第十二話 『旋律の魔女』①
「ライウェいけない、離れて!」
そう声をかけられた時、私は何も理解していなかった。
腹を切ったのだ、あいつはまともに動けないはず。ならばこのまま拘束すれば、と考えていたのだ。
「離れなさいと言っているの、油断すると死んじゃうよ!」
いつの間にかこちらに来ていた少女に、袖を引っ張られ怒鳴られる。あまりの剣幕に私は足を止めた。
「死ぬとはどういう意味だ? この状況で私が死ぬわけ……」
「後で説明するから、できるだけ離れて!」
こっちと
これはまさか……
「魔女の堕落……魔女が負の感情に捕らわれた時、ごく
「それは知っている、私も何度か暴走した魔女を止めたことがあるからな」
「そうだね、いつもこの場合は魔女騎士団が止めてくれるもの。でもこれは例外、彼女の持っている悲哀、憎悪、魔力。その全てが大きすぎる」
彼女は『犠牲の魔女』が持っている魔力の量について詳しいようだ。私にとっては未知数のため、彼女の判断に従った方が賢明だろう。
「ライウェも相当な熟練者だってことは分かってる。でも、あれは不特定の……世界の全てに対しての敵意、そんな気がするの。多少の理性だって残ってない」
こうなった魔女を
その魔力は『犠牲の魔女』の肌、服、マフラーでさえ黒く染め上げていた。
『犠牲の魔女』が苦しそうに身を丸くすると、それの体から魔力が弾け飛んだ。
耳が痛くなるような強い音が響く。まるで耳元で大砲を撃たれたようだ。
見ると、一瞬にして民家が半壊していた。ぱらぱらと
……恐ろしい。
この世の悪魔に出会ったようだ。
「私は、どうすればいい?」
「じきに暴走が本格化するよ、時間稼ぎをする作戦を練らなきゃ。あなたの能力を教えて」
「私の能力は音を出して、その音に魔力弾を乗せる能力だ。高い音であれば鋭く狭く、低い音であれば重く広く相手に届く」
「音……それ、密室なら反響するの?」
「ああ、それは私の得意分野でもあるな。だがこんな市街地じゃ私でも反響させることはできない」
「分かった。それを利用して、一緒に『犠牲の魔女』を止めよう」
行動はどこか子どもっぽいが、やけに冷静な子だ、年齢の割に賢い。
いや、落ち着きすぎだ。実戦経験があるのだろうか?
不思議に思っていると、側にいた左右の高さが違うツインテールの少女がその子に話しかけていた。
「ミィナちゃん、大丈夫なんスか……?」
「大丈夫よ、サナエはわたしが守るからね!」
「勇ましい子だ」
ミィナとサナエか。どちらも罪のない純粋な少女だ。彼女達の事は私が守り、先ほどの無礼を詫びねばならない。
一般人は命をかけて守る、それが魔女騎士団の基本理念。
「次、誰を人間界に送るべきか。女子高校生はゲートに入り行方不明、ユクもまた連絡がつかず。何かあったに違いないが、人間界で何があったのかは全く掴めないままだ……」
「私に任せていただけませんか」
「お前はあの事件から重大な任務は避けていたはずだが」
「ええ、ですが……もうそうは言ってられないのでしょう。『破壊の魔女』の
「分かっているな、この任務に失敗は許されない」
「承知の上です」
「いいだろう。ではお前に任務を課す。任務内容は『救済の魔女』の捜索及び一般人の保護。何より一般人の無事を優先しろ。身の危険があれば、一般人を保護した上で撤退すること」
「はい、団長」
「お前の実力は確かだ、期待している」
「勿体なきお言葉。ありがとうございます」
ー次こそ守ってみせる。
ーもう誰も、命を落とすようなことがないように。
人間界に来る前、魔女騎士団の団長ベディヴィアは私にこの重大な任務を課してくれた。
団長、次こそ私はあなたの期待に全力で応えよう。
「例え相手が悪魔であったとしても……いや、悪魔なら尚更、私は剣を取ろう!」
そう呟くと、『犠牲の魔女』がゆらりと立ち上がった。
「起き上がった、急がなくちゃ。ライウェ、少し驚くかもしれないけど落ち着いてね。サナエはここで待ってて」
「ミィナちゃん⁉」
「何をする気だ?」
「わたしは物語を
彼女が魔導書を開いてそう言った瞬間、目の前の景色が変わった。そこは無機質な部屋。狭すぎず、広すぎずといった間取りで丁度いい。この広さなら、反響も使い易いだろう。これは『物語の魔女』の能力、彼女が用意してくれたのだ。
『物語の魔女』の能力は、自分で想像した世界を固有結界として
それには限度があり、無理な条件を書き続けると固有結界が崩れる。難しい能力だが、私の古い友人はそれを使いこなしていた。
『物語の魔女』?
まさか、ミィナは……
「来るよ、構えて」
彼女の声でハッとした。
『犠牲の魔女』が
黒に染まった魔力が四方八方に飛び散り、天井や床、壁に打ち付けられる。先ほど以上に重く、強い音が響いた。当たった場所には大きなヒビが入り、コンクリートの壁が溶け、べちゃべちゃの液体に変わっていく。まるであの魔力は溶岩だ、触れることすら危ない。
固有結界に閉じ込めておかなければ、きっと街の損害はもっと大きかっただろう。サナエやたまたま近くに来るかもしれない人間の身も危ない。そう考えると、ミィナの判断は正しいものだった。
……その行動力は、親譲りなのか。
「こんなに威力が強いなんて……!ここに閉じ込めて正解だったけれど、維持も大変」
「それを私がサポートすればいいんだな」
「ええ。できるだけわたしも頑張るよ。彼女にだって必ず活動限界がある、それまで耐えよう」
ミィナはそう言うと、手に持つ本に万年筆で何かを書き足した。
「わたしの物語に不具合は許されない。部屋を補強しなさい! そして、破壊された部分の修正を」
見事にその言葉で部屋は修復された。本当に見事だ、この歳で能力を使いこなしている。
だが長くは持たないだろう。ミィナは既に息切れしていた。
固有結界に閉じ込めることができたことが不思議なくらい、『あれ』の魔力はどんどん強く、濃くなっている。私は十数年連れ添う自慢のレイピアを構えた。
「一気に決めさせてもらうぞ」
レイピアに集中すると、
指揮者のように、左右上下と斜めの全方向にそれを振る。キィンという高音と、ゴンという低音が組み合わさり、美しく響いた。高い音と重い音を混ぜ合わせた攻撃は、普通の魔女ならば絶対に防ぐことができない。
「高音はお前の身を引き裂き、低音はお前の動きを鈍らせる――『コンツェルト』」
音を乗せた魔力弾がランダムに『犠牲の魔女』に飛んでいく。最初に出したのは低い音。
広い範囲の攻撃だが、魔力弾で無力化された。その次に『犠牲の魔女』を襲うのは高音を乗せた魔力弾。『それ』は、魔力弾で無力化しようと構えた。その他の魔力弾は彼女から遠く離れた壁に衝突した。
「忘れるなよ、私の魔力弾は音がベースだ。こんな密室であれば、『反響』してしまうかもな?」
外れた魔力弾は、跳ね返って『犠牲の魔女』を襲った。
『それ』の背後からは低音の魔力弾が、目の前には高音の魔力弾が襲う。『犠牲の魔女』は高音の魔力弾を処理したが、低音の魔力弾は直撃して、動きが鈍った。そして『犠牲の魔女』を、反響した高音の魔力弾が囲っている。
仕留めた。
「だめ、避けて!」
そんなミィナの声が、部屋中に響いた。
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