第2話 アリスとラウル

 目を開けると、天井のステンドグラスから太陽の光が眩しいくらいに差し込んでいて、仰向けになった要を照らしていた。まるで演劇のステージでスポットライトを独り占めしているようだ、と夢心地で思う。


 どこかの建物の中だということは何となくだが理解できた。ひんやりとした床の冷たさが背中を通して伝わってくる。また、ステンドグラスの透明な部分から入ってくる太陽のオレンジ色の光が暖かで、これは多分夕陽なのだろうと考えた。


「……ん」


 自分は確かトラックに撥ねられたはず、そんなことを思い出しながらゆっくりと上半身を起こす。何気なく辺りを見回すと、少し遠巻きにこちらを見ている人物が二人、目に入った。かがんでいる少女と、その横に立っている長身の青年。


 その周囲には古い石造りの壁と石畳の床が広がっていて、比較的大きな広間のようになっているらしかった。そして自分の周りの床には、白いチョークのようなもので円やら見たことのない文字のようなものが描かれている。


(これは、魔法陣……?)


 ゲームや漫画でよく見るそれとそっくりだ、と思った時だった。


「本当にこれが【救国きゅうこくあるじ】なの?」


 唐突に声が聞こえてそちらを向くと、自分を指差しながら近づいてくる先程の少女の怪訝そうな顔があった。


「ここに召喚されたということは多分そういうことかと。それに、アリスの精神と同調できたからここにいるわけで」


 一緒にやって来る優しい口調の青年が、少女を納得させるかのように何かを言っている。


(召喚……?)


 要はぼんやりとした頭で考えるが、どうやら思考回路が混乱しているらしく、何が何だかさっぱりわからない。


「それはわかってるんだけど、どこをどう見ても頼りないと思うのよね。何だかすっごく弱そうだし。だけど、あたしが失敗なんてするはずないし……」


 アリスと呼ばれた小柄な少女が首を捻りながら、うーんと唸る。そこで要は先程頭上から聞こえてきた声がこの少女のものだと気が付いた。


(さっきの声の女の子……だよな。でもいきなり『これ』扱いされた挙句、頼りないとか散々言われてるみたいなんだけど……)


「あの……」


 とにかく今は自分の状況を知るのが先だ、と口を開きかけた時だった。


「仕方ないからあんたで我慢するわ。早いとこ、この国を救ってくれる?」


 突拍子もないことを言いながら、ずい、と顔を近づけてきた少女に要は驚く。


(近い!)


 目を見開いて思わず後ずさる。それまでまだ霧がかかったようになっていた意識が一気にクリアになった。


「?」


 ドキドキしている自分を不思議そうに見ている少女。年齢は自分と同じくらいだろうか。態度は大きく随分と自信家のようだが、顔を改めてよく見てみると、態度とは対照的にとても繊細で綺麗な顔立ちをしていた。


 陶器のようにきめの細かい白い肌に、真っ赤に燃えるルビーの瞳がとても印象的だった。そしてサラサラのセミロングの髪。根本は銀色だが、途中から毛先にかけて赤のグラデーションになっている。

 絹と思われる上質の白いブラウスと革のミニスカート、そして黒いスパッツというシンプルな出で立ちがそれらをより際立たせていた。


 とにかく、今まで周りにはいなかったタイプの美少女だ。


 隣で微笑んでいる長身の青年も、茶色のすっきりとした髪型に濃いエメラルドグリーンの瞳という、これまた自分の周りにはいないほどのイケメンだった。年齢は自分より少し上くらいだろうか。全身から柔らかい雰囲気を醸し出している。


 要は思わず黒髪、黒目という平凡な容姿の自分と比べてしまい、激しく後悔した。いや、比べることすらおこがましいのかもしれないが。


「アリス、彼が困っています」


 そう言うと、青年は微笑みながら要に右手を差し出す。要は一瞬だけ躊躇したが、それを取るとゆっくり立ち上がった。少し埃っぽくなってしまったチェックのズボンを軽く払うと、それを黙って見ていた少女が再度口を開いた。


「で、どうなの?」


 両手を腰に当てて、随分と偉そうな態度だ。


「えーと、『どうなの?』とか言われても、そもそも何でおれがこんなとこにいるのかすら、よくわかってないんだけど……」


 要がそう返すと、少女は納得したように頷いた。


「ああ、それはそうね。じゃあ簡単に説明するから、ちゃんと理解してよね」


 どうやらこの少女は態度が大きいだけでなく、かなりマイペースなようだ。


「あ、その前にちょっと……」


 要が右手を小さく挙げる。


「何?」

「まずは、自己紹介くらいはお互いしといた方がいいかな、なんて」


 苦笑いを浮かべながら言うと、少女は瞳を瞬かせた。


「すっかり忘れてたわ」


 手を打つ少女の様子に、要はやっぱりかと思わず全身の力が抜けて、そのまま座り込みそうになった。


「それにしても、あんた意外と順応性高いわね。目が覚めたらいきなり知らないところにいるっていうのに」

「えっと、まあ、それはどうも……」


 褒められたのかどうかもわからない言葉に、要は頭を掻きながら意味不明のお礼を返す。


「そうだ、自己紹介だったわね。あたしはアリシア・キール。めんどくさいからアリスでいいわ。で、こっちが……」

「ラウル・べアリットです。アリスの保護者のようなものです。よろしくお願いしますね」


 手を差し出された時と同じ、ラウルの優しい笑顔に要は何だかほっとした。

 どうやら彼は見た目の通り、まともな人間らしい。というよりは、おそらくアリスが特殊なのだろう。この短時間でそれだけは把握した。


「で、あんたは?」


 やっぱり上から目線だ。


「一条要です。よ、よろしくお願いします……?」

「何で疑問形なの?」

「えっと、何となく」

「ふーん、まあいいわ。で、本題なんだけどここで話すのもなんだし、とりあえず部屋に案内するわ」


 切り替えの早いアリスはそう言って背中を向けると、さっさと扉の方へと歩き出す。その後にラウルが続き、要は流されるままその後を追った。


 先程要が目覚めた部屋は旧礼拝堂と言われ、現在はほとんど使われていない場所なのだと、歩きながらラウルが教えてくれた。


 その旧礼拝堂を出て、薄暗い石畳の廊下をしばらく進んでいくと突き当たりにシンプルな木の扉があった。その扉を開けると、一気に明るく開けた場所に出た。足元の石畳がピカピカに磨かれた床になり、天井は吹き抜けになっている。壁には大きな絵画が飾られていた。どうやら、綺麗な白馬に乗った勇ましい騎士の絵のようだ。


「……」


 立ち止まり、どこまでも高い天井を見上げる要の様子に、それまで前を歩いていたアリスが振り返る。


「どうしたの?」

「まだ聞いてなかったけど、ここってどこなんだろうと思って」


 変わらず天井を仰いだまま要が答えた。


 とりあえず日本ではないな、と旧礼拝堂を出た時から何となく予想はしていた。


「そういえば、まだ説明していませんでしたね。ここはレイナードという王国の王城です」


 ラウルにそんなことをさらりと言われ、要は思わず聞き逃しそうになった。予想の遥か斜め上の回答だった。

 日本ではないどころか、これまでの人生で聞いたこともない国だ。しかもラウルは王城と言った。


「お城!?」

「それがどうかしたの?」


 不思議そうにアリスが首を傾げる。


「い、いや! お城って王様とか偉い人が住んでるとこだよね!?」

「確かに王様は住んでいますが……」


 ラウルは少し困惑気味に答えた。


「そんなすごいところに来てるとか、おれホントに死んでるのかもしれない……!」


 頭を抱え、どうやら混乱し始めたらしい要を見て、アリスが大きく溜息を吐く。


「ちゃんと生きてるわよ。死んでたら逆にここに来られないはずだもの」

「……意味が分からない」


 ぼんやりと死んだ魚のような目で答える要に、ラウルが苦笑いを浮かべる。


「後でちゃんと説明しますから」


 そんなやり取りをしていると、こちらに向かってメイドがやって来た。丁寧にお辞儀をする様は、メイドであるにも関わらずどことなく気品すら感じるものだった。


「アリシア様とラウル様のお客様ですか?」


 そう問われて、まだ自分の状況がよくわかっていない要がどう答えたものかと考える間もなく、アリスが即答していた。


「遠方の国から来た古い友人なの」

「まあ、そうでしたか。だからお洋服が変わっていらっしゃいますのね」


 なるほど上手いこと誤魔化したな、と要は思わず感嘆する。しかも都合のいいことに、制服を他国の服装だと思ってくれたらしい。


「でしたら、これからお部屋をご用意しますね」

「もう用意してあるから大丈夫よ」

「そうでしたか。それでは失礼いたしますね」


 にこやかなメイドはそう言うと、また丁寧にお辞儀をする。要もつられて深々とお辞儀をした。そのままメイドと別れると、また改めて部屋へと案内される。


「なんかさ、おれに対する態度と随分違ったみたいだけど……」


 途中で要がほんの少し嫌味を込めて言うと、


「処世術と言って欲しいわね」


 それほど大きくもない胸を張ったアリスにそう返されて、要はぐうの音も出なかった。




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