第九話 『犠牲の魔女』①

 サナエとミィナと別れた後、私は魔女のうわさがあるエルカビダの方角へと向かった。


 エルカビダ、と書かれた標識を見て、今自分のいる場所がエルカビダの入口の上空なのだと気づく。風がビュウビュウと吹き、夜の時計塔より寒く感じた。


 ほうきから降り地面に着地する。

 もし噂が本当なら、ここで魔女の気配が感じられるはず。

 意識を集中させる。


「……うっ」


 魔力を感知しようと集中すると、頭がくらくらして吐き気が襲った。感じ取った魔力が、普通の魔女が持つものと桁違いだったのだ。


 私の持つ魔力量をも超えた存在。それは『救済の魔女』である可能性が高いだろう。

 

 魔界では神と崇められるほど強力な魔力と、神聖な能力の持ち主、『救済の魔女』。

 彼と話をすることが出来れば、ミィナやサナエが危険な目に遭うことがなくなる。


 希望を抱いて、エルカビダの大通りに足を踏み入れる。そこにはチェルッソとよく似た、賑やかな街が広がっていると思っていた。


 しかし最初に目に入ったものは、今まで私が人間界に抱いていたイメージとは正反対の光景だった。あまりの衝撃に足を止めてしまった。

 道端で穴だらけの布きれを被って震える子ども。

 体中に紫色のあざを無数に作った男性に、痩せ細って動けなくなっている女性。


「故郷と、同じ光景……」


 今まで明るいイメージばかり抱いていた人間界の裏に、こんな光景があったなど思いも

しなかった。


 人間界も魔界も、同じだ。


 過去の自分と重なる部分があり、心が痛くなった。

 だが、誰か一人に手を差し伸べてはいけない。

 一人を助けるなら、全員を助けなければならない。


 そうしなければ、助けられた一人は他者に憎まれ、ねたまれ、恨まれてしまう。

 そして、富豪ふごうの家庭には汚物おぶつのように扱われ、一般的な家庭にも嫌悪され、貧しい家庭には卑怯者ひきょうものと無視されて孤立する。


 私はそれらを全て経験し、あの助けは不要だったと思っている。結果的に、私は助けてくれた人でさえ傷つけてしまった。


「たすけて……」

「お、お恵みを、どうか……」


 耳が痛い。

 そんな声は、言葉はもう聞きたくない。

 私は助けを求める声を無視して、『救済の魔女』を探した。


街中が生ゴミや、食べ物が腐ったような臭いが充満している。ここまで酷い状態の街は初めて見た。まだ私の故郷の方が臭いはマシだ。

 しばらく道なりに歩いていると、今まで見てきたものよりボロボロな家が並ぶ住宅街に着いた。

 人が住んでいる気配はない。


「あれは……?」


 視界の端に大きな建物が映った。それは街の雰囲気からひどく浮いていて、目立っていた。気になってその場所へ行ってみると、綺麗で立派な教会が建っていた。


 ボロボロの家や枯れている木に囲われているが、教会の窓ガラスは一枚も割れておらず、薄汚れてさえもいない。この教会だけ見れば、この街が貧しい場所なのだと言われても信じられないだろう。


「ごきげんよう、美しい黒髪の方」


 教会を眺めていると、高価そうな黒色のワンピースを着た少女に声を掛けられた。それは優しく、澄んだ声だった。


 少しグレー色がかった瞳には、長く真っ白な睫毛まつげの影が落ちている。白い髪は後頭部のあたりにリボンでまとめられていた。肌が雪の様に白く、人形のように美しい高校生くらいの少女だ。


「……誰だ?」

「すみません、警戒させてしまったようですね。この街で綺麗な衣服を身に付けている方は珍しいので、つい声をかけてしまったのです」


 口元に手を添えてふふ、と微笑む彼女。彼女もまた、この街とは不似合いだった。富豪の娘なのだろうか、言葉遣いも丁寧だ。

 だが、常にこちらを見透かしているような微笑びしょうを浮かべていて、どこか不気味だ。


「何かここに御用ごようですか?」

「あ、いや……探している人がいるんだ」

「ここはさびれた街、エルカビダ。貴女のような綺麗な方のお知り合いなどいないと思いますが」


 長い人差し指をあごに当て、考え込むような仕草をする彼女。もしかして……と言葉を繋げる。


「『救済の魔女』様をお探しですか?」


 少女は目を細めて、にっこりと口角を上げる。先程とは違って冷たく刺すような視線に、背筋が凍った。そして、彼女は惜しみなく自分の正体を晒した。


「私も貴女と同じ魔女ですわ、どうぞ仲良くしましょう?」

「待て、お前からは魔力が感じられない」

「ええ、私には魔力がありませんから。それにあの方の近くですから、そもそも魔力の感知はしにくいはずです」

「あの方? それは『救済の魔女』のことか?」

「ふふ、そうですわよ。あの方は貴女がここに来ることを予想していた。けれど……少し早いのです」


「何を言っているんだ」

「二日後にもう一度、ここに来てください」

「どうしてだ、その間私や二人の魔女が危険に晒される! 『救済の魔女』に魔女騎士団を止めさせて……」

「止める必要がないのです。むしろ、もっとあなたたちが戦うことに意味があるのです」

「なんだと……⁉」


 怒りに任せて、その少女の胸倉を掴もうとした時だった。


「うぁッ!」


 体が重くなり、頭痛を引き起こす。この感覚は……サナエが来たときと一緒だ。

 そんな私の様子を見て、少女が悟ったように語る。


「魔界からのお客様のようですね。彼は魔力を辿って『救済の魔女』を探すでしょう。この場所はゲートから離れているので……先に見つけるのはチェルッソにいる二人の魔女でしょうか」

「まさか、私たちをおとりにする気か!」

「ふふふっ、早く行かないとあの二人の身の安全に関わりますよ」


 少女を鋭く睨め付けたが、彼女は微笑を絶やさない。かなり気に障るが、それよりミィナやサナエのことが心配だ。私は箒を呼び、それにまたがってチェルッソに向かった。

 飛び上がった時に少女を見ると、彼女は私を見上げていた。

 何かを見透かしたような彼女の微笑みは、ずっと変わらないままだった。

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