涙の残る目尻をぐっと手の甲で拭うと、アリスは改めてそれまで愉快そうに自分たちを眺めていたリトゥスを睨んだ。


 要も同じくリトゥスに向き直るが、その目は今まで誰も見たことのないものだった。


「――――お前が! お前が仲間を、アリスを傷つけた!」


 一歩前に出て、張り裂けるほどの大きな声で怒鳴りつけると、それまで腰に差していた千鳥を鞘ごと引き抜いた。そして鞘から一気に抜き放つ。鞘を乱暴に放り投げると、千鳥を両手で構えた。その刀身は要の意思と呼応するかのように、青白く強い光を放っている。


「カナメ!」


 一変した雰囲気を感じ取ったラウルが声を掛けるが、その声も今の要には届かない。今目の前にいるのは平和主義者の要ではなく、冷静さを失い、怒りの感情を全身から溢れさせている、これまでとは全く違う要だ。


「――――お前だけは、絶対に許さない!」


 そう叫んだ要が、そのままリトゥスめがけて飛び出そうとした時だった。


「ダメ!」


 アリスが引き留めるかのように、要の左腕を自身の両手で強く掴む。突然のことに我に返った要が思わず振り向いた。その瞳にはまだ怒りの色が滲んでいたが、冷静さは取り戻していたようだった。


「……アリス?」


 いつもの穏やかな声に戻った要に、アリスは顔を横に振って見せる。そして小声で言った。


「精霊の一部であるあいつに多分、剣は効かない。だから少しだけ時間を稼いで」


 おそらくアリスには何か策があるのだろう。一瞬で悟った要は小さく頷くと、また正面のリトゥスを睨んだ。


「僕を許さない、だって? また面白いことを言うね」


 リトゥスはさも可笑しそうに笑う。


「今から謝っても、許してやらないから……なっ!」


 言い終わるか否や、要がリトゥスに向かって駆け出す。どうせ口先だけだろうと要を甘く見ていたリトゥスは、まさか真正面から突っ込んでくるとは思わず、目を見開いた。


「何……!?」


 その間に一気に間合いを詰めた要は、リトゥスの右肩めがけ両手で千鳥を振り下ろす。しかしそれは肩に当たった瞬間に弾かれた。


「っ、硬い……!?」


 まるで金属に当たったようだと思った。そしてリトゥスがにやりと口元を歪める。


(もしかして、炎を金属みたいに硬くすることができるのか……?)


 今は人間の形を取ってはいるが、イフリートの一部だということは実際の身体は炎でできているのだろう。つまりそれを一瞬で硬化させているのかと要は考えた。


 要の少し後方ではアリスが集中するための術詠唱に入っていた。ラウルは長剣を抜き、アリスの前に出て守るようにして構えている。


「それでも……っ!」


 アリスは自分を信じて『時間を稼げ』と言ってくれた。今の自分にできることはその信頼に応えること。こんなことになるならもっとしっかりラウルに稽古を付けてもらうんだった、と頭の片隅で少しだけ後悔しながら、ただがむしゃらに千鳥を繰り出す。


 頭上がダメなら今度は横に薙ぐ。それでもダメなら足元を狙う。とにかくアリスから気を逸らせようと必死だった。


(あと、もう少しだけ時間を……!)


 炎の硬化によってすべて弾かれるのも構わずに、自分に注意を引き付けようとただひたすらに斬りつける。少しでも手を止めればきっとすべてが無駄になってしまう。それだけは絶対に避けたかった。


「いくらやっても効かないのに、よく頑張るね」


 余裕そうに左手で千鳥を受け止めたリトゥスが嘲笑う。そしてまるでその辺に転がっている空き缶でも蹴るかのように、要の腹部を思い切り蹴りつけた。そのまま数メートル飛ばされ、床に叩きつけられる。


「カナメ!」


 ラウルが声を上げた。


「……ぐ……ごほ、ごほ……っ!」


 その場にうずくまり激しく咳き込む。それでも千鳥は手放さなかった。痛みと苦しさで涙が浮かぶが、アリスが受けた痛みに比べればまだ全然マシだ、と必死で堪えながらよろよろと立ち上がる。


「……本当に人間って馬鹿だよね」


 そんな要を蔑んだ目で見ながら、呆れたようにリトゥスは言う。


「もうちょっと遊んであげてもよかったんだけど、飽きてきたからそろそろ終わりにしようか」


 そして右手を掲げた。その手の上には大きな炎の塊ができている。


(殺される……っ!)


 要が思わず目を閉じてしまいそうになった時だった。


「構わず突っ込みなさい! ――カナメ!」


 広間に凛とした声が響く。アリスの声だった。弾かれるようにしてその声に従い、要は千鳥を構え直すとそのままリトゥスに向かって行く。


「何だって!?」


 リトゥスがアリスの方を向くがすでに遅かった。要の狙い通り、これまでリトゥスの視界にアリスは入っていなかった。そしてようやく時間稼ぎが終わったのだ。


『我が両の手に宿るは紅蓮の炎――――』


 両手を掲げたアリスの頭上に、リトゥスのそれとは圧倒的に違う大きさの炎が生まれる。高い天井を丸ごと焼き尽くしてしまうのではないかと思われるほどのものだった。同時に周りの温度も急激に上がっていく。いつもアリスの側で炎の術を見てきたラウルですら、この温度は体感したことがないものだ。


 掲げたままの両手をぐっと力強く握るとオレンジ色の炎が小さくなり、両手で収まるくらいの塊になった。アリスは熱さと疲労で額に汗が浮かんでいるが、それが流れるのも構わずに続ける。


『今こそすべてを焼き尽くせ――――エターナル・ブレイズ!』


 リトゥスへと向かっていく要の千鳥をめがけてそれを放つと、炎の塊がまっすぐに飛んでいく。そしてそのまま直撃すると、あっという間に千鳥は炎で包み込まれた。


「……失敗かな」


 自分に向かってくるのではないか、と思わず目を見張ったリトゥスだったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。胸を撫で下ろし、小さく笑おうとした時だった。


 今度は要の声が広間に響く。


「残念だったな!」


 千鳥の刀身が炎を瞬く間に吸い込んでいく。炎がすべて消えると同時に、先程よりもずっと強く、まばゆいくらいの真っ白な輝きを放つ千鳥が現れた。その様子に気を取られたリトゥスは、間を詰めていた要に反応するのが一瞬遅れる。


「しまっ……っ!?」


 要はそのタイミングを逃さず、石畳の床を蹴って勢いよく飛び上がると、そのまま一気にリトゥスの頭上から千鳥を振り下ろした。




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