第8話 木だけに気のせい
雑木林に入ったスミレは、周囲に人が居ないのを確認する。
そもそも人が居ないであろうから山を選んだので、人影はおろか動物すらも見当たらない。本日は日曜日で、授業の無い日は試合は行われない。生徒会も先生も、休暇が欲しいのだろう。
秘密特訓という訳ではないので、モエギには言ってある。付いて来なかったのは、きっと彼が虫を苦手としているせいだ。
小さくて幼い顔で虫が苦手となると恥ずかしいから、本人は隠しているつもりである。他の生徒は知らないだろうが、流石に一年以上同居しているスミレにはお見通しだった。
虫は兎も角、今は自由に色々出来る時間だ。大きく息を吸って大自然の空気を取り込むと、スミレは大きく目を見開いた。別にこんな真似をしなくとも能力は使えるが、何となく始まりの合図のような儀式をしたかった様子だ。
迅速能力を起動したスミレは、膨らむような曲線を描いて、目の前の樹木の背後を取った。
スミレの迅速能力は、真っ直ぐに進むだけでない。少し膨らむように角度をつけて、曲がりながら進む動作も可能。
入学当初は真っ直ぐな前進しか能が無かったが、今は変化が可能となった。二年目となれば、成長しているのだろう。スミレとて自分の能力を、野放しにしている訳ではなかった。
なぜ曲線を描くように動けるようにしたかと言えば、その方が相手の背後を取り易いからだ。
直線でしか進めない場合、どうしても動きがくの字となってしまう。更にスミレの迅速は二度目を発動するまで、少しの間が出来てしまう。
次の動きまでに隙も出来るうえ、相手に察知される猶予まで与えてしまう。一度の使用で背後を取る為に研究した結果、曲線を描く動きを完成させた。
しかし生徒会長には、この動きを見た上で、更に使い方を考えるように言われた。
獣道に立ったスミレは足元に石を置くと、再び息を吸い込んで迅速能力を起動した。
今度は曲線を描かずに、真っ直ぐに進む。身体が引っ張られるように動き、目の前の景色が素早く流れる。
着地したスミレは巻き尺を取り出し、現在の自分の足元から引っ張るように伸ばしていく。
最初に石を置いた地点から、約十メートル。この結果を見て、スミレは溜息をついた。今の自分が移動出来る最大距離が、今年の頭に測った時と大差無いせいだった。
しかし一度に進める距離があっても、そこまで役に立たないようにスミレは思った。分身の大きさは約六分の一。つまり試合時のスミレが進める距離は、約一メートル半。余裕で学校の机から、飛び出せる程である。
ならば速度なのか、スミレは思案した。しかし速度を出し過ぎれば、ぶつかった時に自身への衝撃が大きい。迅速能力は瞬間移動ではないので、進行方向に障害物があれば衝突してしまう。
「お、スミレだ」
誰かが自分の名前を呼んだような気がして、スミレは周囲を見回した。しかし山にあるのは、当然だが木ばかり。いくら学園島とはいえ、樹木が喋る能力を使う者は居ないだろう。木だけに気のせいだと思い、スミレは再び思案の体勢に入る。
「おい、無視かい?」
今度は虫と来たか、スミレは笑いそうになった。いくら学園島とはいえ、虫が喋る能力を使う者は居ないだろう。虫の知らせとは思えなかったので、スミレは大きく息を吸った。
「おいって!」
降ってくるかのように、いきなり人影が上空から現れた。まさか虫を人間にする能力者が居たのか、なんて驚くスミレだったが、よく見れば知った顔だった。
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