第8話 千鳥

「じゃあ、まずは持ち上げてみる……よ?」

「なんでまた疑問形なの?」

「いや、緊張でなんとなく」


 アリスとそんなやり取りをすると、要は鞘に収まったままの千鳥にそっと触れた。気のせいか、触れた指先が温かい気がする。剣先と柄をそれぞれ左右の手で掴むと、そのままゆっくり持ち上げてみた。もちろん、上がれ! と念を込めながら。


 しかし念を込めるまでもなく、千鳥は軽々と持ち上がった。


「――――上がった!」


 三人は揃って安堵の溜息を吐く。こんな簡単に上がると思ってもいなかった要は、正直少し拍子抜けした。しかし本番はこれからだ。


「じゃあ、抜いてみて」


 アリスに言われ、要はそのまま抜こうとするが、


(もし抜けなかったら……)


 思わずつい悪い方へと考えてしまい、慌ててそれを払うように頭を振った。もう後には引けない。

 数回深呼吸をして目を閉じると、柄を握る右手に力を込める。そして思い切り引き抜こうとした。


「抜けろ――――っ!」

「危ない!」


 ラウルの声とほぼ同時に、勢い余って要の手からすっぽ抜けた千鳥が地面に落ち、大きな音を立てる。次の瞬間、要の尻に強い痛みが走った。自分が思い切り尻餅をついたのだと理解するまでに数秒かかった。


ったー!」


 両目に大粒の涙を浮かべ、尻をさする要にラウルが手を差し伸べてくれた。その手を取り立ち上がると、アリスが呆然と地面を見つめているのが目に入る。それを目で追うと、鞘から抜き放たれた千鳥の刀身が太陽の光を浴びて白く輝いていた。何百年もの長い間放置されていたはずなのに、錆びるどころか新品と見間違うほどの美しさだった。


「もしかして、抜けた……?」

「おめでとうございます」


 笑顔のラウルに祝いの言葉をかけられ、要はようやくじわじわと実感が沸いてくる。これで自分は正式に【救国の主】になれたのだと。


「アリス! おれ、ちゃんと抜けたよ!」

「そうね……」


 アリスは、まだ夢でも見ているような心地で千鳥を見ていた。まさか本当に抜けるとは思っていなかったのだ。


「これで王様を助けに行ける!」


 要は拳を握る。しかし、ようやく千鳥から目を離したアリスは、今度は真剣な眼差しを要に向けた。


「……あんたにひとつ、確認しておきたいことがあるわ」


 要の喜びようとは対照的に、アリスは真面目な口調で言葉を掛ける。


「え、何?」


 そんなことにまだ気付かない要は呑気に答えた。今は千鳥を抜くことができたという喜びの方が勝っているのだろう。


「これであんたは【救国の主】としてエドガーを助けに行くことができるけど、本当にそれで構わないの? 今ならまだあんたを元の世界に帰せるけど」

「どういうこと?」


 アリスの言葉の意味が分からず、要は問い返す。


「カルマン王国ではまずは犯人と話し合いというか、交渉になると思うわ。レイナード王国としても、そう簡単にあんたを引き渡すわけにはいかないから。でも、交渉決裂どころか交渉すらできない可能性がすごく高い。もしそうなった場合はどうなるかちゃんとわかってる?」

「えーと……?」

「最悪の場合は実力行使、つまり犯人と戦うってことです。もちろん、俺とアリスだけでなく貴方も」


 ラウルの補足で、要はようやく事の重大さに気付き始めた。


「おれが……? 戦う……?」

「そうよ。やっぱりわかってなかったのね」


 朝の会議の時に思っていたのとはまた違う重大さだった。これまでは自分がどうなるのかということしか考えていなかった。だが、もしかしたら戦うことになるのかもしれない、犯人を傷つけることになるのかもしれないと考えると、それに耐えられないのか、また両手が小さく震え出す。いくら王様を誘拐した犯人とはいえ、できる限り争いや戦いは避けたかった。


「そんな……! 何とか話し合いだけでどうにかならないの!?」


 思わず大声を上げ、身を乗り出した要だが、アリスとラウルが深刻な表情を崩すことはなかった。


「多分無理だと思うわ。だから、あんたに戦う覚悟があるのか確認してるのよ。戦う覚悟がないなら、今すぐレイナードに戻ってあんたを元の世界に帰してあげるけど」

「でも、おれが行かないと王様は助からないんだよね……?」


 心臓がバクバクと大きな音を立てている。


「そうね」

「だったら行かないと……!」

「戦えないのに?」

「っ、それは……」


 アリスに指摘され、要は言葉に詰まる。と、そこにラウルの言葉が割って入ってきた。


「では、こうしましょう。もしもの時は俺がカナメの分も戦います。俺が二人分働けば問題ないでしょう? こう見えても結構強いんですよ。ただし、カナメは自分の身は自分で守ってくださいね」


 そう言ってウィンクしながら微笑んで見せるイケメンに、場が少しだけ和む。アリスが息をひとつ吐いた。


「……ラウルがそこまで言うなら仕方ないわね。で、あんたは本当にこれからもあたしたちと一緒に行くの?」


 問われて、要は大きく頷いた。例え戦力にはならなくても、自分にもできることはきっと何かあるはずだ。それに、ここまで来て元の世界に帰るとは言えない。いや、言いたくなかった。


「もちろん、行くよ。王様を助けないと! せめて足手まといにはならないようにする」




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